2009年03月24日(火)
正念場の一日・子ども達のために

 
【正念場の一日】
解散の迫ったこの時期に次期総理と目される野党第一党の代表の秘書を形式容疑だけで逮捕した事に説明を求める声が強まっています。

 検察の説明責任の意義。
 政治資金規正法の立法趣旨。

 「小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明~民主党、自民党、マスコミにとっても正念場の1日」と題して元特捜検事の郷原信郎先生が日経BPに投稿されています。

 年金未納問題の時を思い出します。未納は役所のミスで全く責任もないのに、当時の菅民主党代表は未納の責任を問われる形で辞任に追いこまれました。ずっと後で政府が認めたことですが、菅さんは自分のミスで未納とされたのではなかったことが判明しました。しかも社会保険庁の職員が違法に年金記録を覗き見していたことがわかり処分までされました。

 しかし、官僚の卑怯なリークを鵜呑みにしたメディアは、「未納の菅さんが代表を辞めないのは悪だ」と決め付けました。菅さんのパートナーである信子さんは、心労から倒れてしまいました。菅さんも、心の置き所がなかったのでしょう、その後、お遍路さんに出ました。

 「ガダルカナル化」する検察。政治資金収支報告書に記載されていない闇献金は見逃されて、きちんと開示していた者が処罰されるのであれば、正義はありません。いつでも検察に気に入らなければ逮捕されるのであれば民主政治の健全な担い手は消滅してしまいます。

 検察が言うことが正しいと違法なリークで世論誘導されることを許すのであれば、そもそも法の前の平等も成り立ちません。裁判員制度も前提が壊れてしまいます。
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【子供たちのために】

大学で心理学と社会学と法学の3つの学問を学ぶことができました。
とても幸運なことでした。学問の世界はまさにフロンティアで真実の探訪への喜びに満ちていました。無限の可能性に挑戦する喜びは、何にも勝るものでした。
 
 学歴をどうこういうつもりはありません。それぞれの子どもたちが100%の力を発揮して自らを育んでくれればそれでいいと考えています。
ただし、一方で情報格差や教育格差によって選べる道が限られているとすれば、それは変えなければなりません。等しくチャンスを与えられるべきだと思うからです。

 18歳の時から東京に出してもらって感じたことは、同じ学習内容を教えてもらっているのに、どうして学力に差が出るのかということです。東京大学の友人と佐賀の高木瀬小学校の友人に潜在力の差があるとは思えませんでした。寧ろ、伸びる糊代は、佐賀の友人の方が高いのではないかとさえ感じました。

 では何が分けているのでしょうか?
一言で言えば、「学びそのものを教えること」の違いのような気がしてなりません。それは一定時間以内に復習をすれば記憶の定着率が良くなるなどという技術的なものから、多様な価値観に触れて視野を開くという人間の本質的なものまで、様々な段階で差があるような気がしてなりません。

 本物に触れる機会、学びを科学する機会、美しいものに触れる機会。
20代の頃から佐賀に多くの機会を創ろうと教育フォーラムを立ち上げ活動を続けてきました。悩ましいこともありました。それは私が政治家になっているために、政治的中立を心配する声から子どもたちに「教育者」として接する機会を持ちにくくなったことです。

 今でこそ、政治家がNPO活動をしても自然に受け入れられますが、以前は選挙目当てだろうとあらぬ誤解を受けて苦しんだこともあります。

 未来を創る子どもたちともっと接したい。世界を回って知ったことを伝えたい。子どもたちの秘めた可能性を引き出すことが、もっとできるのに・・・。
大串代議士らとも話をしていてます。
 「毎月少なくとも一回は、政治家としてではなく、子どもたちを育む一人の親として佐賀の子どもたちに接して、子どもたちの力を引き出すお手伝いをできないだろうか。」と。