今日は成人の日ですね。
新成人の皆様に心からの祝福のエールを贈ります。
無限の可能性の海へ。勇気をもって漕ぎ出せば多くのものと出会えます。
世界は広く、時間はたっぷりあります。
降り注ぐ太陽の光のような暖かい絆を築けば、祝福に包まれて毎日を送ることもできます。
感謝と研鑽を忘れなければ道は必ず拓けます。
真・善・美
光に満ちて
今日もたくさんの祝福がありますように!
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君の可能性」
(世界中の友人達)
学生時代の経験をもとに私は、世界のいろいろな地域の人々と友達になり、悩みを打ち明けあい喜びを分かち合ってきました。国中の人々が歌を歌い独立を勝ち取ったエストニアの友人(歌う革命 [1] 1991年)。
世界最高の教育をインターネットで子ども達にほどこそうと夢に挑戦するシンガポールの仲間達。全てのチャレンジド(神様から生まれながらにして挑戦する課題をもらった人たち:しょうがいしゃ)が助け合いながら仕事をしているスウェーデン、サムハル [2]の仲間達。新型ジェット機747Xの開発に目を輝かせるアメリカの友人達。これからのアジアについて机をたたいて激論した中国の友達。6畳一間に雑魚寝しながらソフト開発に汗だくになっていたインドの仲間達。
「ああ、君ははるばる日本から来てくれたのか。」と夜中までドラムをたたきつづけてくれたのは、あのジャズの巨匠アート・ブレーキー [3]でした。サン・フランシスコでの熱い夜は今でも私の宝物です。
(可能性の宝箱だった高校)
こうして世界中の「善きもの」「美しきもの」「真実」「大きな志」に魂の震えるような感激を経験してこられたのも高校での先生や先輩・友人達のおかげです。
無味乾燥だと思っていた数学の試験に必ず中原中也 [4]の詩をそえてくださった寺田先生。中也の詩と同じように数学がとても美しいことを発見した日の喜びは、言葉にかえられません。「フランス映画」に空手教師として出演されたK先生。先生の授業は、自分達の「小さな枠を壊すことの痛快さ」に気づかせてくれました。笑いの渦の中で世界の人々と語り会う喜びを教えていただいたのも古賀先生です。
大学では、心理学、法学、社会学を学ぶことが出来ました。これも「真実のフロンティアに挑戦する」姿勢を教えていただいた高校での経験が無ければ、とても出来なかったことだと思います。社会の矛盾に悩む時、自分がとてつもなく弱く見えて足がすくむ時、母校を訪れます。楠の青葉を吹く風に何度救われたことでしょう。ストームの熱狂の中で肩を抱き合った友人達。いつの日も隣にいてくれた友人達。どれほど多くの困難に立ち向かう勇気をもらったかわかりません。
(松下幸之助さんと素直な心)
松下政経塾で松下電器を創設した松下幸之助さんに出会えたのも大きな幸運の一つでした。経営の神様と言われた松下幸之助さんは逆境を糧にして自らを育んでいった人です。親が事業に失敗して小学校を中途で諦めなければならなかったことも、病弱で貧乏だったことも松下さんの「素直な心 [5]」を育てる栄養になりました。学校で知識を得られなかった松下さんは、とても熱心に人の話を聞きました。全ての人が自分の先生であり、「毎日が学び」であることを誰よりも深く知っていたからです。自分が病弱ですから「人を育て、人に任せる」こともとても上手でした。松下さんは人が大好きで、どんな不況で苦しくても誰一人として解雇するまいという強い信念を持っていました。松下電器を世界有数の会社にまで育てた秘訣は、「人を大切にする」ところにあるのだと思います。
私は、松下さんの87歳の時 [6]に初めて出会い94歳までいろいろなお話をさせていただきました。松下さんと3分でも話していると「私でも何かできるのではないか?」と力が湧いてくるような気持ちになりました。それぞれの人を「心の底から愛し、可能性を引っ張り出す」天才だったのです。松下さんは、怒りを祈りに変え、嘆きを希(のぞみ)に変えてしまう不思議な人でした。
