2010年05月16日(日)
和歌山にて~松下幸之助の知恵に学ぶシンポジウム
和歌山市民会館で「松下幸之助の知恵に学ぶシンポジウム~企業経営と地域経営のあり方~」が行われ、講演しました。(仁坂知事さん、松下正幸関経連副会長さん、島正博島精機社長さん、作家の北康利さんとパネルディスカッションにも参加させていただきました。
仁坂知事さんはじめ、お招きくださった皆様、会場に足を運んでくださった皆様、お支え下さった皆様に心から感謝を申し上げます。松下さんを学ぶことで和歌山の力を一層引き出していただいていることを重ねて感謝申し上げます。送迎くださった山本忠相市議さんら民主党和歌山県連の皆様、ありがとうございます。大阪から佐賀の先輩の岡先生もわざわざ講演を聞きにおいでくださいました。た。(高校の先輩もお見えでした。)
和歌山市は、関空から車で30分。関空からの距離だけでいえば、大阪市よりも「近い」といえるかもしれません。地理的な有利・資源の豊富さ。和歌山は「ともに支える教育の県」。 徳川頼倫(第15代紀州徳川家当主、南葵育英会を設立して和歌山県出身の就学困難者に経済的支援を行しました。
明治44年、旧紀州藩主徳川頼倫公が南葵育英会を設立し、みずから数10万円(時価にして約七億円とも言われています)の自己基金を出して賛助者を募り学資不足で進学を断念しようとした旧紀州藩出身の子弟の育英に尽くされました。松下幸之助さんも私財を政経塾に投じています。
和歌山・・・紀の川を渡りました。松下幸之助さんは、小学校4年の時に貧しさのために丁稚奉公に。紀ノ川の別れ。駅までしか見送りに行けない母は、「体に気をつけてな。かわいがってもらうんやで。」と目に涙はを浮かべて見送りました。濃い緑。明るい陽射。紀の川の流れは緩やかでした。
幸之助さんのお墓に花を手向けました。
これまでの感謝とともに報告をしました。そして日本を変え、世界を平和にするための決意を誓いました。