2010年02月10日(水)
自著「平和」~枝野幸男さんとの対談 憲法は権力から国民を守る最後の砦

 
自著「平和」における枝野幸男さんとの対談の冒頭部分です。

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憲法は権力から国民を守る最後の砦
原口 枝野さんとは、政調会長・副会長として、予算筆頭理事・次席理事として、政権政策のとりまとめから予算・法案作成まで、ことあるごとにごいっしょさせていただきました。まさに民主党の兄弟のような仲です。さんざん議論してきましたから枝野さんの考えは聞かなくてもわかるのですがさらに議論を深める上で確認しながらうかがっていきたいと思います。
まずお聞きしたいのは、憲法についてです。私たちは、どのような基本認識を持てばよいのかということです。特に平和の部分に関してですね。民主党・憲法調査会長として頑張ってこられた経緯とその中身をお話しいただけますか。
枝野 憲法は、「権力者は間違える」ことを前提にした仕組みです。民主主義の社会では本来、権力者は民主的な手続きで選ばれているはずですから、その人たちに任せておけばいいとも一見、思えます。ところが、一時々々の多数派が、必ずしも長い目で見たときに正しい選択をしているとは限らないわけです。あのヒトラーですら、民主主義のルールに従って政権の座に就いています。だから、一時々々の選挙で勝利した多数派でも、してはいけないこと、あるいはしなければならないことを、国民(主権者)の側がきちんとあらかじめ枠にはめておきましょう、これが憲法なんですね。
 特に19世紀から20世紀の前半は、やはり人類が平和の問題でかなり間違え、そのために多くの尊い犠牲も払ってきました。なおかつ、21世紀という、間違いが以前より許されない時代に入っています。したがって、形式的な民主主義に支えられた、一見、多数を持っていたとしても、ここまでしかやってはダメなんだと。あるいはこういう方向に向かって進んでいくべきだという、道しるべの重要性は、非常に大きくなっています。そういう意味では、憲法の持つ意味、九条の条文を具体的にどうするのかという話は別としても、九条の目指している方向と理念は、ますます大きくなっていると私は思っています。
原口 その憲法はマグナ・カルタ(1215年)を起源に、いわゆる王様が国民や市民に対して勝手にこんなことはできないという契約からスタートしました。つまり憲法は、権力から国民を守る最後の砦だとも言えますね。