2011年05月27日(金)
福島第一原発 なぜ削除されていたのか?「残留熱除去系の蒸気凝縮系機能」
「 平成15年第29回原子力安全委員会臨時会議録」、「同年第10回原子力安全委員会定例会議録」を読みました。福島第一原発で残留熱除去系の蒸気凝縮系機能削除が行われていました。
何度、読み返しても、とても大切な機能を削除する明確な理由が見つかりません。
発災直後から佐賀大学元学長の上原春男先生と「蒸気凝縮系機能」があるのにどうして炉心溶解に至るまでの深刻な事故になるのか理解できないと首を傾げていました。
4月3日に政府と呼応して東電本社を訪れた時のことが思い出されます。
既に失われている可能性のある冷却システムに代わり、外付けの復水器をつけ一刻も早く安定的な炉心燃料の冷却を提案していた時のことです。
菅総理が3月20日に「放射能の値が高く、どこにつけていいかわからなければ決断できない。」と決断を留保したことが結果的に大量の放射能汚染水の海への放出につながり、さらなる放射能拡散と大量被ばくの危険、さらに言えばさらなる深刻な炉心溶解のリスクを増やしたと私は考えてきました。
核燃料が一部溶解して高い放射能と放射性物質が出ていることは、その当時でも「類推」されていましたし、仮に高い放射能の基でも日本の科学技術と世界の力を結集すれば、復水器をつける配管を見つけ出し早期に接続することは可能だと私たちは主張していました。
確かに原子力発電所の中はテロ対策などの点からも高度の機密が必要です。しかし、事態は、日本そのものの命運さえもがかかる事態。しかも政府の要請で来ている上原先生に設計図も見せずにデータも出さずに物事が進むはずがありません。
「もっと他に隠していることがある。」との疑念が拭えませんでした。
対応してくれた東電の技術幹部は誠実な姿勢でした。しかし、時々みせる表情がとても悲しげに見えたのは、私だけではありませんでした。
一部の炉心溶解だけではなく、大きなメルトダウンの事実も後で発表されました。とても重大で深刻なことです。しかし、それだけでこのようなことになったとは、思い難いと考えています。
上原先生が、「設計した時に付けたはずです。あれはどこへいきましたか?」と何回も尋ねられてきた「安全の砦」の一部が、何故、外されなければならなかったのか?平成15年当時に何が起きていたのか?たくさんの関係者に聞きましたが未だに答えがつかめません。
「当時、浜岡原発で事故があり、それを受けて取り外した。」との証言を得ました。事実かどうか確認を急ぎます。事故があって取り外すというのも逆のような気がします。
この平成15年当時の内閣には、現在の自民党の幹部がほとんど入閣しています。
総理は小泉さん。経済産業大臣は平沼さんでした。
「何回も設計図を求めても出てこなかった理由が、今から思えば、ここにあったのではないか?」「2号機から6号機に至るまで全て取り外す理由がどこにあったのか?」「他の原子力発電所でも同様のことが行われているのか?」先生らを囲んで議論をしました。
もっと調べなければわかりません。いくつもの災害、そして人為的ミスが重なって大事故が起きるとされてきました。福島第一原発の発災後の政府の対応をめぐる問題だけでここまで深刻に事態がなっているのではないのかもしれません。
モニタリングポストも電源喪失などで正常に機能していなかった可能性も専門家から指摘されました。もし、それが事実ならば、どんな物質がどれくらい放出されたかを知る、「目や鼻」そのものを失くしていた時間はどれくらいなのか?
国民を被曝から守るために正確な情報を掴み開示するようにと一貫して政府・東電に働きかけてきました。私には、菅内閣では、枝野さんら一部の政府の幹部が孤軍奮闘しているように見えてなりません。
プルトニウムの値が発表されたのも枝野さんが求めてやっと3月28日です。
福島第一原発3号機は、プルサーマルです。MOX燃料がメルトダウンして何が出ているのか?燃料の精製の詳細については、契約によって秘密になっていると言います。しかし、その中身がわからなければ、私たちが検出する装置をもっているかさえもわかりません。
「避難地域を予め広くとる」
それは見えない、まだ判明しない脅威に対応するための危機管理の基本です。20mSvについて、文部科学省は言いぶりを変えてきているようですが、これまで失った時間は、あってはならない被曝の危険に曝した時間と同意です。政務三役で疎開の議論をどのようにしたか確認して報告するように文部科学省の担当者に改めて求めました。
「避難区域は、統合本部で決めることになっていて文部科学省の政務三役では議論していないと思います。確認のお時間をください。」というのが、民主党文部科学部門会議で私の問いに対する担当者の答えでした。危機感の脆弱性に強い怒りを感じましたが、答えを待ちますと言ってその場を離れました。
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