2011年01月17日(月)
16年目の1月17日を生きて
 
阪神・淡路大震災から16年目の1月17日がまいりました。犠牲者の方々のご冥福を祈るとともにいまなお多くの苦しみと戦っておられる皆様に励ましをお送りしたいと思います。傷を癒し立ち直りを支えるために活動してくださいました方々に心からの感謝を捧げます。

 たくさんの人たちに一人一人向き合い肩を抱いて参りました。ある方は今尚、苛まされる恐怖の瞬間を。ある方は、目の前で冷たくなっていく大切な人のことを。ある人は、救えなかった自責の念を。私は黙って手を握り温めるのが精一杯の時もありました。それでも・・・ あそこから希望の光と輪が生まれました

 
 災害に備える地域の知恵 NPOを支える柔らかなネットワーク お互いがお互いを励まし合い、支え合う仕組み 私が民主党総務局長の時には、神戸でNPOフォーラムを開き震災の被災者を支える皆様をお招きして党大会を行いました。

 私が事務局長を務めている民主党市民政策議員懇談会。市民政策、新しい公共の原点は、あの阪神・淡路大震災の教訓の中にあります。

 総務大臣を拝命した時、まず行ったことの一つが災害への初動対応の対策でした。実際にシミュレーションを行って備えを体に覚えさせる必要がありました。

 16年前。私は総選挙に敗北し雌伏の苦い時を送っていました。厳しい時と言うのは、試練が重なるものなのでしょうか?私は酷い事故にあい、その後遺症に苦しんでもいました。不調で立ってもおられず。このまま30代半ばで夢を絶たれるのではないかと毎日、不安に苛まされていました。
 大震災の一報を受けた時に友達と連絡を取り合いバッグに衣服を詰め込みました。しかし、どうにも体が言う事を聞きません。血圧が不安定になり息が苦しく力が入らないのです。
 結局、被災地に駆けつけようにも体が動かず引き返しました。あの時悔しさ、申し訳なさを今でも思い出し苦しくなります。

 
 あの年は、耳を塞ぎ目を覆いたくなるような事件がたくさん起きました。その度に私の体調も悪化しました。「あなたは共感のチャクラが開き過ぎています。かわいそうと思って一緒に具合悪くなっていたら事はなせません。意識して胸のチャクラを開閉することを覚えましょう」

 佐賀県立病院の医師で漢方外来や気功でも有名な矢山利彦先生との出会いが私を導きの指標 を与えてくれました。大き過ぎる荷物に潰されることも焦りに声を荒げることも必要ないこと、春風のようにあり続けることを学びました。