2009年07月11日(土)
政権末期の風景

 
2009年7月11日(土)晴れ
 出雲―東京―佐賀

 4時間の睡眠で出雲空港へ。
日米首脳会談すら行われなかったというイタリア・サミットの成果は、見るべきものがなく明日の都議選挙の結果を待たずに麻生降ろしの報道が目立つようになってきました。その麻生降ろしも、注意深く聞いてみると総理と総裁を分ける、いわゆる「総総分理論」のようです。マニュフェストを掲げて戦う首相が、党のトップと顔が違うということは何を意味するのでしょうか?

郵政民営化のワンイッシュー選挙とも言われた2005年総選挙。小泉劇場に踊らされた後のこの4年間は、日本の社会にとって取り返しのつかないような深い傷を残した4年間でもありました。医療や福祉は切り捨てられ、地方は疲弊しました。日本の経済は競争力を失い、教育に向かう資源も乏しくなりました。小泉・竹中路線・郵政民営化は改革でもなんでもありませんでした。天下りも官製談合も減ったわけではありません。単にアメリカの一 无金融資本による戦略に組み込まれただけで、「規制改革」を標榜する一部政商に、私物化されたのではないかという不信の目が国民から注がれています。

自民党が、どんなに表紙を変えようとも、この4年間を変えることはできません。マニュフェスト選挙において政権与党は過去の約束とその実効性を問われます。総理と総裁を分けてみたところで、過去の失政の評価が変わるわけではないのです。診療報酬切り下げ、障害者自立支援法施行、後期高齢者医療制度導入、母子加算切捨て・・・・。強いものは、ますます富み、まじめに働く人たちが仕事を奪われる。年間3万人を超す自殺者。深刻化する貧困と拡大する格差。「格差などない。」「格差があったとしても、どこが問題か。」と嘯いていた首相は退陣しました。

小泉首相以降、2人の首相が1年で首相の座を投げ出しました。2回の政権投げ出しの後の自民党総裁選挙において「国民的人気」を誇る麻生代議士を圧倒的多数で選んだのは昨年の9月です。その麻生内閣が不人気となると、今度は一転して麻生降ろし。いつまで、こんなことを繰り返すのでしょうか?どうせまた顔を変えても、真面目に支える者もいないのであれば、同じことです。
今回のサミットで、麻生首相は国内での政権基盤の弱さから、その足元をみられた格好です。各国首相との前向きの会談もほとんど伝わってきません。辞める首相、下野する首相と国益をかけて、しかもリスクをおかして話をする首脳などいません。
 
 東国原知事の国政出馬問題も、猛烈な逆風を受けて尻すぼみになるとの観測も出ています。地域主権改革がこの問題と同列に論じられて、蔑ろにされることだけは避けなければなりません。
 メディアの一部には、官僚社会主義と意を通じて、民主党の行く手を塞ぐ報道を繰り返してきた所があります。
「東国原知事の「劇場」が自民党とうまくいって、民主党の存在を隠すことになれば、それに越したことはない。」と言っていたマスコミ関係者の言葉を忘れません。しかし、事は彼の思惑通りには運びませんでした。堀江さんを持ち上げて、あとは掌を返したように態度を急変させた時と同じように、東国原さんについても「駒」としての利用価値がないと見るや使い捨てにするのでしょうか?
 「橋下知事らの動きが民主党に有利と見るや否や、報道からも地方からの「反乱」全てを葬り去ろうとする力学が働いてくるでしょう。」と友人。政権末期の何でもありの状況は、混乱につぐ混乱です。何が本質か見極めないと「権力と癒着一部メディア連合軍」に再び操作されることになりかねません。