![]()
|
|
|
|
2005年3月27日 原口一博国会通信(152) DIGITAL SYOKASONJYUKU 「小沢一郎の政権奪取戦略」 平成八年十月の総選挙に新進党公認で立候補し、初当選をはたした原口一博は、地元佐賀県の先輩で、小沢一郎党首に苦言を呈していた愛野興一郎に要請された。 「小沢さんの隣にいて、強くサポートしてくれ」 党首補佐役に就任した原口は、一年ちょっと小沢と行動をともにした。 小沢は、理念型の政治家であった。口には出さないものの、古い世代のいる環境でリーダーシップをふるわなければいけない小沢は、その限界、悩み、ジレンマなどを抱えて苦労している様子であった。 平成九年十二月、小沢党首は、新進党を解党した。国会議員になってわずか一年、まだひよっこでヨチヨチ歩きの原口にとって、たとえるなら家も、会社も、親も失ったようなものである。大変なショックであった。 ただし、原口は、解党を決断した小沢を責める気にはなれなかった。 <まるで西郷隆盛を見るようだ> 明治維新の立役者の一人である薩摩藩の西郷隆盛は、大きな理想を抱いていた。が、勝利を勝ち取るたびに自分を慕う周囲の者たちの要求が増し、そのハードルも上がっていった。それにより矛盾が拡大し、幼友達であった大久保利通らとの征韓論議に敗れ、野に下った。ついには西南戦争を興し、敗北する。 原口らが目指したのは、簡単に言えば「依存と分配の政治」を「自立と創造の政治」にし、敗戦国からテイクオフするまでの理念と国家体制を示すことであった。 ところが、自社五五年体制下の古いの残滓のような体質を持つ一部が、自民党が持っている「依存と分配」のピラミッドを、同じように自分たちに置き換えようとした。それをやってしまえば、税の無駄食いは変わらないし、政権を握っている自民党のほうが強いに決まっている。 本当の革命が必要だとするならば、相手と同じ構造では実現できない。小沢一郎をもってしても、古い残滓の残っている新進党では不可能であった。政治は、一人で動かせるものではない。革命家なり、変革者は、自分と自分のチームをとことん信じ、改革の核となるチームが一体で突き進まなければならない。 それゆえ、原口らは、新進党解党時、さまざまな価値の総合体のような政党を作らなければいけないと強く感じた。 新進党の解党が決まったあと、松下政経塾出身の原口は、若手の仲間とともに「松下政経塾新党」を立ち上げようと考えた。 そのいっぽうで、やはり松下政経塾出身の松沢成文らに熱心に誘われた。 「もう一回、世代を越えて糾合しよう」 原口は、悩んだ。若手だけで三十人規模のコアチームを作れるかといえば、十人ほど足りない。それに、政治を動かすには若手のパワーだけではむずかしい。やはり経験をもった人たちの広い歴史観や国家百年の計といったものに対する洞察がないと無理だ。 原口は、もう一度力をためようという選択肢を選び、鹿野道彦や愛野興一郎、岡田克也らを中心に「国民の声」を結党。のちに旧新進党の仲間たちと党を統合し、民政党と再結党した。 平成十年二月上旬、新党友愛、民政党、民改連の三党は解散し、民主党に合流する構想が浮上した。 ところが、上のリーダーたちは何も行動を起こさなかった。原口は、歯ぎしりした。 <まるで、海の中を漂っているクラゲのようなものだ> 原口は、どのような政党名にするのか、だれをリーダーにするのか、どのような政策を中心にするのか、などについて前原誠司、樽床伸二、玄葉光一郎ら民主党の若手議員と夜を徹して話し合った。 むろん、民主党の菅直人、鳩山由紀夫、民政党の羽田孜らリーダーたちの理解があってのことだが、原口はおもった。 <プロモートする力が、こんなに弱いのか。つまり、コアチームがないということだ。逆に言えば、コアチームをきっちり作ればこの民主党でやれる。そういう同志を待とう> 平成十一年一月、小沢一郎率いる自由党は自民党と連立政権を組んだ。が、平成十二年四月、連立を離脱した。 その間、かつて原口の同志であり、これからますます活躍すべき人たちが国会から姿を消した。原口は、断腸の思いであった。 <残念だ……> このとき、原口は、自由党とはいずれ力を合わせる日がくると思っていた。ただし、合流に必要な信頼関係の構築、あるいは、抜本的に刷新すべき意志決定のシステムなどの刷り合わせには、時間がかかると見ていた。 平成十五年九月、民主党の代表選挙が予定されていた。原口は、代表の鳩山由紀夫、前代表の菅直人に代わる新しいリーダーを誕生させようと考えた。 <平時なら、鳩・菅のリーダーシップでもいい。しかし、国際社会は激動している。世界の国は、それに対応して国の外交や安全保障などをすべてチェンジしている。