2009年05月29日(金)
隠されたヒバクシャ~東京高裁判決に思う
私が政治に向かう原点となった戦争と平和の問題。その直接的な原因は原爆を子どもの頃に心の中で追体験したことによる自我「毀損」でした。
圧倒的な暴力。圧倒的な殺戮の力。原爆。少年期の私の心は耐えられなくなり自己崩壊の一歩手前まで行きました。大学で心理学を学んだのも、こうして政治の世界に身を置かせていただいているのも、原爆の恐ろしさから愛する人たちや自分が逃れたいという、心が壊れんばかりの衝動があるからです。
核廃絶を訴え、「隠されたヒバクシャ」の問題を世に訴え続けているのも
そのような背景があってのことです。
昨日、東京高裁が判決を出し29人の被爆者の方々を被爆認定し政府に全員の救済を迫りました。
この裁判は、広島・長崎の被爆者30人が、国による原爆症認定却下処分の取り消し等を求めた訴訟で、東京高裁は本日、29人を原爆症と認める控訴審判決を言い渡したものです。被爆者側は、69から89歳の16人と、死亡した14人のご遺族です。被爆から既に64年が経過することも考えれば、救済拡大と迅速化は待ったなしです。
これまで日本政府が採用してきた被爆の認定基準そのものが不合理なのです。直接被爆の狭い基準。死の灰や黒い雨に曝された人たちは、長い間、放射能の脅威にさらされ、間接被爆であっても深刻な影響を受けています。にもかかわらず原爆症の基準の外に置かれ続けてきました。
なぜ、そのようなことをするのか?
そもそも放射線の安全基準はどうして作られたのか?
自著「平和」において広島の平和研究所の高橋博子さんが対談でも明らかにしてくださいましたが、基準そのものが「原爆を落とした国」が作ったものなのです。
アメリカは長い間、空中どの高さで原爆を爆発させたかも公開しませんでした。
「無辜の市民を大量殺害したことに対する非難を弱めるためには、原爆の
惨禍をできるだけ少なく見せる必要があったのではないか。」
これは平和問題に取り組む 友人の言葉です。
被爆という人類が誰も経験したことの無い惨禍にみまわれた方々が、原爆症という凄まじい病気と戦いながら救済と真実を訴えてこられました。その祈りにも似た行動にどうして国は答えられないのでしょうか?放射能の影響による苦しみを少しでも軽くすることをどうして決断しないのでしょうか?原爆による被爆という「絶望」のほかに、国の無理解と言う「絶望」をどうして与えるのでしょうか?
隠されたヒバクシャの問題に取り組むことは、平和そのものの問題に取り組むことです。そして放射線の基準がどうしてつくられているか知ることは、被爆者の方だけでなく、全ての人類の命の問題に関わることです。
今日、国会では、天下りや税金の無駄遣い・基金などを満載した補正予算が採決される予定です。
「亡国の予算だ。」友人たちと徹底的に追求を続けてきましたが、3分の2の衆議院の大きな議席は圧倒的な議席です。参議院本会議で否決された後、衆議院の予算に対する優越性をもとに可決される予定と報じられています。