2009年03月02日(月)
宝の海を取り戻そう!
【福岡高裁に】
有明海漁民、諫早湾干拓訴訟弁護団の皆さんと一緒にこれから福岡高等裁判所に行ってまいります。
今年の有明海は赤潮が出て厳しい状況です。諫早湾干拓のギロチンが宝の海を壊してしまいました。佐賀地裁が開門を求める判決を出し、佐賀県議会が全会一致で開門調査を求めているのに、今の政権は聞く耳を持ちません。先日も判決を不服として控訴した当時の法務大臣に総務常任委員会で開門を強く求めました。宝の海を守ろうという皆さんの願いが届き勝利するものだと確信しています。
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漁民、原告団の皆さんと集会。私も一言挨拶をさせていただきました。
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どれだけ多くの人たちの生活が奪われ、どれだけ多くの人たちの命を奪ったか?子どもたちが突然、転向して出て行く学校。大鋸幸弘さんは、漁民を代表するリーダーです。静かな祈りのような意見陳述の後ろに、ここに来たくても来られなかった仲間への思い、有明海に生きるものの誇り、そして地域への深い愛情がありありと浮かびます。
無残な公共事業が、何の罪もない人たちに、どれだけ悔しい思いをさせてきたかわかりません。
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平成20年(ネ)第683号 工事差止等請求控訴事件
控訴人 国
被控訴人 松本正明ほか49名
意見陳述書
2009(平成21)年3月2日
福岡高等裁判所第1民事部イ係 御中
佐賀県藤津郡大良町大字大浦甲177番地1
原 告 大鋸 幸弘
1 私は、今日漁を休んでここにきています。
潮受け堤防の締切り後、漁業で得られる収入が激減しています。ですから、漁をこうして休むことは、私たちにとって生活をかけることであって、簡単なことではありません。仲間たちの中には、生活のために漁を休めず、今この場に来ることができない者もいます。その人たちの分も、私がここでお話ししたいと思います。
どうか聞いてください。
2 私は、タイラギ漁師です。
タイラギを取るために、私たち潜水士は10から20メートル海に潜り、海底を這うようにしながら移動します。ですから、私は、漁師になってからの36年間、潮の変化を肌で感じ、海底の変化をこの目で見てきました。
かつて、有明の潮流は、大潮のときだと、海底に足を着いた瞬間、私を3メートルから5メートル後ろへ押し流すほど速く、力強いものでした。私の体重が当時60kg、鉛を付けた潜水服と鉛の靴の合計は約50kgですから、合わせて110kgほどになります。私は、海底に両足の膝をつき、なるだけ体勢を低くし、潮の流れに抵抗するためぐっとふんばりながら、前進する必要がありました。
いま、海底に足をついても、潮流で体が飛ばされるようなことはほとんどありません。諫早の干拓工事が始まった92年ころから徐々に、97年の堤防締切り後は一層、体に当たる潮流の勢いが、弱くなっていったのを感じてきました。
潮流が弱くなったため、タイラギの漁場であった砂地に、諫早湾に近いところから段々とヘドロがたまり始め、その範囲は徐々に広がりっていきました。
明らかに有明海が変わっていくのが分かりました。
3 こうして、少しずつタイラギが立たなくなり始めました。
98年には収穫が激減。99年から2002年まで、4年続けてタイラギ漁を休業しました。2003年にタイラギ漁を再開したものの、タイラギの身は、以前と比べ格段に小さく、栄養失調のような状態でした。これでは商品価値はほとんどありません。2004年と2005年もタイラギ漁ができませんでした。漁のシーズン直前にタイラギが立ち枯れて死んでしまったからです。2006年のタイラギ漁も2003年と同様、十分な水揚げは得られず、2007年と2008年は、立ち枯れが多く、漁をしていません。
干拓工事前も、もちろん不漁の年はありました。でも、タイラギ漁ができない年は1年たりともありませんでした。そして、10年以上もこんな不漁が続くようなことなど考えられませんでした。
4 漁で得られる収入が激減し、私たち漁師の暮らしは一転しました。私には、子供が3人います。今は、皆成人して独立していますが、子供たちを養うため、瀬戸内海までタイラギ漁の出稼ぎに行かなくてはならないこともありました。
