2009年10月25日(日)
地方債の問題点~地域主権の本質

 
地方は、長い間、そして今も「自らの判断で借金ができない存在」として置かれてきました。
 

 自治体の起債には総務省・財務省・とど府県がそれぞれ関与しています。しかも地方ができる起債は、「借金」の担保としてのみあいが保障されるもの、すなわち箱物にしか使えない仕組みとなっています。借金も自由にはさせないし、させたところで担保なしにはむりだと言わんばかりの仕組みです。

 三位一体改革では、その掛け声とは裏腹に交付税が大きく削減され、
小さな自治体(財政力の弱い)であればあるほどその削減率が大きく、地方の疲弊に加速度をつけることになってしまっています。

 このように交付税など地方が自由に使えるお金が減れば地方は借金をせざるを得ませんが、起債は「建設」に限られており、財政の弱い自治体であればあるほど「コンクリートから人へ」とは逆の予算を強いられる構造にあります。

 自治体には破綻防止法(地方公共団体の財政の健全化に関する法律)があり、地方公共団体が要注意団体になれば、その時点で起債を制限できることになっています。
 手取・足取り起債について国が口出す必要がどこにあるでしょうか?地方債への過度の関与を止めるだけでも、国・地方の大きな行政改革になるのではないでしょうか?

 私たちはひも付き補助金を全廃して一括交付金化して、地方の自由な裁量を広げたいと考えています。しかし、現状は地方交付税が「補助金化」されて中央支配の道具として使われているのではないかという指摘さえあります。

 しかも地方交付税の「先食い」が随所にみられます。先食いとは、地方債で資金調達をして、その元利償還金を交付税で補填する仕組みです。上で述べたように、これでは起債対象事業に偏ることになり、ハード優先事業となってしまいます。あとで交付税で見ますからといっても、それにも限度があります。自治体のモラルハザードを招きかねず、公共サービスの質も落ちてしまいます。

 地域が権限を持つということは、起債の自由も持つということではないでしょうか。
 これにも危険がないわけではありません。主権者が選びそこなえば、その自治体はひどい事になります。しかし、これは国政も同じです。間違うかもしれないから、権限を渡さないというのは、そもそも民主主義そのものを否定していることになりかねません。

 自由には、大きな責任が伴わなければなりません。主権者の不断の努力に裏打ちされた健全な民主主義の発展こそが、地方主権を可能にすることを肝に銘じたいと思います。


 「自由と責任の改革」によって地域主権を成し遂げたいと思います。