2009年08月07日(金)
平和への道 教育こそが貧困と怖れをなくすもの
64回目の原爆の日に・・・もう一度、確認したいことがあります。
以下は、私の著書「平和」の一節です。
===自著 引用 ===
第10章 平和への道 教育こそが貧困と怖れをなくすもの
もう一度、問う あの戦争は何故、突入したのか?
もう一度、私たちは、何故あの戦争に突入したのか?3年8ヶ月も戦争を止めることができなかったのか?その問いを重ねて発してみたい。
戦後公開された各国の外交文書や、東京裁判資料など、当時はわからなかったものも少しずつわかるような物が出てきた。しかし、調べれば調べるほど、原典に当たれば当たるほどさらに疑問が深まった。
開戦にいたるまでもそうだが、戦争に突入したのに出さえ、誰が責任者なのか理解ができない。国会の議論ですら、議事録からも「当事者」が、誰なのかわからない。総理には大臣の任免権がなかったために、何回も総辞職している。その度に、憲法の外の存在が、(それは大正、昭和初期にいたるまで元老であったようだが)総理を決めている。山縣、西園寺という元老の名前が浮かんだ。
統帥権と統治権の問題も釈然としない。きっちりと組織化されているのに、組織を超えた存在がいるために、かえって内閣自体がアナーキーな存在に見えるのは私だけだろうか。
二つの大権を持つのは天皇である。しかし、天皇には不問責任の原理があり、大権と責任が一致していない。天皇陛下は、一貫して改選に慎重的姿勢をとり続けられ、和平を求め続けられと思料されるが、その御意思を表明されることは、ほとんどなかったとされている。(戦後、記述された昭和天皇独白録については既に7章で述べた。)
大政翼賛会ができて意思決定機能は一見、一元化・統合化されたように思えるが、むしろ意思決定の実態は拡散ないし発散している。求心力よりも遠心力が働き、個々のアクターがそれぞれの組織の論理の蛸壺に落ち込んでいる。
御前会議に提出された資料を見ても、両論併記の傾向が多い。意思決定システムの欠如が、さらなる細分化された段階での派閥的な争いを生んでいるように見えて仕方がない。
開戦の目的すら「自衛自尊」であったり「東亜新秩序」であったりはっきりしない。どうしてこれほど戦争が長引いたのか?なぜ敗戦の受け入れにも決断が遅いのか?
後から見て批判することは簡単だろうが、それだけでは、本質が見えてこない。
様々な資料にあたるうちに、この戦争は「意思決定システムを欠いたままに」突き進んだ、もしくは「突き進むように仕向けられた」受動的戦争であったのではないかという疑問がわく。意思決定システムを欠いていると仮定すれば、戦局が厳しくなっても、ずるずると長引いていたことも、降伏の決断が遅れたことも説明がつく。
とても恐ろしく、ある意味で乱暴な推論だが、「意思決定システム」が機能しないままに、国民は虚偽の大本営発表のみに振り回されたのではないか。当時の戦争でも既に兵站が勝負とされている。兵站の戦略もないままに、多くの兵士の命が奪われ、無辜の市民に大きな犠牲が出ている。
一つの紛争の対処が別の紛争によって解決されようとし、それがまだ不十分なままに次の対処に迫られるということを繰り返している。一つ一つの司は驚くほど戦略的で合理的だ。しかし、合成されて出てくる結果は、必ずしも芳しいものではない。なぜなのか?
