2009年06月05日(金)
気候変動の危機

 
気候変動の危機について「平和」で述べた部分です。

====
気候変動の危機

 人間の争いは、エネルギーをめぐる争いとも言える。
 人間は火を使う動物と言われている。しかし、火は一旦つけてしまえば燃え尽きてしまうまでエネルギー出力をうまくコントロールすることの難しい反応だ。
日々、太陽の光が地球に降り注いでいる。しかし、この太陽エネルギーを自分の中に取り込み、固定化すのは難しい。生き物の中では、唯一植物だけが大気中の二酸化炭素と水を光と化合させる(光合成)ことにより太陽エネルギーを固定化できた。かつて植物以上に、エネルギーを固定化の仕組みを持つものはなかったのだ。
 人間は、火を使うことにより他の動物とその存在を明確に区分できるだけの「力」を持った。エネルギーを制することは力なのだ。それと同じ理由で、狩猟生活により住居を転々としていた時代にはなかった権力が、農耕社会の誕生で生まれた。農耕により、人間は植物を生産し、貯蔵することができるようになった。これは、エネルギーを蓄えることができる植物をコントロールできるものの出現を意味する。農耕社会における「権力」とは、植物をより多くコントロールできるものに集中した。
 江戸時代に至るまで、年貢という税は植物の収穫高を単位としていたし、大名の力の大きさもその領地から上がってくる植物の石高によって計られていた。
 植物を効率よく生産し、貯蔵するためには、水をコントロールすることが必要だった。エネルギーとエントロピーの考え方に沿って言うならば、「エネルギーを生むためにエントロピーを捨てる水を必要としたのだ」
今でも治水が、政治の根本であると言われている。水を治めることにより人びとを災害から守るだけでなく、水を治めることが農耕の基礎であった。上手に水を治められるもの。それが権力を手中にしたのは、エネルギーを貯めることができる農耕の果実を占有できたからにほかならない。

 この構造を一変させたのが産業革命だ。
産業革命は蒸気機関の発明がその契機となった。人間は石炭をたいて蒸気を生み出すことにより、圧倒的なエネルギーを生み出すことが可能になったのだ。石炭は、植物の遺骸の堆積物であることを考えると、蒸気機関の発明は象徴的な意味を持つ。植物の中に蓄積されたエネルギーを石炭採掘により取り出すことにより、人間は、新たなエネルギーを手にしたのだ。
 農耕では、植物を貯めておくといっても、その時間はおのずと制限があった。コメは長期の保存の利く食べものだが、それでも100年前のコメまで食べたいとは思わない。しかし、石炭は採掘さえ成功すれば、過去において貯蔵されたエネルギーをいつでも取り出して使うことが可能になったのである。
 人間の進歩や道具の発展は、「ここ今性」(私たちは、時間的にも空間的にも一度に二つのところにいることができない。「ここ」にあると同時に「あそこ」にいることができないし。「今」を抜けて過去や未来に行くことは今のところできない。)からの脱却の歴史だとも言える。
歩くという人間の機能は、自動車や飛行機などの発明により、その移動距離を飛躍的に伸ばした。紙の発明から電子チップに至るまで、様々な記録道具の開発は、世代も時間も超えた情報の伝達を可能としている。センサー技術の革新は、今までは知覚することのできなかった世界まで見せてくれている。自らの五感さえもはるかに超えた知覚を人間は獲得し出しているのである。
 石炭は、エネルギーの世界における「ここ今性」からの脱却の象徴だ。
これは、エネルギーを使用コントロールするこれまでとは全く別の仕組みを手にしたことを意味する。気候に左右される農業とは、現在の自然の状況に大きく依存していた。しかし、石炭は、「過去におけるエネルギー蓄積の採掘」によりもたらされたものであるために、人間は現在の制約から逃れることができたのだ。いち早く、この新しいエネルギーを得たイギリスは、大きな権力を得た。新しいエネルギーの作り手が農耕によるエネルギーを権力の中心としている社会を支配するのは、いともたやすいことだった。こうしてイギリスは、大英帝国という世界帝国を築き上げるほどの権力を得たのである。

 この時点において、石炭採掘という過去のエネルギー蓄積を現在に使用するということが何を意味するかは論じられていない。エントロピーが、過去のエネルギー蓄積を発掘することにより増大し、今や人類最大の危機は、温暖化の危機であるとも言われている。
新しいエネルギーのパラダイムの転換により大きな力を持ったことは賞賛されたが、閉ざされた系の中で、地中に「封じ込められきた化石燃料」を取り出して燃すことが何を意味するかは議論されてこなかった。
世界的な大量生産・大量消費の連鎖は、今後も続くだろう。急発展を続ける中国の例を出すまでもなく、成長の制約要因はエネルギーであるとされている。成長のためのエネルギーは、未だに不足している。しかし、地球環境に対するつけについては、十分認識されているとは思えない。それは、京都議定書プロセスが発効した今でも、余計深刻さを増していると考えられる。地球温暖化の防止を求めた京都議定書プロセスは当時としては画期的な試みだが、温暖化危機を脱するための魔法の杖ではない。あくまでこの危機を乗り切るための一里塚にすぎない。
エントロピーをどんどん増大させ、地球と生き物、人類の環境にはかり知れない危機をもたらしている。
地球環境問題の重要な視点は、恩恵の受けとる者とそのために引き起こされた苦難に耐えなければならないものとが乖離していることだ。後世の子どもたちが、今の人類のツケを一方的に払わされることになるとしたら、これほど不公正なことはない。

