民主統一第243号

平成11年7月1日(木曜日)

   新旧政治の虚ろを打破し、新しい価値をともに創る政治的エネルギーの形


経済自立人の信頼と共感・共振を獲得できれば、旧政治は打破できる

 統一地方選直前に行われた佐賀市長選では、「無名の新人」とも言える木下敏之候補が自民党を軸とした相乗り候補に圧勝し、有権者の新しい政治的エネルギーをつかんだ例として、全国的にも注目を集めました。原口さんは木下氏と二人三脚を組んで戦ったわけですが、どういう選挙だったのでしょうか。

●木下さんとはじつは幼なじみなんです。彼は子どもの頃から正義感の強い熱血漢でして、今度も佐賀市が大変だということで、農水省キャリアの職を投げ打って出てくれました。
 告示前の調査では、相手候補に圧倒的に負けていたんですよ。ただこの中で有権者の皆さんが候補者に何を求めているかというと、「信頼」「公約を守る」ということだとわかったんです。そこでこちらとしてはスローガンの羅列ではなく、政策の道すじをちきんと示そうと。他候補の方が、いわゆる従来型のバラまきで、あれもやります、これもやりますというタイプだったこともありましたが、私たちのほうは政策の優先順位をはっきりさせて、のべ三万人ちかい皆さんと語り合っていきました。
 鳩山由起夫さんが今月号の『文藝春秋』に書いてくださっていますが、ポスターも左上部分を空白にして有権者がメッセージを書き込める、双方向性のあるものにしたんです。有権者の皆さんが求めていたのは、本当に信頼に足る候補者なのかどうか、自分たちの思いが反映するのかどうか、自分たちの意見をどれだけ聞いてくれるのかということだと思うんです。
 二人三脚でずっと活動をしてきましたが、木下さんの正義感、公正さ、政策の道すじのつけかたというものが、次第に浸透していくのがわかりましたね。選挙戦の終盤には、「木下を見たか」というのが佐賀市民の挨拶になっていたくらいです。だから負けない選挙だとは確信していました。そのキーワードは「信頼」ということですね。
 私たちは、民主党が勝ったとは思っていないんですね。むしろ、さまざまな有権者の皆さんの声や思いをとらえる方法論をつかもうとしたから勝てたのだと思います。
 佐賀県でも、何らかの形で行政に依存している人たちは、だいたい三割くらいはいるでしょう。その三割のパイを奪い合うという選挙をやっていたのでは、与党に勝てないわけです。もちろんこの中でも、今はいろいろ不安や不満があるんですが、後の七割の人たちにどう働きかけられるか。この人たちに、自分たちは高い税金を払わされ、年金や雇用の不安を抱えているということを、はっきり示すことができたと思います。これが二番目の勝因でしょう。
 ターゲットは行政に依存していない人たちですから、行政依存>のメッセージはいっさい出しませんでした。自立のメッセージだけです。私は図のような座標軸で説明するんですが、これまでの旧い政治は有権者に対して、私に依存すればこういう分配がありますよ、というメッセージだったんです。しかし財政状況から言っても、もうこういうことはありえないわけですね。だからここをいくら言っていても、それは信頼できませんね。
 だから私たちは、自立できる人はできるだけ自立してくださいと。なぜなら本当に必要なところに、回すためです。一緒にそういうことを考えていこうということです。一昨日、木下市長が発表しましたが、この年末にはこども救急病院をつくることになりました。これは、どこの県庁所在地にもあるものですよ。少子化対策というスローガンを言っている人はたくさんいますが、本当に少子化対策を言うなら、子どもたちが元気で育っていけるような環境を整備しようということです。
 はじめの頃は、木下さんは女性の支持は弱かったんです。反対に相手候補は女性の受けがよかったんですが、すごい勢いで逆転したんです。私は女性で勝ったと思っていますが、それは自分たちの声をきちんと受け止めてくれるという信頼だったと思います。いくら候補者が身近に感じられても、自分たちの気持ちを代弁できなければ、これは投票しませんからね。


戦後的あいまいさ」からの脱却―日本の自立、官僚依存・分配政治の打破、心の危機の克服

 このところ、自自公という形でさまざまな法案が次々と成立していく状況で、いずれ連立政権ということも考えられるわけですが、そうした中での民主党の進むべき道、あるいは原口さん御自身のお考えはいかがですか。


