2009年06月08日(月)
佐賀フォーラムと鹿島ガタリンピック

 
鹿島ガタリンピック。全国ニュースで3万5千人!

残念ならが今年は行けませんでしたが、大盛況だったようです。
おめでとうございます。

 あれは僕がまだ松下政経塾の2年生の時でした。
「小さな県に大きな活力を」佐賀新聞さんが政経塾とタイアップしていただき大規模な村おこしシンポジウムを行いました。4期生の私は多久出身の1期生、横尾俊彦さんとともに「佐賀フォーラム」を「主催」しました。

 「その地域で一番好きなもので村おこしをしよう」と言って始まった村おこし運動のひとつが鹿島ガタリンピックです。
鹿島青年会議所の卓越したリーダーシップ。明るいキャラ。絆の深さ。
素晴らしい行事としてすっかり定着しましたね。

 でも当時を思い出すと最初は困難の連続でした。
「わいは佐賀んもんやんね。なし鹿島まで来て、おせっかいするとね。」
佐賀の小藩分立の気風は、時として排他的な性質を残しています。
私は佐賀、横尾さんは多久。

 政経塾かなにかしらないけど20代の若輩が来て何を偉そうにというのが正直なところだったのではないかと思います。

 「本当に仲間になるね?」
出されたのは「靴酒」。眉をしかめて鼻をつまみながら飲みました。
仲間だと一旦、認識してもらえば後は、早く、どんどん話が進んでいきます。

 「面かぶり」というあだ名の頭の大きな鹿島JCのリーダーの明るいキャラも多くの人を惹きつけました。放浪しながら北海道の炭鉱で働いたり、酔って犬小屋で寝たりとハチャメチャな人のようでしたが、人に対する深い愛情に溢れた人でした。いくつかの雑誌に彼のことを紹介して書いた文章が今でも残っています。
 ハチャメチャと言えば、もう一人、あの藤さん。お笑いの人かと間違えるくらいの突き抜けた方でした。

 
 あれから四半世紀が経ちました。
「面かぶり」さんは、その後市長になって反骨の政策を続けています。私も公の仕事につくようになって桑原市長さんときちんと呼ぶようにしています。鹿島市民が選んだ方を「面かぶり」と呼ぶのは失礼だと思うからです。
 でも親しい友人の間ではやはり面かぶりです。

 横尾さんとは一時期、衆議院選挙でライバルになったこともありましたが再び一緒に活動。今は多久の市長さんです。

 上峰町の武廣さんのように佐賀県も若いリーダーが多く出てきました。
20代前半の頃、私を引き上げてくださった先輩たち。あの先輩たちの年齢に近づいてきました。若い人たちの能力を引き出し、育む活動を続けます。

 佐賀新聞の存在がなければできなかったことです。今の中尾社長のお父さんが新聞社に机まで用意してくださいました。吉野さんも本当に若かったですね。佐賀新聞さん、皆さん、本当にありがとうございます。