原子力エネルギーを地球発展史的に議論するならば、どのように考えることができるだろう。私たちが住む、銀河系、そして太陽系や地球の成り立ちについてはまだ謎だらけだ。天文学では、ビックバンにより出来たという有力な説が支配的だ。膨大なエネルギーの放出は様々な核反応を伴ったとされている。空に輝く太陽も、連続的核反応だ。
地球の生き物の歴史は、核反応が収まり、核と言う有害物質が気の遠くなるような長い時間を経て無害化された後から始まっている。地球の歴史を一日にたとえるならば、私たち人間の存在している時間は、ほんの一瞬に過ぎない。
今現在、45億年の地球の歴史の中を俯瞰するとどのような見方が出来るだろうか?
植物が死んで炭素化して石炭ができる。この石炭でさえ「生き物が誕生してから」の産物だ。
核汚染とは無縁の無害化された空気、無害化された水、土壌。ウランをはじめとする核物質も地下に埋まった。これを取り出して、人工的に核融合反応を起こしエネルギーを取り出すのが原子力発電である。原子力発電とは、太陽のエネルギー反応と同じ圧倒的なエネルギー反応をもとにしたものである。圧倒的なエネルギーの獲得は、圧倒的な権力の獲得を意味する。
日本の総電力発電量の4割はすでに原子力によってまかなわれている。原子力発電なしには、産業を維持し生活水準を保つこともできない。一度手に入れた圧倒的エネルギー・権力の源泉をたやすく手放すとは思えないし、現在のところ政治の世界でも脱原発の声は力を持っているように思えない。
しかし、その一方で核廃棄物は、積みあがっている。日本は、常任理事国5カ国以外でいわゆる核のゴミを再利用することを認められている。核燃サイクルの総経費は不明で、真実は政府によって正しく開示されてこなかった。原子力はコストの安いエネルギーとされているが、これは単に発電コストだけを言っている。現在発表されている数字には、核廃棄物の処理費用も含まれていなければ、原子力発電所を警備する公共機関の費用も含まれていない。原子力発電所の沖で、テロを警戒する艦船など危機管理コストを考えるならば、これも国民の税金でまかなわれているため、広義のコストと算出できるかもしれない。
核廃棄物は、あっという間に無毒化できるようなものとは、性質が違う。放射能物質の半減期は、地球規模の数字だ。
後世の人たちは、積み上げられた核廃棄物を目にして私たちになんと言うだろう? すでに乗り越えるための技術を考え出しているのだろうか? それともなんと言うことをしてくれたのかと私たちを責めるだろうか?

 2005年8月、超巨大ハリケーン、「カトリーナ」は、アメリカだけでも死者1400人以上、被害総額15兆円という史上最悪の被害をもたらした。カトリーナは、温暖化によりハリケーンを生む海水温度の異常な上昇により巨大化しと思われている。
 全国各地でこれまでの気象の常識が通用しない事態が起きている。
2003年、ヨーロッパを襲った熱波は、ヨーロッパ全体で3万人もの死者を出した。豪雨や乾燥も激化している。日本でも集中豪雨や竜巻被害で人命が失われる事態が起きているが、激甚災害がどうして頻繁に起きているのか。大きな気候変動の起きる原因は、人間のエネルギー活動がもたらす影響を抜きには考えることができない。
 1000年前の二酸化炭素濃度は、280ppmだった。それが産業革命後は急速に上昇して370ppmの濃度になって、気温は平均0・6度も上昇した。海洋研究開発機構 
地球シュミレータ・センターの超高速コンピュタ・地球シュミレータは、膨大なデータをもとに未来の地球の気候変動を予測している。その地球シュミレータによると、 100年後、二酸化炭素濃度は、このままいけば現在の2・6倍の960ppmになると予想されている。そのとき、地球の平均気温は、最大4・2度も上昇する。このような事態を放置すれば、気候変動はさらに激しくなり、様々な危機が人びとを襲う。北極圏の氷は2070年にはすべて溶けてなくなり、アマゾンにも巨大な砂漠が広がるだろう。気候変動による感染症の蔓延をコントロールすることは難しくなるだろう。気候変動は乾燥化・砂漠化を進め、食糧生産にも深刻な影響が出る。2006年の現在でも、約11億人がきれいな水を飲めないとされているが、この事態が進めば、飲む水自体もなくなるだろう。