仲間の半数は、このように遠方まで出稼ぎに行きます。香川県で出稼ぎ中に、事故で亡くなった者もいました。やむを得ず、生活のため多額の借金を負う者も少なくありません。借金を苦に自殺する者もあらわれました。
大浦で生活していくことが難しくなってしまったのです。
このような苦しい生活を強いられるのですから、当然、漁師の後を継ぐ者はほとんどいなくなり、若者の多くが町を離れるようになりました。今年1月2日、私が16歳の時から毎年参加し続けてきた「はだか祭」が行われませんでした。祭りに参加する年頃の男たちが、このように大浦を離れたり出稼ぎに行ったりしていたため、人数が足りなかったことが理由です。
かつての有明の豊かな恵みは、大浦の漁師の生活に余裕をもたらすほどだったため、漁師の跡を継ぐ若者が絶えることなど考えられなかったことです。
有明海のことを身近で見てきた漁師として、私は、海を変え、私たちの生活を変え、大浦を変えていったのは、あの潮受堤防だと考えています。
違いますか。
5 早く開門して下さい。
水門が閉じ、海が壊れ始めてすでに10年以上経ちました。今すぐに開門したとしても、この海がまた元の豊かさを取り戻すには、きっと何年もかかると思います。開門が遅れれば、それだけ海の破壊が進み、再生のための時間がさらにかかります。
その間、私たちは、今の苦しい生活を続けなければいけないのです。
漁業離れや漁業従事者の高齢化が進み、若者は大浦を離れ続けます。大浦の文化や有明の恵みを受け継ぐ次の世代がいなくなれば、地域は消滅します。そうなれば、大浦がまた元に戻ることは不可能です。
6 私がここで述べてきた大浦の人たちの暮らしや地域の将来を、国は守ってくれないどころか、破壊するのですか。
私たちの生活は、防災や農業と同じ価値ではないのですか。
両立する道があるのだから、それを考えてほしいと、お願いしているのです。
このままではとても納得がいきません。
どうか、よろしくお願いいたします。
以上
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大浦の漁民、大鋸武浩さんの心からの叫びです。
無残にも黄色く変色したノリを裁判官に手渡されました。
それでも農水省は、理屈にならない理屈を延々と述べて、しかも裁判員制度用に導入されたパワーポイントまで使って、大鋸さんらの漁民の心までをも踏みにじりました。許せません。
裁判を傍聴して、国会での活動をさらに強化することを誓いました。
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意見陳述書
福岡高等裁判所 御中
2009年(平成21年)3月2日
佐賀県藤津郡多良町大浦甲535-2
大 鋸 武 浩
私は、13年ほど前から、大浦でノリ養殖をしています。私の父も、大浦で30年以上ノリ養殖をしています。大浦は諫早湾からの海流や北風のおかげで質の良いノリがとれる漁場でした。
しかし、諫早湾の潮受堤防の締切り後、大浦の漁場は一変しました。
堤防の締切り前まで、赤潮は、夏の大雨の後などにしか発生しませんでした。しかし、堤防締切り後は、12月の秋ノリのシーズンにまで赤潮が発生するようになりました。ここ2~3年に至っては、冷凍網のシーズンである1月2月にまで発生するようになっています。特に冬場の赤潮が、諫早湾に近い大浦、多良地区で多発するようになったのです。水温が低い真冬の時期にまで赤潮が発生するなど、以前では考えられないことでした。
このような赤潮の原因は、潮受堤防の排水門から排出される水以外には考えられません。
排水門から排出される水は汚水です。諫早湾に溜め込まれた水は、何日も使いまわして溜め込んだ風呂水のようなものです。
昨年2月7日と8日、その汚水が、北側排水門から排出されました。2日後の2月10日に赤潮が発生しました。
今年1月7日にも、海の色が突然おかしくなりました。ノリがみるみる色落ちし始めました。2日後の1月9日、水産センターから赤潮発生のファックスが届きました。水温8度で赤潮が発生するなど、どう考えても異常です。案の定、1月7日に300万トンもの大量排水がされていたのです。
排水門は、大浦の漁場と、目と鼻の先にあります。排水門の3本の塔が肉眼で見える距離です。排水門から排出される汚水は淡水であるため、海面を滑るようにして、あっという間に大浦の漁場を直撃します。しかも、いつ排水が行われるかは大浦の漁民には伝えられません。すべて事後報告なのです。そのため、いつ赤潮が発生するか不安な気持ちで、漁場に向かうのです。
