2010年02月01日(月)
松下幸之助さんとの出会い
昭和五十七年八月二十七日。政経塾入塾のための三次試験は、千代田区紀尾井町にあるホテルで実施されました。体力試験やシミュレーション試験など難しい試験を突破してこれが最終試験となる試験でした。
私も含めて四、五人の受験者が控え室で待たされていました。面接は一人ずつおこなわれ、政経塾の職員に名前を呼ばれてから隣の面接室に入っていくというやり方でした。
自分の名前が呼ばれた時、緊張のため全身がコチコチになっていたことを覚えています。
この面接は、政経塾に受かるかどうかよりも、松下幸之助に会えるということのほうに意味がありました。この時点での松下幸之助に対する私の理解は、小学生のときにエジソンと松下幸之助の紙芝居を見たことがあったのも手伝って、エジソンと同時代の偉人伝の人物という程度のものだったのかもしれません。大学の先輩から頼まれて受験したものの、本気で政治の道にいくかどうかを固めて受けていたわけではないと思います。
深くおじぎをして椅子にすわり、前を見ると、面接官に挟まれて小柄な松下幸之助さんがちょこんと座っておられました。伸びた背筋。人を激しく突き動かすような力とともに、どこか遠くへ導くような温かなオーラ。まさしくものすごい量のエネルギーに出会い、言葉を失いました。
面接官は、松下さんと後に私の後見役として育てていただく丹羽正治副塾長、久門泰塾頭、宮田義二理事でした。
原口と同じ九州出身の宮田義二さんは、「あんたんところは葉隠(はがくれ)やなあ、葉隠について、どう思うんや」と私の中にある理想や理念を引き出す質問をしてくださいました。「ずいぶん難しい質問をされますね。葉隠とは美の哲学です。火の美学です。今、この現在を大事にする火。焼き物にも象徴されます。一瞬にして美を焼き付ける、瞬間の美学です」私は日ごろ、考えていること、自分の夢を話しました。心理学と法学を学んでいるけど、「長いものに巻かれろ。悪いことをしてもみつからなければいい」という政治の塵や芥が子どもたちの心にまで悪い影響を与えていると思うこと。二世、三世ばかりの日本の政治。これでは将来を切り拓くことはできないと考えていることも話しました。私の答えを聞いて、松下幸之助さんは、「君、おもろいなあ」と言われたのを覚えています。
面接は順調に進みましたが、面接の最後に松下幸之助さんは、「君、やめへんやろな。」とおっしゃいました。
もとより政経塾に行く志を固めていたわけではありませんでした。「幸之助さんに会えたのだから、これでいいという」気持ちを見透かされた気がしました。頭でっかちで自分を安全地帯において批判ばかりをする若者だったと自分をいう気はありません。しかし、どこかふわふわとした自分の弱さについても看破された気持ちがして、顔が赤くなりました。「やめへんやろな。」この時の、松下幸之助さんの言葉は、その後、私が多くの困難の前に挫折しかかる度に繰り返し繰り返し、耳に響いた言葉です。素志貫徹。「やめてたまるか。」眠っていた私の志に松下幸之助が火を注いでくださった一瞬でした。
松下幸之助さんの周囲には違う空気が流れているようでした。しかも、その凄さが、近くにいる者の緊張を引き出すことのない点が、また不思議なところでした。松下幸之助さんのそばにいると、包み込まれるような温かさを感じました。その場にいるだけで、自分の中のエネルギーがふつふつと沸き起こる実感。自分でも何かできるのではないか?天命を知るというと大げさに聞こえるかもしれませんが、崇高な理想、天が持つ力につながることができた感動がありました。
今も松下幸之助さんの声が聞こえます。「やめへんやろな」