2001年8月4日
原口一博国会通信(39)                         DIGITAL SYOKASONJYUKU

                    野にありて、人を導く

                  わが師―末次一郎先生

 中曽根康弘葬儀委員長のもと歴代総理、各界代表者が参列する中、師―末次一郎先生を見送りました。

 末次一郎先生は、日本健青会を創設して戦後処理問題に取り組み、「青少年の健全育成運動」に終生を捧げられました。青年海外協力隊の創設と発展への貢献・核兵器禁止運動・環境保全への貢献、沖縄返還運動、北方領土返還運動の先駆的指導者としての偉業。先生の存在は、常に私達の「範」であり理想でありました。先生は、「難民を助ける会」設立発起人の一人となられ、NGO活動支援の草分け的存在として国際的な救援支援活動を続けてこられました。また安全保障問題研究会を主宰され世界の平和活動を支えてこられた先生は、世界の指導者との親交もあつく、日本の指導者にも明確な提言・助言を与えてこられました。

 誠実一心。先生は、野にありて矩を越えず、栄誉を求めず、清貧そのものの方でした。必然とそのもとには多くの「弟子」たちが集まりました。自由で公正な視点から、これほど多くの若者を導いた人を私は知りません。

 先生のもとに集う若い「弟子」たちのネットワークがどれほど多くの勇気と智恵を与えてくれたかわかりません。志一つで20代で政治の世界に飛び込んだ友人たちで作った21世紀議員懇談会。古い政治の常識にまかれること無く、時代をきり拓く「人材」が輩出できたのも先生のおかげです。沖縄・北方問題、核廃絶問題、NGO活動支援など先生のご指導のもとに私も様々な活動を続けてまいりました。先生の対露交渉・交流を直接、肌で吸収するためにのぞんだサハリン・フォーラム2000、日露専門家会議。「稲穂の国づくりを育む」ための葉隠甚八会。人づくり、町づくり、国づくりをテーマに全国を飛び歩いた新樹会活動。衆議院議員になってからも毎月、先生のもとに国会活動を報告し、ご指導をいただいてまいりました。

 私がご縁をいただき20年。本当にかわいがっていただきました。目が飛び出るくらいにきつく叱っていただきました。「綺麗事ばかりを並べ立てるな。」「本質を見定めよ。」「芯をつくりなさい。」衆議院選挙に落選したときにも、五臓六腑を抉られるように叱られました。「負けるはずの無い戦いを自らの未熟で負けるとは、どういうことですか?」「自分自身と向き合いなさい。」私の至らないところをずばりと指摘し、完膚なきまでに叩きのめしていただきました。延々2時間半。憑物が落ちたような瞬間でした。

 当選の見込みも、職もない3年3ヶ月の苦しい浪人時代。先生は愛用の鳩居堂の便箋に墨で励ましの手紙をくださいました。慈愛に溢れるその手紙は、私の全身に力を蘇らせてくれました。不純なものが消え去り「魂が奮い立つ」ことを教えていただきました。

 先生が終戦直後、最初に取り組まれたのは、引揚げ促進、海外抑留同朋救出活動と留守家族への支援でした。その中には「戦犯」として各地に収容されている人々の家族の世話も含まれています。

 「おびただしい同朋の死。戦友の死。山野をさまよい「生き残った恥を雪ぐ為に自決する場所を探していたとき」に出会ったものは、亡くなった人達の声でした。鎮魂と平和の祈りのために身を捧げよと命じる声でした。」

 世界の恒久平和のために一身を捧げてこられた先生。先生の活動は、国家・人種・宗教の違いを超えて、人々への慈愛に満ちています。それは、虐げられた難民であろうが国際的に断罪された戦犯であろうが、分け隔てはありません。人の素晴らしさとともに、その愚かさも知り尽くされた先生。権力が歴史や事実さえも捻じ曲げて人々を抑圧することを目の当りにされてきた先生。

 現下の国際情勢を語りながら鋭く短い問いを発する先生の姿。大勢の若者達を前に、道を説く先生の姿。極寒の地に国益を問う先生の姿。その姿は、別れの涙ではなく困難に立ち向かう決意を示せとおっしゃっているようです。

 平和と鎮魂のご生涯に深く頭を垂れたいと思います。ご指導のご縁をいただいたことを心から誇りに思います。多くの感謝を行動に換えて、師の偉業の一端を担えるようになりたいと願います。

 NOT MINES 、 BUT FLOWERS
(地雷ではなく花をください。)

 NGO東京地雷会議‘97が開催されました。

「さあ 地雷ないぞ 走れ 子どもたち」この会議で決まった標語です。 

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