が、日本はまだ経済システムをテイクオフしている段階で過去の残滓をひきずっている。これは、時間との勝負だ。いまの民主党では、間に合わない> 原口ら有志は「第二期民主党を作る会」を作り、野田佳彦、前原誠司、松沢成文、河村たかしの四人が名乗りを上げた。が、一本化調整は難航し、候補を野田にまとまるまで一ヶ月も時間を費やした。一挙の世代交代への期待は萎み、流れは完全に逆転した。 舞台をつくる演出の役割をつとめていた原口は、情けなく思った。 <エサと友達の区別もつかないのか。こんな愚かなことでは政権は遠い……> 九月の代表選挙の結果、鳩山が三選をはたした。が、自由党との合流構想をぶちあげた鳩山は党内の反発を買って十二月に代表を辞任する。 原口は、鳩山の合流に懸ける純粋な思いは理解できた。しかし、いくら合流構想を訴えても、代表を退く鳩山にみんながついていくことはできなかった。 原口は思った。 <われわれからすれば、鳩山さんの考え方は古い。表でお見合いするような、そんな稚拙な政治はない。表で会って、眉が薄いの、目が丸いのと言い合っても、それで成るわけがないじゃないか> 原口、安住淳、渡辺周の三人は、自由党の達増拓也ら親しい三人と合流に向けて定期的に会議を持った。 両党は、自由で人間の尊厳を大事にし、自立と創造の政治を目指すという方向性は同じだ。政治の強さは、変化に対応できる即応力である。原口は、なんとしても合流を実現するつもりでいた。 詰めなければいけないテーマは、大きく分けて三点あった。 一点は、安全保障。二点目は、労働市場の改革も含めた経済問題をどうするか。さらに、三点目は教育である。 それをもとにした国家百年の計である憲法改正にどのようなスタンスをとるか。このすり合わせができないまま合流すれば、またしても空中分解してしまう。その部分を徹底的に詰めていく作業をおこなった。 原口は、達増らに訴えた。 「いま、民主党の代表は、良かれ悪しかれ菅さんなんだから、菅さんとしっかりとアイキャッチができるような関係を築かないといけない」 平成十五年五月、民主党の菅代表と自由党の小沢代表が会談し、合流構想はいったん白紙にもどった。 だが、原口らはまったくあきらめてはいなかった。達増らと「かならず合流する」という血判状のような盟約を結んだ。 水面下で、詰められるだけ話を詰めておけばいい。あとは、代表同士の決断だ。政治的に、もっともいいタイミングを見計らい、表で会い、一気に合流構想に突き進む。それが、原口らの戦略であった。 七月二十三日、菅・小沢会談が開かれ、急転直下、両党が合流することで合意した。 原口は、とりあえずホッとした。 <物心ついたころから夢見ているもの(政権交代の受け皿)が、少しかたちになってきた> 十月五日、民由は合併し、新民主党が誕生した。原口らの狙いどおり、民主党の支持率は上がった。 <政権への現実的な力を国民のみなさんが感じていただけた> 民由合併は、半分は成功し、半分は失敗したと原口は見ている。 成功は、かつて政権の中枢にいた小沢が加わったことで「民主党に政権を任せても大丈夫だ」と国民に安心感を与えることのできたリアリティの部分。 失敗は、平成十五年十一月の総選挙で社民党や無所属の候補五十人に推薦を出したことだ。本当に政権交代を目指すのであれば、三百の小選挙区すべてに公認候補を立てるべきである。民主党の小選挙区の公認候補が全員当選しても二百四十一議席を取れないマイナスからスタートしている。その結果として、比例選の当選者を合わせても過半数に届かず、最大のチャンスをみすみす逃した。 政策にしても、二兆円基盤のコメ市場に対して自民党の農業政策と同じことをサポートしている。それでは、農民は、民主党を支持できない。まったく違う大胆な農業政策があるはずだ。原口は、違うところで農家に夢や現実的な経営基盤を示すべきだと思う。 民主党には、いまだに五五年体制をひきずっているところがある。既存の制度のなかでいかに補助金を渡すかということをいっている限り、農民は支持しない。衰退する農業に歯止めをかけられれない。 戦略的に言えば、スピードも遅い。 原口は、民主党の規制改革、人権・消費者問題担当、子ども政策担当のネクストキャビネット大臣に就任した。この三分野は、一見違うように見えるが、人間の自由と尊厳というところで完璧に一致している。法律によらない規制がたくさんあり、まさに官僚主義経済である。これをぶっ壊すことに一直線になるべきだ。 平成十六年一月、河村たかしを中心とする勉強会が発足した。この勉強会は、小沢一郎寄りと見られている。 原口が思うに、小沢は、自らが主導してこのような動きに出たことは一度もない。