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2001年5月14日 原口一博国会通信(24) DIGITAL SYOKASONJYUKU 首相公選制 (議会制民主主義の危機) 議会制民主主義は極めて重要ですがもともと簡単な仕組みではありません。堕落の道はいくらでもありますし、第一たくさんの議員が集まって統治をすると言うのは物理的に見ても簡単な話ではありません。 「議会制民主主義はかつてないほどの危機的な状況にある。」との声が強まっています。国会の現状も、精神的なストックとスタミナ、リソースを急速に消耗しつくしていっている状態です。膨大な浪費のスパイラル。「政治家や政策の賞味期限」もどんどん短くなっています。熟慮して、議論して、合意する、このプロセスが飛び越えられていくのは、とても危険です。「議会制民主主義の消耗」がもたらす危険についてしっかり議論し、どうすればこれを建てなおすことができるか道筋を示す、冷静で地道な努力が今ほど求められている時はありません。 (共同体崩壊と孤立化) 「情報が瞬時に無限大に広がる」情報社会。ヴァーチャルリアリティー。チェック&バランスも効きにくくなっています。一人一人が共同社会から切り離され、孤立化してしまえば、社会は安定を失い、「原子と原子の結びつきが弱い気体のような状態」になります。大きな煽動により一挙に一方向に流れる危険、「ファッショ親和性」の危険も高まります。 (いらだちと不信、疎外された国民主権) そういう時代の危うさの中で、首相公選制の議論が巻き起こってきました。「行政の長を首相公選制で直接選びたい。」「国会議員が選ぶよりも私達が選ぶほうがましだ。」多くの国民を置き去りにして繰り広げられる離合集散、政権のたらい回しに国民はうんざりしています。国民の86%が首相公選に賛成というのも疎外された国民主権を取り戻したいという「国民のいらだちと不信」の現れだと思います。 一方「議会制の中のメンバーが浮き足立って探し回っているのでは無いか。」と思えるような浅薄な公選制議論を国会議員自らがすることに、信じられないような思いを味わっているのも事実です。「私達は無能で信じないほうが良いですよ。」と国会議員自身が自己否定しているようなものだからです。 (国民主権の確立と首相公選制) 以上のような前提に立った上で私達は、「議院内閣制を前提にした首相公選制」の検討に着手しました。 現状では、国民は二重の意味で正当に主権を行使できていません。その第一は国会議員を正当に選ぶ権利が一票の格差により侵されていることです。(補助金や権限を利用した不公正な選挙の実態は、いよいよ政治を貶めています。)第二は永田町の論理、派閥による政権のたらい回しにより総理大臣の首が挿げ替えられていることです。「信任と責任」が乖離すれば、強いリーダーシップも期待できなければ長期の改革遂行も不可能となってしまいます。 東西冷戦後、新しい「システム」を戦略的に構築していかなければならない時にこのような事態を放置していることは、国全体が衰亡に直結してしまう憂慮すべきことだと思います。 首相公選制を導入して、「信任と責任を回復」させるリスクと、このまま国民不在の政治を放置し民主主義を危機に陥れるリスクとどちらが高いのか?それとも首相公選制導入よりももっとリスクの少ない改革が考えられるのか?冷静に議論を積み上げていきたいと思います。 (首相公選制と憲法改正) 首相公選制導入と憲法の関係は、当然ながら、しっかりと詰めなければなりません。必要最小限の憲法改正を行うというスタンスに立った場合でも、相当の議論を必要とします。拙速を排除しながら、どのようにして合意形成を図るか、慎重に検討していきたいと思います。 松下政経塾同期生の小田全宏君が「首相公選制の会」を主催して議論を整理する上で大きな力となってくれました。下記は彼の呼びかけ文の抜粋です。 【国民の手で首相を選ぼう】 この10年の間、1年足らずで総理が替わり、日本は失われた10年を過ごしました。 そして、今国民は政治に対して、大きな失望を感じています。 その最大の原因は日本のリーダーである総理大臣が国民の意志とは無関係に選ばれているからです。 私達の手で総理大臣を選べたら! アメリカの大統領選のように、きちんとした公約を掲げたリーダーを私たちの手で選べたら、私たちはもっと日本の政治を身近にとらえ、責任意識や積極的な政治参加をするようになるでしょう。また、首相自身も公約や国民の期待を無視できなくなるでしょう。 (中略) 一人ひとりの小さな1歩が日本を蘇らせることになると信じています。 一緒に新しい日本を創ろうではありませんか! ■ DIGITAL松下村塾〜原口一博国会通信 メールマガジン登録 |
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