2001年4月現在、松下政経塾出身の国会議員は、21人います。お金も無く名も無い若者が志一つで政治の変革主体になっていく姿は、まさに松下さんの姿そのものです。
(君の可能性)
今でもそうですが、高校時代をふりかえると迷いと悩みでいっぱいでした。欠けているところだらけだったからです。かつて佐賀新聞の有明抄というコラムに私が中学受験に落ちたことが記載されて赤面しましたが、高校入学時には、授業についていけず、いつ「もう来ないでいい。」と言われるだろうかとビクビクしていました。緊張体質で試験が近づくとお腹が痛くなるのでした。そのくせ欲張りなので理科系、文科系両方山ほど取ってパニックに陥ったこともありました。どれか一つに絞る決断をできなかったからです。
「何故自分は生まれてきたのだろう?」「みんないつか死ぬ運命なのにどうして笑って生きていられるのだろう?」幾晩も考え抜いて疲れ果てた時もありました。人を好きになることを知って体重も大きく減りました。詩ばかり書いていた時。自らの命を保つ自信の無かった時。「なんて駄目なのだろう。」と自分の欠けたところに嫌悪している自分。心理学を学んだ今なら「自我形成の過程 [7]」だったと客観的に見られますが、当時は、とてもそのような余裕はありませんでした。自分の中に吹き荒れる嵐に翻弄される毎日でした。
「DOUTEND」(ドイテンド)ドイツ語で欠けたという意味です。私たちの存在もある意味では「欠けた存在」です。だからこそ私たちは、「DOUTENDLICH」(ドイテンドリッヒ)に日々を活動します。DOUTENDOLICH [8]とは、熱情的にと訳します。自分の欠けているところを隠したり、ことさらに嘆いたりする必要は、ないのかもしれません。欠けているからこそ面白い。欠けているからこそ、それを埋めようというエネルギーが湧くし、欠けているからこそ智恵が出るのだと思います。
(理想を求めて)
私は、衆議院議員として次の3つの理想実現のために活動しています。
(1) 戦争や暴力、抑圧や差別の無い社会的平和の理想(SOCIAL PEACE)
(2) 全ての生き物が豊かな自然の恵みを享受できるための地球環境の平和の理想(ENVIRONMENTAL PEACE)
(3) 互いに支え合う豊かな文化を持ち全ての人々が心穏やかに共生する心理的環境の平和の理想(INNER PEACE)
理想を求めて力を尽くせば尽くすほど、現実の壁に突き当たります。そして多くの場合その壁のせいにして理想を諦めます。しかし冷静に眺めてみれば、壁の高さにひるんだり闇の暗さに嘆いたりする必要など無いことに気づきます。
時には、とてつもない場面にも遭遇します。様々な「人を人で無くする」ような力に出会う時、心が乾きます。絶望や憎悪の持つ力に打ち負かされる日もあります。しかし、私達は、心が乾けば乾くほどの美しい水を求める力が強まることを知っています。それは理想を目指す力です。困難に立ち向かう勇気 [9]です。
(マザー・テレサの言葉)
結びにかつて友人から私に贈られたマザー・テレサ [10]さんの言葉を皆さんに贈ります。
一日のうちに一つ愛をくばりなさい。どんなに小さくてもいいから愛をくばりなさい。
それは誰かににっこりと微笑むことかもしれない。誰かからもらった嫌な思いを少しだけ胸の中で忘れることかもしれない。一日のうちに一つ愛をくばりなさい。
死を待つ人の家で貧しい人たちのために身を捧げたマザーの言葉です。
あなたのうちに眠る可能性。その可能性を目覚めさしてくれるのは、暖かな絆であったり、打ち震えるような感動だったりすると思います。
世界は広く
時間はたっぷりあります。
可能性の海に漕ぎ出してください。
たくさんの愛に出会いますよう。
その未来にたくさんの祝福がありますようにお祈り申し上げます。
ホームページ
http://haraguti.com/
Eメール kazuhiro@haraguti.com
[1]バルト三国のソ連からの独立運動は、エストニアでは“歌う革命”と呼ばれました。特殊部隊や戦車で鎮圧しようとするモスクワ政府に対して、民衆は暴力ではなく歌と人間の鎖で立ち向かいました。
