2011年03月26日(土)
被災地へ 山形に飛んで宮城入り準備
明日の打ち合わせを終えて今、宿泊所に戻りました。山形市は仙台市とも近く支援の拠点としても絶好の条件だと思いました。東北最大の都市、仙台市の被災は大きく生活や経済に与える影響ははかりしれません。
地元経済界の方々ともお話をしました。物もお金も動きそのものが止まっています。資金繰りそのものが成り立たない状況。ある一定期間、返済そのものを猶予するような思い切った措置を全日本的におこなわなければ、深刻な事態に陥ります。
民主党の幹事長がおにぎり一個しか食べなかったとか、〇〇党の誰々さんが安いホテルに止まったとか言う話がさも皆も右にならえすべきといわんばかりに。気持ちはわかりますが、でもそれでは経済は回りません。自粛連鎖で経済が衰退すれば被災地の復興も遅れることに。
意思決定が問われています。
仙台空港で津波に襲われた方とお話をしました。携帯ビデオの映像も。たくさんの御遺体。津波の激しいエネルギーがどんなに凄惨な状況を作り出したか目の当たりにしました。
性別さえ見分けがつかない御遺体。肉親の姿を探そうにも探すよすががありません。検屍も間に合わない状況。愛する肉親をおいて、この地を離れられない。あの瓦礫の下のどこかにいるだろう肉親を置いてはいけない。移設を勧める友人に悲痛な声が。
同僚の橋本代議士と石森代議士らが力を合わせてカレーライスの炊き出しを2000食分行いました。温かい食事は被災以来初めてという方も。瞬間かもしれませんが久しぶりにお腹を満たせて笑顔が戻ってきましたと橋本さん。