2009年08月12日(水)
O君にとっての100%・生きる標
24年前の8月5日。
上野ABAB前の交差点で免許をとって一週間の高校生に跳ねられ、骨盤骨折の重症を負い入院しました。後楽園球場の近くの外科で2ヶ月近い入院。右足の大腿骨が骨盤に入り込む重症で、足に錘をつけて伸ばす治療でした。
松下政経塾の塾生でした。
県議選挙に出馬することも結婚も決まっていて焦るばかり。
排泄の苦しみをはじめて知りました。どうしても出ないのです。チロチロと水を出してもらって・・・・。
健康のありがたさを身にしみて感じました。
6人くらいの同室だったと思います。
O君のうめき声に夜、多くの患者の皆さんが眠れない夜を過ごしていて、夏の暑さと体の痒さ・・・本当に辛い日々でした。動かない体のO君は19歳。バイクに乗っていて車にはねられ、反対車線で大型ダンプにはねられて、奇跡的に一命を取り止めたという事故にあっていました。
元気盛りの19歳。麻痺をして動かなくなった体。
その現実を心が受け入れることができないで、毎日、自らの命を絶ちたいとよぶのです。
腕も足も動かない私は、O君の姿を見ることはできません。
でも隣にいて、少しづつ話ができるようになりました。夢や目標・・・。怪我の程度は違いますが、一瞬にして見舞われた事故であることは同じです。
心が開いていくと、何か目標を探すようになりました。
それは指でした。神経が傷つかずにいたところがあったのでしょうか?
私が退院する、2ヵ月後、ころには努力を重ねて、少しですが指を動かすことができるようになりました。
それぞれの生きる目標は違うと思います。そして、それぞれの努力100%も人それぞれで違います。指を動かすことが生きる標になって、彼は自らの命をなくしたいという言葉を言わなくなりました。
24年前の今日、御巣鷹山の事故をともに聞きました。
東京の後楽園球場の隣の外科で隣り合わせに寝ていたO君。44歳になっていると思います。元気で頑張っていてくれると信じています。巨人軍の選手もよく通う病院でした。選手の皆さんもO君の頑張りを支えてくださったと後で聞きました。