2004年9月18日
原口一博国会通信(140) DIGITAL SYOKASONJYUKU
大阪教育大附属池田小学校児童殺傷事件
子どもが被害者になるということ
大阪教育大附属池田小学校児童殺傷事件は言葉にならないほどの衝撃を社会に与えました。何の罪も無い幼い児童が次々と殺傷されたことに強い憤りを感じます。学校という最も安全とされている場所でこのような被害を防ぎえなかったことをただただ悔いるばかりです。この事件は、子どもたちが、どんなに恐ろしく、痛かったか、無念だったかを考えるだけで正気ではいられなくなるほどの凄惨な事件です。子どもたちの心身の傷がどれほど大きいか。残されたご家族の皆様がどんなに身を引き裂かれるような思いをされているか。時計の針が戻るならばどんなにいいかと思いました。児童の心のケアや被害者の救済に全ての力が注がれるべきだと考えます。亡くなった被害児童のご冥福を改めて祈ります。怪我をされた児童の一日も早い回復を祈ります。被害者ご家族へのお慰めの言葉をおくります。
この恐ろしい事件を起こした死刑囚の刑執行が先日行われました。最後まで真実を語らず、謝罪の言葉を口にすることはなかったと報じられています。「この世から消え去って欲しい。」というご遺族の感情は当然だと思います。罪の意識がないままに死刑が執行されたことに複雑な思いだというご遺族の言葉も報じられました。
昨年9月の刑の確定からわずか1年足らずの死刑執行が極めて異例です。刑事訴訟法は、第四百七十五条で「死刑の執行は、法務大臣の命令による。2 前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。」と定めています。しかし、現実には法務大臣が死刑執行命令に署名をせず、確定から執行まで7、8年を要するケースがあります。世界の潮流は死刑廃止にあり、国会でも亀井静香代議士を会長とする「死刑廃止を推進する議員連盟」が死刑廃止と被害者支援を強く訴えています。
http://homepage2.nifty.com/shihai/report/030524nichibenren/report.html
私も理性では、死刑廃止の流れを支持します。人をその死でもって罪を償わせること自体、疑問ですし、なんと言っても冤罪による危険を排除できません。死刑が真相を覆い隠し、贖罪を永遠に不可能にすることもあるからです。
この死刑囚については、直接会った事もないので確定的なことを言えませんが、接触のあったひとからの情報をつなぎ合わせると「度重なる暴力の連鎖が自我も他者の尊厳も否定して行った」ように思えます。自分をはなから否定している言辞が報道されています。自分のことを否定している人間は、死刑をもって罪を償うことさえできません。まるで自分の中の悪魔ごと自分を抹消してくれとでも言っているような時期の報告にまで接しました。
保護者から加えられた暴力によって、それが新たな暴力を生み出す「暴力の連鎖」は3割に達すると言われています。暴力を受けたからといって全ての人が暴力の加害者になるわけではなく、寧ろ様々な暴力に立ち向かっていっている人も多くいます。しかし、最も愛情の絆を求めたい保護者から受けた暴力・心の傷は、簡単に癒えるものではありません。
報告を見る限り、この死刑囚も暴力の被害者であったことは明らかなようです。自分を守る自我をもたない人間は、他者の尊厳も守れないのではないかと推察されます。そのような意味で、この死刑囚は残虐事件の被害者であるとともに、被害者であるという言い方もできるかもしれません。
社会は、この忌まわしい事件を一刻も早く忘れたいと願うでしょう。被害者はもちろんのとこ、凶悪事件の与える社会的心理的外傷は、深刻なものがあります。それを癒す近道は忘れることかもしれません。ただし、私たち立法者はそれで責任が済むわけでもありません。自らを導く自我をもたない「人間」の問題が浮き彫りになっています。このような人間の犯罪が、精神障害者のそれと混同されて、さらなる精神障害者への偏見と差別を生んでいます。
学説も定まらず、特定する言葉もありあせん。人格障害、あるいは発達障害、関係性の障害、「境界性人格障害」など様々な言い方をする人がありますが、言葉を与えればそれが一人歩きをして、また新たな偏見を生みかねません。他者の「悪意」を異常に増幅させ、自他への暴力の衝動を抑制できない自我。「切れる」という言葉がありますが、まさに切れたように考えられない行動をおこす人間。時には優しい感受性を持ちながらどうしてという事例もあります。その感受性ゆえに統合された人格を形成できずに凶行に走る。社会の病根がそれを一層拡大するという悪循環です。このような親族に悩む家族からの相談も近年増えているとされています。関係性の障害は、家族では却って解決を困難にする傾向もあると言われています。かといって社会に支える仕組みはなく、本人は孤立し状況はさらに深刻になっていきます。
暴力の対象が「小さい人たち」に向かうという信じられないことが頻発しています。頻発する子どもを対象とした虐待事件。これだけ連日の犯罪報道が氾濫している国がほかにあるでしょうか。報道に接してさらに傷つき、コントロールを失うという悪循環もあるように思えます。
暴力、小さい人への暴力は、最も恥ずべきことだという規範意識すら希薄になったのではないかと疑わざるをえません。
今、何をなすべきか。
児童虐待防止法改正案を通しましたが、まだ入り口です。行政と地域社会の連携も不十分ですし、「親権に阻まれて」子どもを保護できない事例も多くあります。意識改革、教育の変革、子どもの保護体制の整備など懸案は山積しています。社会で進行しつつある、この深刻な事態に総合的に対処する議論と対策が必要です。今改正では見送られた「親権の一時停止」も議論しなければなりません。
フランスの刑法222は、「女性、障害者、14歳未満の子どもたちに加えられる恒常的な暴力や虐待」を重罰化した法律です。子どもを虐待するということは未来を消していることにほかなりません。人間の尊厳を守るために、懸命に活動して行きたいと思います。
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