2004年9月1日
原口一博国会通信(132) DIGITAL SYOKASONJYUKU
KEDOカートマン事務局長と会談
アメリカの良心と寛容について
KEDOカートマン事務局長と8月25日、ニューヨークのKEDO本部で会談を行いました。カートマン氏は、朝鮮半島の平和の枠組みを創ってきた最重要人物です。
小泉第一次訪朝から2年が経過しようとしています。拉致議連副会長としても忸怩たる思いは隠せません。1994年、まさに当時の米政権は戦争を決断する直前までいきました。それをおしとどめたのがカートマンさんらの平和の枠組みへの努力です。1994年。一歩間違っていれば北東アジアは戦渦に包まれていたことでしょう。
私も率直に、置かれている立場を述べ、これからなすべきことの方向性について外交辞令抜きに議論しました。 拉致の問題について全容の解明と被害者全員の帰還、責任の追及についての強い姿勢を表明し、この深刻な人権侵害事件が国際法と正義によって裁かれるべき事件であるとの認識を提示しました。9月17日に向け日本の世論も予断を許さず、北朝鮮がずるずると10人の安否報告を避けていることが余計に国民感情を傷つけているとの認識も示しました。
北東アジアの冷戦は一刻も早く終わらせなければなりません。同時期に韓国を訪れた民主党議員団の一人が「小泉総理派政治的功名心で日朝国交正常化を図ろうとしている」と指摘したのに対してチェ・サンヨン先生は「功名心であろうがなかろうがやるべきことははっきりしている。それを笑うほうがどうにかしている。」と看破されたそうです。
「受け入れがたい事実がどんなに醜悪でもそれを解決していかなければならない。」との認識は一致しているのではないでしょうか。
KEDOがどうして創られたのか、そしてどのような使命を果たそうとしているのか。カートマン局長は、一言、一言をかみ締めるようにお話いただきました。1994年の枠組み合意に触れ、私と同じ認識を示されました。米政府外交官も務めた局長は1994年の戦争の危機を隠そうとされませんでした。彼らの叡智と努力により戦争は回避され雪解けの平和へと向いました。しかしその北東アジアが何故、また緊張を迎えるのか認識を共有できました。
2000年の新たな枠組み合意も彼らがあと一歩までこぎつけました。韓国の太陽政策も効を奏し、停戦合意から長く不安定な状況が続いていた北東アジアにも新しい時代が来るかに見えました。それが成功しなかったのは何故か。カートマン事務局長は、外交官らしく慎重に言葉を選びながら、GOOD PATH とBAD PATHの話をされました。
「GOOD PATH とBAD PATH 放っておいただけでもBAD PATHを選ぶ国。その国にどうすればGOOD PATHを選択させるか。」
私は日本が唯一の被爆国としていかなる核開発も是認できないことを述べました。孤立化政策だけで解決できない問題についても率直に意見交換ができました。「寧辺とその他二箇所の原子炉を再稼動したのは、電力生産のためで兵器を生産するためのではないと主張しているが寧辺の原子炉は電力生産とはまったく関係がない」という認識を私たちも持っていることを伝えました。
万が一、6ヶ国協議が破綻するようなことになれば、米国は国連安保理に持ち出すことをためらわないかもしれません。また米大統領選挙が終わるまで、北朝鮮はなんのアクションもおこさないかもしれません。残された時間は少なく、事態は予断を許しません。
米国の知性の最も尊い特性の一つである「寛容」に出会えた感激を直接カートマン氏に伝えました。テロの恐怖との戦いを私たちは共同して戦っていますが、テロの恐怖は、本来、心の中にあるものです。心の中にある恐怖を軍事力で戦い抜けるはずがないことも話しました。
KEDOでは多くの日本人も働いています。ニューヨークの一角で懸命に平和を模索する同志がいることに大きな感動を覚えました。
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