ひとたび赤潮が発生すると、我々ノリ養殖業者は、逃げることも隠れることもできません。ノリ網はアンカーや支柱で固定されており動かすことができません。ただ赤潮が消えてくれることを祈るしかありません。
今年1月の赤潮は、大浦の漁場を1カ月以上も漂い続けました。堤防の締切りにより、潮の流れが緩慢になったからです。
私のノリは壊滅的な被害を受けました。水揚げは前年の半分に落ち込みました。何とか水揚げできたノリも、色落ちして「金髪」のようになってしまいました。
平年であれば冷凍網の一番ノリは1枚15円ほどの高値が付きます。しかし、色落ちしたノリは4.5円ほどの値しかつきませんでした。
それでも値がついたノリはまだましです。漁協に下ろしたノリは、3円以上の値がつかなければ焼却処分にされます。有明ブランドを守るためですが、ノリ養殖業者には1円も入りません。その上、箱代や検査料、漁協の手数料も負担しなければなりません。
このようなノリは、直接、加工業者に買い取ってもらうしかありません。私が水揚げしたノリの半分近くは、加工業者に1枚2円で買い叩かれました。色落ちしたノリが大量に持ち込まれたため、足元をみられて1枚1.5円で買い叩かれた業者もいます。
2月になっても赤潮は消えませんでした。2月17日、ノリ網をすべて撤去しました。400万円もの経費をかけて準備した今年のノリ養殖が終わりました。
次のノリシーズンまでは、夏場のアサリ養殖で食べていかなければなりません。しかし、堤防締切り後は、夏場の赤潮も従来の5~6倍は多くなっています。平成16年には、赤潮のためアサリが全滅しています。それ以来、せっかく撒いた稚貝も殆ど育たず、収穫できません。稚貝や砂の経費だけがのしかかっています。
私以外の養殖業者も状況は同じです。相次ぐ赤潮被害により、大浦の町は疲弊し切っています。漁業を諦めて町を離れる人も少なくありません。私も、何年か前、水揚げが100万円しかなかったときは、ノリ養殖をやめようかと思いました。
結局、諫早干拓事業は、国がいうような「公共事業」などではないのです。赤潮を発生させて有明海を破壊し、有明海沿岸の町を崩壊させる「公害事業」なのです。
私のノリ小屋から見える堤防の先には、かつて魚たちの貴重な産卵場所として「有明海の子宮」といわれた諫早湾が広がっています。今では、赤潮を産み出して、私たち大浦の漁民を苦しめている諫早湾です。1日も早く、あの堤防を開き、諫早湾や大浦の海、そして大浦の町をよみがえらせて下さい。
お願いします。
以上
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【私の総務委員会質疑も紹介されて】
弁護団の堀先生が、私の委員会質疑も引用されて意見陳述をされました。見事な意見陳述でした。
裁判官の真正面に座らせていただきました。
相手方は訴務検事です。同じ人物が判事と検事を経験する判検交流の弊害を国会でも取り上げてきました。農水省の「厚顔無恥な言い分」を無機質な声で読み上げる検事の声に底知れぬ嫌悪を感じました。
司法の力そのものが問われる裁判だと思います。
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平成20年(ネ)第683号等 工事差止等請求控訴事件
意見陳述書
2009(平成21)年3月2日
福岡高等裁判所 第1民事部 御中
一審原告ら訴訟代理人弁護士 堀 良一
1 本件控訴審の第1回期日では2人の漁民が,そして本日もまた2人の漁民が,あのギロチンと呼ばれた11年前の潮受堤防締切後の有明海異変の中で,如何に辛く苦しい生活を余儀なくされているか,そして如何に有明海再生の日を心待ちしているかを訴えました。
一過性ではなく,毎年毎年累積していく被害は,もはや漁民の生活を極限まで破壊しています。多額の借金,出稼ぎ,転業,家庭崩壊,夜逃げ,自殺,それらが日常の現実として襲いかかる漁村は,もはや地域社会としてなりたちません。本日,大賀幸弘さんは,有名な大浦の「はだか祭り」が,担い手がいないために中止になったと述べました。累積する被害は,文字通り地域社会を丸ごと破壊しているのであります。
大賀武弘さんは,深刻な赤潮被害のなかで,2月17日をもって海苔網を撤去し,今年の海苔養殖業が終わったことを述べました。同じような状況が佐賀県西部の海苔養殖漁場全体を襲っています。従来,佐賀県の海苔養殖漁民は,有明海異変がもたらした海洋構造の変化のなかにあっても,人為的な努力が実りやすいという養殖業の特性を活かし,施肥をしたり,漁期を延長したりで,何とか堪え忍んできました。本件の原審においては,佐賀県で海苔養殖を行う幾人もの漁民が意見陳述し,佐賀の海苔は獲れているというけど,それはまちがいだ,自分たちが歯を食いしばって何とかもたせているにすぎないんだ,ということを訴えました。本年の事態は,佐賀の海苔養殖漁民の必死の努力すらあざ笑うように発生し,そうした漁民の訴えを非情な事実でもって証明しました。
