2010年01月10日(日)
帰国しました。インドの皆さん、お世話いただいた皆さん、本当にありがとうございました。

 
2010年1月10日(日)晴れ

 全ての日程を終えて日本へ。ムンバイでも持田総領事はじめ多くの皆さんにたいへんお世話になりました。ムンバイ=日本は7時間35分です。香港経由の行きの時間の約半分で帰国できることに。

 9日はウダイ・B・デサイ インド工科大学ハイデラバード(IITH)学長との会談を行いました。 特にICTやナノテク、環境など5つの分野での研究協力などについて話し合いました。既に強いコラボレーションを農業・GEO SENCE、SMART GIRTなどの分野ではじめていて、日本政府が協力しているニムラーナ工業地帯等を使って日印協力をさらに進めることを話し合いました。
 興味深かったのは「ITインフォメーションにより国民は10ルピーはらえば、どんな情報も政府から受けられる」という制度です。それを1ヶ月以内に行わないと役所は処罰の対象となる制度の検討です。ICTを進める上で実施の段階で大きな役割を果たすのではないかということでした。おそらくeーガバメントを意識しての話ではないかと思います。

山崎顧問からは日本では、4ヶ月前に大きな政権交代が起こり強い政治のリーダーシップでこれまで滞っていた様々な氷を解かす作業が行われているとのお話がありました。私たちが今回のミッションで何を合意し、何を進めようとしているのか。私の役割についても明快な言葉で説明していただきました。NICTともIITHの間の協働研究も進めていきたいと思います。学長には私たちが進める日印成長戦略共同戦略委員会(仮称)の有力なメンバーとなっていただきたいと思います。総務大臣室とIITH学長室を電子会議で結んで定期的に意見交換することとしました。


  意欲ある日本企業のリーダーの皆さんにも参加していただいて実りある会議となりました。グリーンテクノロジーに一つBIPに関心を持ちました。
 在ムンバイ日本人会の皆様とも懇談をさせていただきました。進出企業のリーダーの皆さんです。政治をOS、経済や社会、文化といった協力事業をアプリケーションにたとえるとするならば、これまで日印間の政治のOSは印欧間の政治のOSに比べて極端に脆弱なものでした。その中で様々な困難(規制・税制・障壁)などに現場でご苦労されてきた方々の率直なお気持ちをお話いただきました。IKY(一回ここでやってみろ)という言葉もインドに来るまで聞かされた言葉です。「日本で見ているほど簡単ではない。インドの様々な困難を肌で経験したものでないとわからない。しかし、日印関係がこれからの日本にとって大事なことかわからない。遠く日本でゴタゴタ言わないで一回、来て見てほしい。」正直な実践者の声が状況を変えて行きます。お忙しい中、お集いくださった皆さんに心からお礼を申し上げるとともに、ご活躍をお祈りいたします。デリーの日本大使館でも感激しましたが、ムンバイ総領事館の皆さんもとても親切で統制がとれていました。大使、公使、総領事のお力だと推察します。先導してくださった警護官の方々などロジの皆さんにも重ねて感謝申し上げます。

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ここまでが機内です。日本に帰ってからも別の調整で嵐のような時間。

成田で巨大なA380の飛行機が駐機していました。かつてドイツのエアバス社で見せて頂いた完成予想図。そのままの姿です。ボーイングでも巨大機の夢を語っていた友人がいましたが、こちらは路線展開となりました。夢を形にする。素晴らしいことですね。

 足りないところを嘆くのではなく、ましてや責めるのでもなく。どうすればできるのか足していく。どんなに自分が嫌で自分から出て行きたいと願っても出ることができる人はいない。「チーム」が必要。自分の足りないところを補ってくれる。
全部揃っていないから出来ないと思うか、少々のことは乗り越えて困難の芽を取り除いて行けばいいと思うかで、全く違う。かつて唐津一先生が西堀式発想法を教えて下さいました。