2009年07月26日(日)
国連障害者の権利条約第4回特別委員会  アドホック委員会草稿
 過去2回、国連障害者の権利条約委員会に参加して、アドホック委員会で意見発表を行いました。
以下の文章は、第4回委員会の発表原稿草稿です。


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国連障害者の権利条約第4回特別委員会  アドホック委員会草稿
 労働と合理的配慮  ~日本の経験から   
民主党『次の内閣』規制改革/人権・消費者問題/子ども政策担当大臣      衆議院議員                       原口 一博

 民主党の人権担当NC大臣をつとめています衆議院議員の原口一博です。このサイドイベントで発言の機会を与えていただいたすべての友人に感謝を捧げます。私たち民主党は先の衆議院選挙で提示した政権マニュフェストにおいて、日本版ADA法・障害者差別禁止法の制定にむけた障害者基本法改正を公約とし、第159通常国会で障害者基本法改正案改正を実現しました。ここでは、その改正案をまとめた立場から「国連障害者の権利条約」の労働と合理的配慮について所感を述べたいと思います。
 障害者の権利は、全ての人に生まれながらにして備わっている自然権的な権利です。障害者は保護の対象ではなく権利の主体です。私たちが議論している国連障害者の権利条約は障害者の権利を保障するためのあらゆる政策に結びつくものでなければなりません。障害者本人中心の地域での自立生活を可能にならしめる諸権利と、その諸権利に基づく権利保障システムの総体を導き出すものが私たちの政策の到達点であるべきだと考えます。そして障害者の権利の根幹に係るものが、ここで議論する「労働と合理的配慮」です。なぜなら、労働は、自立の前提であり、労働に基づく納税は義務であるだけでなく統合された社会における市民の権利であるからです。
  
* 草案22条「締約国は、障害のある人の労働の権利を認める。」「締約国は、この権利を保護するための適当な措置をとる。」の文言はさらに進めて「労働は障害のある人の生まれながらにしての権利である。」「締約国は、この権利を保障するための適当な措置をとる。」との文言にすることを望みます。

しかし、現状では「労働の権利」は保障されるどころか、どのように侵害されているか満足な資料や統計さえない現状です。日本の失業統計でいう失業者は、調査員が各家庭を月末訪問して無業者であった者のうち、過去、一週間に求職活動を行った人のことをいいます。近年の失業率が落ちついているという報告がありますが、求職活動を諦めている者はこの統計にカウントされません。障害者は労働・教育の面で不当に差別されており、就業そのものを最初から諦めざるを得ない事態は改善していません。
私たちは政策のターゲットとなる指標を失業率ではなく就業率におくことを求めています。さまざまな理由から非労働力化している人々を労働市場に参加できるようにする、或いは仕事を通じて万人を社会に統合することが重要です。草案22条(a)項に続けて「締約国は、障害者の労働市場における就業状態を示す基本的指標として、「障害者就業率」(労働年齢期における障害者人口のうち、働いている障害者の比率)などの統計を作成すること。」を盛り込むべきだと考えます。
また、「合理的配慮」という用語は、作業部会草案の実体規定においては、4つの条文で明記されていますが、さらにそれらの条文に加えて、医療・消費・住居あるいはコミュニケーション(メディア・リテラシー)のように「自立した生活」に不可欠な分野について明示的に言及する必要があると考えます。
「障害はすべての人に起こりうる」「障害は障害者その人に属するのではなく、障害者と環境の間にある」「障害は環境因子によって大きく左右される」という観点から「合理的配慮」を提供するための締約国の義務が公的分野と私的分野の双方に及ぶことが重要です。
日本において、障害者の一般就労は伸びていませんし、多くの障害者は、月額1~2万円以下の収入で福祉的就労をし続けています。労働法規の適応を受ける雇用政策の推進が最も重要ですが、完全に立ち遅れています。
この遅れは、産業セクターや官僚セクターを代弁する政治があっても、人権をはじめとする社会セクターを代弁し強化する政治が弱体であったことに起因します。自社55年体制を支えたものは、産業の高度成長期における効率的な財の分配体制です。古い政治の時代は日本においても終焉を迎えようとしています。法と正義の基礎は人権です。私たち民主党は、人権を基礎とする社会的経済・市民セクターの形成を政策の最優先課題としていきたいと考えています。私たち民主党は「人がひとであるために」必要なものを保障するための社会改革を目指しています。

世界でグロ-バルな競争が激化しています。ルールにおける競争が競争の本質になりつつあります。バーチャルな世界で流れる貨幣は実体経済の何十倍にも膨れ上がっています。この乖離が進めば進むほど、貧富の差が拡大し、摩擦が増大します。私たちはミハエル・エンデが指摘したように「貨幣を腐らせる(レデュースさせる)」知恵を必要としています。
「合理的配慮」を盛り込むことをためらっていては、企業の存続も危ういのではないでしょうか。何故なら社会は人のためにあり、企業も人のためにあるからです。競争が自己目的化して、そこから得られる価値の指標が利潤と効率化だけであれば、社会は成立しません。障害者の人権を擁護しない行為は、人そのものを擁護しない行為です。
 スウェーデンのサムハルの例を持ち出すまでも無く、障害者の雇用における生産の向上や生活の向上は、障害者をとりまく環境の質によって大きく左右されます。「できないことが問題ではない、できることが大切だ」「所得を得て自立するということがどんなに大切なことかわかりますか?」「納税は義務だけではありません。権利です。」当たり前の権利を行使している障害者の方の声は力に満ちていました。
日本では第二次世界大戦後、半世紀近い長い間政権交代が行われませんでした。しかし、ようやく民主党の出現によってそれが現実のものとなりつつあります。私たちが政権をとれば、日本の人権政策は大幅に転換することなることを付け加えて結びといたします。
ありがとうございました。