● 私は「腐った二分法」から抜け出したいと考えてきました。三つの独立を目指して国会に来ました。
 ブレジンスキーが論文で「日本属国」と書いていましたが、そうした発想からの脱却が第一点。日本の独立というと、ちょっと言葉がきついのですが、日本の国としての自立ですね。今、沖縄北方問題特別委員会の筆頭理事を務めておますが、本当に長い間、右か左か、保守か革新かという議論をしていて、本当の国益の議論をしていません。
 例えば、一九九五年以降の沖縄の米軍基地での環境汚染については、アメリカが責任をもって処理するという法律ができました。法律というのは逆読みをしますから、つまり九五年以前のことについては責任を持たない、ということなんですね。こんなアンフェアーな話はありません。
 ガイドラインにしてもそうです。これはあくまで日本の安全保障とアメリカの安全保障とが重なり合う部分―日米協力のところの話にすぎません。ところが日本の独自の安全保障については何の法律もないのが現状です。こんなおかしな話はない。日米協力の部分だけをとりあげているから、沖縄も騙され、騙されということになってしまうわけです。
 こんなこともあります。自衛隊はアメリカから武器を買っています、三千八百億円。ところがお金は払っているのに、武器は届いていない。だからいくら自民党が危機管理を叫んでも、敵・見方を識別できないイージス艦とか、ロケット砲の入っていない対戦車ヘリなんていうものしかないなどと思われたらそれこそ危険ですよね。これでは独立国家とは言えません。
 もちろん私は、これをもって反米と言っているわけではありません。よくこういう話をすると、アメリカをとるか中国をとるかというようなことを言う人がいますが、そういうことではなく、アメリカの中にも十一色くらいの政治的スタンスがあるわけで、そのうちの三ないし四くらいの部分と、日本の国益が極大化するようにしっかり付き合えということなんです。これが「腐った二分法」からの脱却ということです。
 二番目には、佐賀市長選とも関係しますが、官僚依存の分配政治からの独立です。これは松下政経塾のころから私たちの目標です。三番目は、心の危機からの独立です。身体・健康面からみた環境問題というのはよく言われますが、心の環境も、ものすごく劣化しています。
 私の大学での専門は心理学なんですが、今、境界性人格障害、つまり自分を導く自分を持たないという人が、百人に一人くらいいると言われています。そういう「優しい」人がいろいろな情報を心のなかに入れていって、ある時急に攻撃性がでる。それが他人に向かえば殺人に、自分に向かえば自殺になるわけです。それはアイデンティティーの障害なんです。
 今、国旗・国歌が問題になっていますが、自分のアイデンティティーがないと、いくらそこに外からいろいろ詰め込んでも、知識としてもふくらんでいかないんですね。芯がありませんから。
 この三つの独立のために、新しい民主党を立ち上げました。新しい民主党は、三つの独立を妨げているものに対抗して新しい価値を創造していくために、市民と接点・窓口をつくろうということです。
 連立時代の、新しい政党のコンセプトというものがあるはずなんです。それはインターネットのプロバイダーのように、いろいろなアクセスポイントがあって、例えば私というアクセスポイントを通じて、心の危機をいっしょに克服てきるようなことをやれますねと。
 メディアでは、民主党は党内にいろいろな意見があってまとまらないからだめだと言いますが、異論があるのは当たり前なんです。多元的社会ですから。その異論をどうやって統合するか、その統合のしかたを国民のみなさんにきちんと理解してもらうことができれば、それが民主主義だと思います。
 そういう意味では、第一段階は成功したのではないかと思っています。第二段階は、自自公のこととも関連しますが、自自公が本当に国益を体現し、そのための政策を出すのなら結構なんですが、そうはなっていない。
 むしろ住民基本台帳法案なんか、危機管理に逆行していますよ。中央のコンピューターにハッキングすれば、全部わかってしまうんですから。新進党の時に個人情報保護法案というのを提出したことがありますが、そんなものもないままで、個人の人権が侵されるという議論もあります。それもまったくその通りなんですが、一方で国の安全保障ということもまったく考慮されていないわけです。
 菅さんは、(自自公を)「翼賛政治だ」と批判しましたが、まったくそのとおりです。国民の半分は自自公について楽観的に見ているという新聞の世論調査も最近でていましたが、なんか変だと思っているひとはもっと大勢いるはずなんです。ハリボテみたいな数字ですよね。
 経済だって、次々にモルヒネを打っているような状態です。そんなことをしているうちに、日銀のバランスシートがどんどん悪化しています。未来を犠牲にしながら今の政権を維持するというのは、もう限界にきています。
 佐賀で木下さんを立てて戦ったように全国でも戦えば、民主党が旧い政治を打ち破ることは可能だと思います。ただ当面、私たちはマイノリティーでしょう。マイノリティーの時代にどう自らを鍛えるかが、政党にとっての正念場でしょうね。
 新進党公認でしたから、自民党のバッシングはすさまじいものがありました。でも今、自由党をバッシングしませんよね。昨年の参院選からは、民主党が自民党の正面に立っていますから、民主党へのバッシングがすごい。すべての権力が潰しにかかるということです。その意味では、私たちは第二ステージに立ったといってもいいかもしれません。
 そこで先ほど申し上げたような多元性を統合できるようなものをどうやって示せるか。政策の道すじをどう提示できるか。国民のみなさんの痛みや怒りをいかに体現し、政策にしていけるかということだと思います。
 ですから自自公については、それが本当に国益のためになるなら結構だが、とてもそうはならないだろう、そして彼らのハリボテと国民の実相との間に、ものすごい乖離があるということです。
 公明党にも自由党にもすばらしい代議士はいっぱいいますが、自自公では彼らを殺してしまいます。権力と闘う人間がいなくなったら、そこには民主主義はなくなりますから、私たちは歯を食いしばっていかなけれはならない。(資料)