自民党時代も、新進党時代も、そのカリスマ性を利用され、何かしようと企む人たちに足を取られてきた。今回、また同じことになれば合流した意味がない。 原口は、小沢には民主主義の学校の校長先生であってほしい。校長先生は、自分のところに入学した生徒を選ばない。その姿勢を貫いてほしい。今度、また利用されたら、小沢も同じ罪だ。 原口はおもう。 <われわれは、政権交代を目指して、それぞれの議員が一五〇%の力をつけないといけない。それなのに、保守だ、革新だと騒ぐのはいいかげんにしてほしい。純粋の勉強会ならいいが、もし変な意図があればぶっ潰さなければいけない> <安全保障が根本から変わっている。国家安全保障での違いを言い立てる指導者ではなく、国論の分裂を統合する指導者が必要だ。> 民主党内には、横路孝弘をリーダーとする旧社会系グループが存在している。左派グループとして異端視する向きもあるが、原口はそうは思わない。原口は、横路が会長をつとめる「市民政策議員懇談会」の事務局長として横路と議論を重ねている。官による公益の独占を排除してNPOらによる市民公益を実現していこうという考え方は、完全に一致している。横路は、まったくの同志であり、頼りがいのある指導者だと認識している。 国家百年の計である憲法改正を、どうするのか。二〇〇六年に草案を出すなどと言わずに、もっと早く出したほうがいい。問題解決能力を 失った「古い政治」が今なお排除されないことで社会の混迷と閉塞感が一層深刻になっている。ごまかしたり先送りしたりということができない状態であるにもかかわらず、 政策が中長期的な展望を持たずに切り張り的に提出されるために国家の迷走状態が続いている。さらに深刻なことに規制と官僚機構を利用した所得再分配は、膨大な財政赤字を垂れ流し国民の不安を増大させている。 国家百年の計と戦略、そしてそれを実践し司るヘッドクォーターと早急な意志決定のシステムが必要である。 民主党は、共有できる時間を徹底的に大事にしている。その部分で校長先生の小沢がどれだけ共有できるかが、これからの課題だと原口は思う。 小沢には、国家百年の計という大きなことを手がけてもらいたい。システムの中の駒として動く必要はない。餅は、餅屋だ。それぞれのところで光ればいい。 原口の世代と小沢は、国連に対する認識が少し違う。ただし、連合戦勝国に対して日本が「戦略的に国連はいらない」「大したことない」といった瞬間に何が起こるか。それを考えると、小沢や横路の「国連待機軍構想」は、原口らから見ると少し前の議論に見えるが、逆に現実的なのかもしれない。要は、国連を中心とした集団安全保障体制をどう構築し、そこに日本がいかに役割を果たすかということだ。 二十世紀の後半は、すべてアメリカの剣は折られてきている。タリバンもサダム・フセインももとはと言えば、アメリカに抵抗する勢力に対抗するためにアメリカにより支援を受けていた。日本も、アメリカの同盟国というだけで、平和を維持し、人権を守る努力を怠り、国際法と正義を守る務めを忘れれば、いつ何時、「折られるか」わからない。国連の敵国条項は95年決議で死文化したといえども削除はされていない。 小沢と横路は、国連待機軍の創設を主張している。国連待機軍は、国連決議における一つのシステムである。システムとして用意するよりも、原口は、むしろ集団的自衛権を認めたほうがいいと考える。削除 冷戦終結後、脅威の対象が根本から変質している。テロとの戦いは非対称の戦いだ。集団的であろうが、個別的であろうが、自衛権を区別して、集団的自衛権は行使できないとする合理的理由はどこにもない。 世界に対して何をするかといえば、やはり自衛の定義をもう一度つくり直さなければいけない。削除 いま一つ、国連待機軍は自衛隊法百条以降の国際貢献のようだが、原口は国際貢献という言葉自体、ありえないと思っている。 日本が世界で発言し、歴史を作り、主導的立場を果たすには、さらに能動的なものが必要だ。憲法を改正しないと無理だが、むしろ限りなくPKF(国連平和維持軍)のような活動をしたほうがいい。 しかし、国連が、人間の尊厳と自由を侵すものに対して国連憲章第五十二条の「国際連合加盟国は、地方的紛争を安全保障理事会に付託する前に、この地域的取極は地域的機関によってこの紛争を平和的解決するようにあらゆる努力をしなければならない」が発動されたとき、日本は何ができるかといえば、いまは何もない。そのときできるものを持っておかないと、かなり厳しい。 要は、世界で起こっている人権侵害に対して世界がどう向きあうかということだ。あるいは、圧制に対してどう向きあうか。 