2011年05月19日(木)
「封印されたヒロシマ」~隠された被曝の真実

 
「封印されたヒロシマ」~被曝の隠された真実



 自著「平和」の中で広島平和研究所の高橋博子さんと対談させていただいたのは、もう7年前のことです。「隠されたヒバクシャ」の真実を追い続ける高橋さん。核の隠された真実に迫り核廃絶を行うことは、私にとっても生涯の仕事、まさに天命ともいうべきミッションです。



 未曾有の大事故を起こした福島第一原発。現在も進行する危機に対処し世界の安全と人々の命を守るために再び高橋さんとお話をさせていただきました。それは、現状の分析を核の「隠された壁」を取り払うことによって明らかにしていく作業でもあります。


 「封印されたヒロシマ」という現代思想から緊急出版された書物には、核廃絶を願う人々の強い危機感と正確な現状認識が綴られています。同じ「平和」の中で対談した松林宏道さんも寄稿されています。 DS86や DS02という放射線の安全基準がどうしてできたのか?その「基準」に潜む危険は何かを読者は知ることになるでしょう。



 放射性降下物の問題については、「 隠されたヒバクシャ」にも多くの記述があります。そもそもあの原爆が地上、どれくらいの高さで爆発させられたかさえ長い間、機密の壁の向こうに封印されてきたのです。高橋さんや竹峰誠一郎さんらがそれを明らかにする地道な活動をされています。



 愛媛の南海放送が作成した「わしも死の海におった」という放送には、「実験の海」にいあわせた人達の苦悩が描かれています。







 「放射線被曝の歴史」( 中川保雄 技術と人間)という本は、私たちがどのように放射線被曝と戦ってきたかを知る上でも教科書と言っていい本だと私は考えています。



 体内被曝の「不都合な真実」はどうして隠されてきたのか?

ABCC「ヒロシマ 1946年春」の調査はどういうものだったのか?原爆当時にお腹にいた子どもたちの体内被曝の影響が記されていると言う調査には、放射線が遺伝子を傷つけ細胞分裂を繰り返す胎児に何をもたらしたかが記録されています。

「流産 奇形 死産」

お腹に赤ちゃんがいる人が絶体に浴びてはいけない放射線。2011年の3月11日の福島第一原発の事故は、何をもたらしているのか?今なお終息できない事故。命を、子どもたちを強く守るべきなのに20mSv/yなどという基準を表明し避難をさせないことが何をもたらすか?命を、子どもをどう考えているかけして許せない事態がいまなお改められていません。





 第二次世界大戦中の日本政府は、子どもを疎開させていました。チェルノブイリ原発事故でも旧ソ連政府は、いち早く妊婦や子どもたちを避難させました。

 早く手を打てば被曝を免れる人たちが、被曝にさらされるという事態が許されるはずがありません。緊急だから基準をゆるくするというのは信じられない愚挙です。



 私はICRPの基準そのものに疑問を持っています。ECRRのいうところの基準が内部被曝を慎重に扱っており適切だと考えています。百歩下がってICRPの基準が妥当だと仮定しても今の被曝防護の対応は疑問だらけです。

 そもそもICRPの緊急時の勧告を持ち出して子どもに適応することは、許されません。ICRPの緊急時の勧告は何のために出されたのか?その趣旨を捻じ曲げてはなりません。

 スタフォード・ ウォーレン氏でさえ「2週間で50から60レム、一日10レムを受けた人は放射線安全偵察隊に参加してはいけない。」


 今回の日本政府の決定は、日本をはじめとする核の脅威から人々を守ろうとする長年の努力を一気に大戦後まで後退させたとも言われても仕方のない決定です。世界の多くの人が努力して基準を厳しく見直してきたのに原爆投下当時の時代に戻ったかのような錯覚さえ覚えます。


 皆様、ICRP勧告の歴史的変遷をどうかたどってください。


 第五福竜丸事件で放射性降下物への影響を無視できなくなった人たちが何を迫られたか?今、緊急時と言いながら1950年代の基準にどうして引き下げるのか?数多くの被曝の犠牲をだしてきた日本がそれを行うことの意味が分かっているのか?


 過ちを改める勇気を共有したいと思います。

 超大国アメリカは日本の大切な同盟国です。過去の政権が、核実験を行い同時に人体実験を行っていたことを米国の友人たちは自らの力で開示しています。

 人を人でなくする力は大きい。

絶対的な破壊力を持つ核。核に魅入られた人たちは、不思議な高揚を示す作品を残していることに象徴されるように万能感を錯覚させるほど大きな力です。



 しかし、それは目を覆わんばかりの悲惨な影響を人々に、そして生き物に、地球に与えます。



 「核による人体実験の資料開示」を命ずる民主主義を私は、信じています。 マンハッタン計画の一環としてプルトニウム実験が暴かれたのは1993年のことでした。1993年、 アルバカーキトリビューン紙 ピューリツァー賞を受賞することになったこの開示。開示を命令したのはクリントン大統領でした。

 彼は、大統領命令をだし人体実験諮問委員会を作って資料開示を成し遂げたのです。



 今回の福島第一原発事故では、電源喪失などを理由に基礎的データが出されていない部分があります。SPEEDIも開示に時間がかかりました。プルトニウムは、私が求めて枝野官房長官が厳しく問いただしてようやく3月28日に開示されました。



 多くの真実にふたをしてはなりません。

関連資料をけしてフリーズさせてはならないのです。ましてや廃棄などもってのほかです。



 内部被曝研究は、被曝を防ぎ、その影響を早期発見し対応する上でも大切な研究です。


 米国立公文書館の資料にも多くのものがまだ「眠って」います。

現代思想に もDS86という基準がどうしてできたのか?どういう経緯で内部被曝が抜け落ちたか?という研究が掲載されています。



 その謎を解く鍵は、1957年以降のイチバン計画にあります。

これに関連する資料がぜひ開示されるべきです。それは、放射線の影響が内部被曝の問題に反映されていないT57Dの基礎となった資料です。



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