2006年11月9日 アメリカの中間選挙の結果がほぼ出揃った。イラク戦争は、アメリカをかえって危険なところとしたのではないかという国民の不満は強く、下院では民主党が12年ぶりに多数派を回復、上院でも共和党は議席を減らし、民主党は51議席を確保した。
この大敗を受け、ブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官の更迭を発表した。
肩を落としたラムズフェルド国防長官の姿は、過去数回会ったときの自信に溢れた姿とは別人だった。「会った人は誰でも好きになる」と言われるラムズフェルド長官に最初にペンタゴンで話をしたのは、911テロの半年前だった。
沖縄で米兵の相次ぐ暴行事件。人権を踏みにじり、両国の同盟関係さえ危うくするような事態を一刻も早く改善するように強く申し入れた。沖縄は、朝鮮動乱のときに敷かれた米軍体制がそのまま残っている。平和の島・沖縄は、あの戦争のとき蜂の巣にするかのごとき艦砲射撃などにより殺戮と悲しみの島にされた。復帰してからもなお「平時に有事の負担」が押し付けられている。私は、平成の条約改定ともいえる日米地位協定改正案を上原代議士(当時)と国会に提案していた。
しかし、ペンタゴンの最初の反応は信じられないようなものだった。会談の中身は具体的に記すことができない。
しかし、「米軍は世界に展開している。自由と正義のためだ。朝起きたら、誰を殺した、誰を犯したという報告をうんざりするくらい聞かされる。日本だけが特別ではない。それなのに、日本はどうして米兵の罪ばかりを騒ぎ立てるのか?」といわんばかりの対応だった。一緒にいた沖縄出身の代議士も声を震わせて抗議をした。長官は、日米同盟の重要さを語り、深い反省を述べ、善処を約束した。
アメリカがテロの後、再び私たちはペンタゴンを訪れて長官と話をした。3つの国が悪の枢軸と名指しをされ、アメリカは、イラク戦争へと突き進んでいっていた。「圧政を軍事力でこれを排除することはできるかもしれない。しかし、それではかえって長い泥沼の状態が続き、テロリストの巣となるではないか?」率直に疑問を突きつけた。出口戦略についても聞いた。
今も、多くの国が、イラクの治安維持活動・復興支援活動に携わっている。しかし、その数はアメリカが求めていた数の半分にも満たなかったのではないか?その後のイラクの姿はラムズフェルド長官が私たちに説明してくれた戦略とは大きくずれていた。当初描いた見込みが大きく外れていく状態は、太平洋戦争における日本の姿に重なって見える。
「自衛のため」「国際貢献のため」「自由のため」様々な理由をつけて戦争が始まる。しかし、どんな理由をつけても、多くの人びとが殺される現実、血の臭いのする凄惨な戦場と、戦争を企画し決定する机上とでは大きな隔たりがある。
核については、その乖離が極端だ。
大量破壊兵器には、人を魅了する力がある。人間は、無限大を認識することが苦手だ。認識できないほど大きな力に対して、それを崇めてしまう罠にはまりやすい。圧倒的な破壊の力は、熱狂的な興奮を伴い崇められてきた。その様は、人間の存在の奥底に潜む怖ろしく暗く残忍なものに呼応するかのようだ。
核実験に成功した時の関係者の述べた言葉を思い出して欲しい。まるで破壊の悪魔に取り付かれたような熱狂を示している。
核の引き起こす凄惨な現実。その残忍性や大量殺戮製が巧みに切り離されてしまう。意識して現実を見ようとしなければ、人間は大きな錯覚に陥る。これも無限大ともいえる圧倒的な力の前に思考が停止してしまうからではないだろうか?
「核抑止力」についての議論も、このような思考停止の罠が随所で見られる。
「権力を求めるあまり、心を犠牲にして武器を増強させるなら、より危険な目に陥るのは敵ではなく自らである」とラビンドラナート・タゴール(インドの詩人 ノーベル賞受賞者)は述べている。
核抑止力を持ち合うことで通常兵器による軍事衝突が減るというのも幻想に過ぎない。核実験を行ったインドとパキンスタンの紛争の例を持ち出すまでもない。
自らのうちにある「怖れ」にエネルギーを供給し続ける限り、争いの種を無くすことはできない。強力な武器によって一時的に他者を支配することができるかもしれない。しかし、歴史を見れば、過重な軍事負担に潰れた国はあっても武力の行使に頼って繁栄を続けた国はどこにもない。
国連の5つの常任理事国が核保有を既得権益として主張し続けるのであれば、戦争の違法化を目指した国連の理念は、いつまでも貫徹することができないだろう。核を保有し、武器を輸出し続ける国が常任理事国として地位を独占することが許されるだろうか?それこそが最大の矛盾ではないか?この矛盾に目をつむったまま、世界は平和を手にすることができるだろうか?