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| 2001年9月3日 原口一博国会通信(46) DIGITAL SYOKASONJYUKU パレスチナ難民キャンプ 8月18日、予算委員会中東派遣団の一員としてジョルダンにあるバカア・パレスチナ難民キャンプを訪れました。アンマンの北部約20kmにあるジョルダン最大の難民キャンプがバカア難民キャンプです。1967年の第3次中東戦争で住居を失った難民26,000人が翌年5,000のテントに住んだことがこの難民キャンプの始まりです。ジョルダンは、人口の44%をパレスチナ難民が占めています。 難民対策というと緒方さんが高等弁務官をつとめていらした国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)を思い浮かべますが、パレスチナ難民についての救済活動の主体は、UNEWRです。 1948年、イスラエル建国に伴う第一次中東戦争で、約75万人のパレスチナ人が難民として西岸・ガザ地区、ジョルダン、シリア及びレバノンに流出します。UNEWR(国連パレスチナ難民救済機関)は、これらの難民の救済を目的として国連総会決議により、1949年に設立、1950年から活動を開始しました。1967年イスラエルは西岸・ガザ地区を占領し、約35万人のパレスチナ人が流出しました。この中には、1948年にパレスチナを追われ、再び「避難民」が発生しました。(西岸・ガザ地区出身者。西岸地区はジョルダン、ガザ地区はエジプトの一部であったため、難民(refugee)ではなく避難民(displaced person)と定義しています。)紛争が勃発し、人々が住居を追われるごとにUNRWAは救済活動を拡大させてきました。 UNRWAに登録されている「難民」の数は、3、737,494人(2000年6月末時点)です。そのうち1,570,192人がこのジョルダンにいます。 半世紀以上も続く苦難の歴史。難民の中には、今でも自分の家の鍵や権利書を大切に保管している人も少なくありません。 さあ、いよいよバカア難民キャンプに着きました。ほんの少し前までは、コンクリートつくりの大きな建物が見えていましたが、ここバカアキャンプは、がらっと雰囲気が変わります。日本では、難民キャンプというとテントを想像しますが、ここでは一つの街が構成されています。ものすごい人、人、人。路上では子どもたちがたくましく働いています。 「子どもも働かなければ生きていけない現実」 バスを降りると独特の匂いが鼻を突きます。糞尿の匂い。すえた匂いです。この匂いがキャンプの現状を端的に象徴しています。 バカア難民キャンプの中にはUNRWAが運営する学校が8校あり、395名の教師(教員にはパレスチナ難民を雇用)が1万6千人の子どもたちを教えています。ここ第1、第2小、中学校は、1995年にわが国の援助によってコンクリ−ト建てに立て替えられた物で、2000名の生徒が2交代制で学んでいます。ちょうど夏休みで生徒の姿はなく、UNRWAのスタッフと先生が笑顔ででむかえてくれました。日本との友好の証の絵が掲げられていたり、子どもたちの書いた絵がかけられていたりという具合ですが、ここに来たくても来られない子もたくさんいると思うと複雑な気持ちです。理科室、コンピュータ・ルーム(古いデルコンピュータが5台ありました。)、図書室と熱心に案内してくれました。 先生に子どもたちの様子をうかがいましたが、争いのしわよせがここでも子どもたちを直撃しています。50人で1クラスですが、ぎゅうぎゅう詰での授業です。教室の壁には、迫害と戦うパレスチナの写真。戦いか死か。死と隣り合わせである現実が迫ります。 少し離れたところにある、母子保健センターに歩いて向かいます。ここは、医師10名、歯科医師1名、看護婦50名が一日平均1、200名を診察しています。人であふれた保険センター、ここもあのすえた匂いとは無縁ではありません。劣悪な栄養状態、追いつかない医療。「生きるための効率を高めるために予防医療に力を入れています。」と医師からお話をいただきました。どんな病気が多いですかと聞くと「うつ病」という答えが返ってきます。明日の知れない生活を極貧の中で耐えていくことが強いられます。人々が心を蝕んでいく姿が街の姿にだぶります。埃だらけの店先からのぞく顔はけして打ちひしがれている顔ではありません。こうして元気で働ける人しか生き残れないのかもしれません。 古びたソケット。綿。プラスチックの椅子。赤ちゃんを抱えた女性が物乞いに来ます。 子どもたちに囲まれて歩いているとUNWRAのスタッフが「あなたは、英語ができますか。ぜひ話を聞いてください。」「私たちが国際正義の実行されるのをどれだけの思いで待ちつづけているか。」と言って実情を話してくれました。苦難という言葉では表すことのできない現実。とてもここに書けるようなものではない話です。 最後に生活保護を必要とする難民の中でも最も厳しい環境にある家庭を訪問しました。出迎えてくれたのは、片目を病んでいる老人です。この家の主人でしょうか、いくつくらいか全くわかりません。難民の家は子どもが平均4人いると聞かされましたが、この家も女の子を頭に4人の子どもがいました。長女がカメラに興味を持ってじゃれついて来ます。手に持っているのはスナック菓子です。この難民に多い病気の一つが「糖尿病」ということですが、劣悪な栄養環境を考えると納得がいく気がします。 4人の子どもの様子が気になります。上二人はとても元気ですが、小さいこどもの元気がありません。特に末の子は、隅の方でうつむいています。4歳にもならない子だと思います。厳しい生存競争の世界では後から生まれた子に栄養が行き届きません。年齢よりも小さな体が痛々しくて涙が出ます。本当になにもない家です。せめて明日への希望すらあれば救いですが、悪化の一途をたどり激化する紛争。パレスチナ情勢をめぐる解決の糸口は閉ざされたかのようです。G8の国の中には非公式にパレスチナ難民の受け入れを表明している国があるそうです。「彼らの故郷」は、はるかかなたにあります。2000年を越える戦いの歴史が、一日も早く終息することを願ってやみません。 来年度予算のODAをはじめとする予算が一律10%減額方針を政府が打ち出しました。難民救済対策などを行う国連機関への拠出金も大幅削減が予測されます。 ■ DIGITAL松下村塾〜原口一博国会通信 メールマガジン登録 |
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