有明海を破壊から再生へと歴史的に転換させること,それが掛け値なしに,文字通り待ったなしの課題であることは,いくら強調しても決して強調しすぎることはありません。
2 そしてその歴史的な転換は,原審判決が指し示した潮受堤防排水門の開門によってもたらされることを,前回法廷で3人の代理人が意見陳述し,理論面,原審の結審以後に行われた農水省担当者と国会議員とのやりとりの経過,原審判決に対する世論,自治体,国会の支持のひろがり,などに触れながら述べました。
先日も国会では,次のようなやりとりが行われています。2月24日,先週の火曜日に開かれた衆議院総務委員会での民主党原口一博議員と鳩山邦夫総務大臣の質疑応答がそれです。前回期日において,代理人の意見陳述で申し上げたとおり,鳩山大臣は,原審判決に国が控訴したときの法務大臣であり,控訴の際の農水大臣との協議の模様について「地球船」という雑誌に一文を寄せ,農水大臣が開門について腹を固めたので控訴したという内幕について書いています。これを踏まえての原口議員の質問でした。
鳩山大臣は,「佐賀地裁の判決は,とにかく数年後に全部開門しろという,自然生態系を最も重視するわたしとしては,なかなかいい内容の判決という部分もありました。ただ,実質は農水大臣が決めていく事柄で,話し合いをしたわけです」と述べながら,改めて農水大臣との協議について,次のように答弁しました。
「原口先生,生態系の破壊ほど恐ろしいものはないんですよ。そういう意味で,わたしは当時の若林農水大臣にそのことをさんざん申し上げまして,とにかく開門をする,開門を前提にしてそのためのアセスをやりなさい,その腹を固めてやってくださいよということを言いました。」
これを受けて原口議員は「大臣がおっしゃるとおりなんですよ。農水省はいろいろな理由をつけて,だから開門できないんだということを言っています。しかし,それは全部反論したんです。あとはやるかやらないかなんです。」と述べています。
現職大臣が,国会の委員会答弁で,開門こそが正しいと言うことを述べる。裁判外の状況は,いま,そこまで来ています。
原口議員の「それは全部論破したんです。あとはやるかやらないかなんです」という言葉は,この間,超党派の公共事業チェック議員の会の議員らとともに,農水省担当者を呼んでの勉強会を重ね,農水省に開門を困難とする理由を全て挙げさせて,それを一つ一つ丁寧に検討し論破していった経験を踏まえて,発せられています。
この議員勉強会は,原審の結審後に行われたものでした。その成果は,すでにこの控訴審において準備書面にまとめ,議事録も提出しています。
3 以上述べたように,本件においては,すでに漁業被害が極限にまで達しており,潮受堤防排水門を開門して有明海再生の道に踏み出すことはまったなしであること,その開門については原審の結審以降も議論が深められ,まさに「あとはやるかやらないか」だと国会議員をして言わしめるところまで議論が成熟していること,を踏まえた審理が求められています。
長崎地裁に継続している開門を求めた訴訟においては,すでに2月16日から争点整理のための進行協議が開始されました。
国はあろうことか,進行協議や争点整理は必要ない,開門に向けての和解協議をやる考えはないなどと述べました。これが一般私人間の争いであれば,如何に合理的な紛争解決の道筋であろうと,自説に固執して,その機会を棒にふるということもあるでしょう。しかし,公益を代表して訴訟にあたる国が,裁判所による争点整理が行われる前から,あらかじめ和解協議を否定し,紛争の妥当な解決の選択肢をせばめてしまうような態度では,司法をないがしろにするとの誹りは免れません。まして,本件は,訴訟だけでも多くの当事者が関与し,さらにその背後には数知れぬ漁民がいて,今も苦しみ抜いている社会的な大事件であることを考えればなおさらです。
本件控訴審においても,早急に,開門に関する争点整理を行い,必要があれば主張立証を促し,すでに紛争が始まって20年が経過するこの事件の歴史的解決に向けて,紛争の妥当な解決を使命とする司法がその真価を発揮していただきたい。それを通じて国民の,とりわけ多くの有明海漁民の期待に応えていただくことを心から切望し,わたしの意見陳述といたします。
以 上