なし崩しの数合わせで、国益は守れない

 自自公の背景にあるのは、戦後五十年、あまりにも国のありようについて考えてこなかった、考えないことが習慣にまでなってしまった結果、戦後的あいまいさに手をつけざるをえないところに追い込まれたということがあると思います。国旗・国歌、憲法などは象徴的ですが。国家像やナショナル・アイデンティティーについてのビジョンや考えがあって、ということではなく、これ以上あいまいなままにはしておけない、ということからの踏み込みですね。しかし国旗・国歌を法制化するといった途端に、新しい定義づけをめぐる国民的合意形成をせずに、ただ習慣化しているからというだけで法制化することの問題点がでてくることになります。

● なし崩し的にやっていくのは邪道ですね。
 ガイドラインだって、それで国益が守れるなら賛成ですが、守れません。一方で先ほど申し上げたような法律(基地の環境汚染の責任範囲を九五年以降に限定)を容認し、さらに莫大な「おもいやり予算」までつけているわけでしょう。しかも後方支援なんか最も危険な任務です。このように、なし崩し的に形だけ整えているだけで、国益の内実は守られていないんです。
 市長選の話でもそうですが、スローガンを並べること、形だけ整えることは簡単ですが、大切なのは内実なんです。日本の国益をガイドライン関連法で守れるのか。(国家観、社会観をめぐる)対立軸ということでいうなら、国民の利益なのかどうかということですね。
 盗聴法に関連してオウムのことが言われますが、破防法でオウムを規制できるかといえば、できないんです。ただ破防法を改正して形を整え、それで「安心」しているにすぎないんです。そうではなくて、内実が問題なんです。フランスの法律では、カルトを法的に定義しています。こういうほうがよほどはっきりしているんです。形だけ整えるのか、内実なのかということです。
 国旗・国歌についても、私個人には皇室に対する特別な思いはありますが、なし崩し的に法制化するというのはよほど、国旗・国歌をバカにしていることだと思います。教育現場でもかなりコンセンサスはできてきているんですから。さらに重要なのは、心の問題についてこれ以上政治は踏み込まないという一線があるはずなんです。それをこんな乱暴な形でなし崩しにやるというのは、とても国家をまじめに考えているとは思えません。
 憲法についても、皆さん九条のことをめぐって改憲か護憲かと言いますが、これも「腐った二分法」ですよ。私はむしろ九十九条委員会を主張しているんです。九十九条というのは、憲法尊重擁護の義務ですね。憲法がどのように守られているかを検証する場は、一元的には司法です。しかし日本の司法の比重は大変小さい。国会でだって検証されていません。内閣法制局長官に憲法解釈を委ねてきたというのは、立法府の怠慢の象徴です。
 私は、憲法は時代に合わせて変えていくべきだと思いますが、その前にまず、きちんと守られているのかどうか。その検証もなしに、新しい衣装に着替えて、それが似合うかどうかというのでは、まじめな議論にはなりません。国の基本法をないがしろにしたまま、しょっちゅう取り替えるということですから。