[2]チャレンジド・ジャパン国際会議ttp://www.prop.or.jp/flanker/20/flk20top.html
松下政経塾報
http://www.mskj.or.jp/jukuho/0001jkalumni.html
[3] Art Blakey & The Jazz Messengers「Moanin’」
[4]中原中也詩集 川上徹太郎編
[5]人生心得帖 松下幸之助 PHP。
[6]やめへんやろな「23歳の私が見た松下幸之助」拙著。松下政経塾講和録PHP。
[7] E・H・エリクソン自我同一性 アイデンティティとライフ・サイクル 誠心書房
[8]ハンナ・アーレント 人間の条件 ちくま学芸文庫
[9] J・F・ケネディ大統領就任演説
[10]マザーテレサ 愛と祈りの言葉 ケン・シェルトン著 フロンティア出版
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光抱く(ひかりいだく)子どもたちに
光抱く子どもたち。
みなさんに伝えたいことがあります。
ぼくの3人の子どもたちだけでなく
多くの子どもたちに。
子ども
批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
力に頼ることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる
しかし、激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる
賞賛を受けた 子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
(川上邦夫訳「あなた自身の社会ースウェーデンの中学校教科書」
1997年新評論より)
ぼくは、1959年に佐賀で生まれ、今、衆議院議員を
しています。
でもぼくが伝えたいのは国会議員としての言葉ではありません。
何かを皆さんに教えたりといった気持ちもありません。
ぼく自身わからないことだらけで、今も一生懸命勉強している最
中なので「誰かに教えること」などできないと思っています。
ぼくがこれから伝えたいのは、光の話です。
病気ばっかりしているぼく。
いさかいの絶えなかったぼくのまわり。
仲間に入れなかったぼく。
しっぱいばかりだったぼく。
夜になると「なぜ生まれてきたのだろう。」 「どうせ死ぬんだ
ったら同じじゃないか?」と泣き叫んでいたぼく。
くる日もくる日も続く闇(やみ)。
ぼくは自分を苛める(さいなめる)ものには不自由しません
でした。
ある時は骨折による体の痛みです。
(最近、わかったことですがぼくは先天性骨不全症ですぐに骨
折してしまう体だったのです。)
あるときは、人をひとでなくしてしまうような
酷い言葉の連射(れんしゃ)。
ぼくは、この体のそとに出られたらどんなにいいだろうと
毎日毎日、思いました
闇(やみ)の中でもがいていたときに
ぼくは薄明かりに気づきました。
それは、ぼんやりとした光。
今ふりかえるとそれは
光ではなく音だったのかもしれません。
それは暖かな
魂(たましい)の奥底に響くもの
幾重にも重なる
波の連なり。
それを力と呼ぶ人もいます。
物理の世界では、波動と呼んでいる人もいます。
光が凍りついた
ぼくを解かすのが
実感されたとき
新しい世界に
生れ落ちたような
温もりが体中を満たし始めます。
光がおとずれたのです。
初めての気づき
お日様の光がみんなを照らすのと同じように。
ぼくにも光があたること。
ひょっとするとその光のぬくもりは
ぼくの中にもたくわえられているかもしれないこと。
死ぬのは今でも怖いけど
土に帰ることは
そんなにわるくはないかもしれない。
土のなかにもあたたかさがあるかもしれない。
光抱く子どもたちに
ぼくが伝えたいのは
ぼくがもらった光です。
ぼくがもらった光の話です。
世界が光に満たされていることを知った日の話です。