原口は、一国がプリエンプティブ・ディフェンス(先制的自衛)を取るということは、最高のコストを世界に対して払わせてしまう、もっとも愚かなやり方だと思う。他の国が、それを採用しないという保証はどこにもない。だとすれば、あまりにもひどい人権侵害や抑圧に対して向かい合う法的な手段が必要である。 「テロの恐怖に対する戦い」に勝利しなければならないと声高に言う者がいるが、この恐怖とは人々の心の中に巣食うものだ。武力によって解決できる範囲は極めて限られている。 アメリカに対して「世界の警察になれ」と言いながら、「おまえのところだけリスクを取れ」「アメリカが攻められても日本は守りません」と言うのは無理だ。そう考えると、平和維持のための国連待機部隊を認めるのに集団的自衛権を認めないというのでは矛盾を起こすと原口は思う。このテーマは、時間をかけて議論するということになっている。 原口は、民主党に小沢一郎が加わったことで変わったことが二つあると思う。 まず、結論に対して、より明確に責任を取ろうという風土が強まったこと。 次に、組織としての危機管理を有効に機能させようという意識だ。民主党は、一丸となって政府・与党と闘ってきた。が、政府・与党の姿勢を追及していても、「後ろからタマが飛んでこないか」と少し慎重に見ているところがある。背後にいる身内からタマが飛んできたら悲惨だ。政治家は、本能として絶えず確認している。 この一月、自民党前副総裁を破って初当選した古賀潤一郎が学歴詐称問題で民主党を離党した。党としての対応は、お粗末だった。みんなで同志を守るのは、当然のことだ。が、なぜリスクヘッジができなかったのか、原口には疑問である。民由合併によるシステムの移行期におこった事故なのかもしれない。が、リスクヘッジができなかったのは残念でならない。 民主党は、崩れかけている自民党から政権を奪うチャンスを迎えている。それなのに党内で内紛を起こせば、「壊し屋を入れたせいで、もう一度馬鹿なことをするのか」と国民からそっぽを向かれてしまう。 いまだに「保守」という言葉が好きな人たちもいるだろうし、その言葉がなければ不安に思う人もいるだろう。そのこと自体は、いい。小沢は、強大なカリスマだ。が、そのカリスマを勝手に利用して、ああだ、こうだと騒ぎ立てることは許されない。 ただ、小沢のそばには、バランス感覚に優れた達増拓也がいる。それに、新進党解党時は一期生でいわばヨチヨチ歩きであった原口も経験を積み、「この代議士なら、こういう判断する」ということがわかる。そこは、原口もあまり心配していない。 民主党は、平成十五年十一月の総選挙で五十八人もの新人議員が誕生した。彼らは、かつての小沢一郎を知らない。 「なかなかの人だ」 と素直に共感するものもいるだろう。 世間で言われているような変なイメージではなく、本当の小沢一郎の姿を見るチャンスである。 小沢は、原理・原則を大事にする。長期のスパンでものを考える。そこをみんなが学べば、こんなにいい校長先生はいない。 原口は、新進党時代、党首補佐役として一年間、小沢と行動をともにした。意外なことに「独断専行」「強引」といった強面のイメージが定着している小沢だが、じつは、優しくてナイーブな人物であった。 「面会を求めても、会ってくれない」 「ないがしろにされた」 という批判もある。が、小沢が政治家に会わないのは理由があるのではないか。会えば相手にも傷がつく。自身で判断すれば足りること、言わなくていいことをわざわざ口にする必要はないと小沢は思っている様に原口の目には映った。 小沢は、「一部自称側近が自分の権限拡大のために小沢を利用しても」優しいので黙認するという部分があったと原口は思う。しかし、それはもう許されない。 原口は、人間と人間の距離は大事だとおもう。原口は、逆にくっつかないようにしている。適当な距離を保っていたほうが、大きな力を発揮できる。小沢に対しても同じだ。子分として近づくということもしないで、同志としてやっていきたい。 小沢のような個性の強い人物は、自分を否定しようとするとき、まわりから否定していく。それゆえ、まわりが過剰な期待を持ったり、過剰な失望をしたりするのだ。 原口は、小沢に期待している。 <小沢さんには、民主党の弱点であった意志決定の遅さを克服し、その時間軸をもっと縮めるようにしてもらいたい。そして、政治風土の教育だ。日米同盟といいながらも、去年一年間、日本に来たアメリカの国会議員の数は一桁だ。完璧にパスをされている。世界の中で何をやるかという政治理念と長期的なビジョン、ネットワークの作り方などについて指導力を発揮する存在であってほしい> ■ DIGITAL松下村塾〜原口一博国会通信 メールマガジン登録
|
|
|
|