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| 2005年3月31日 原口一博国会通信(154) DIGITAL SYOKASONJYUKU 地方からみた規制改革 片山知事の挑戦―地方主権改革 冒頭、片山知事は、「地方で霞ヶ関と日常トラブルがあったり、(新たな座標軸で)活動している人間をよんで話を聞いてもらうことは、とても大切なことです。」「霞ヶ関はけっして中立ではありません。中立ではないのに中立だと誤解しているところに大きな問題があります。」「霞ヶ関の政治とは、違った対抗軸のお話をさせていただきたいと思います。」と述べられました。 以下の文章は、私が聞き取りをしたものを記しておきます。明確な理想と理念を持つ、「改革者」のお話です。 片山知事からいただいた課題の重さをかみ締め、さらなる行動に移して行きたいと思います。 まず第一に、少しでも自立しようと活動していますが、「分権、分権」といっているわりに、ちっとも自治体が一人前に扱われていません。例えば、地方債の発行についても国の同意・承認が必要です。これは当たり前のことでしょうか?借金をするときに他人の同意や承認が必要なのは限られた場合ではないでしょうか。何故、こんなことが必要か良く考えてほしいと思います。中央政府は、放っておけば、自治体は借金まみれになって破綻するではないかと反論をするでしょう。しかし、今、地方自治体は、国と同様破綻寸前です。許可を受けて破綻寸前になっていることをどう説明するのでしょうか?もちろん借金をするときに歯止めは必要です。その歯止めは、中央政府の規制ではなく納税者の意思そのものが歯止めとなるのです。住民の意思・手続きを経て地方自治の主人公である住民の同意をとっていくという仕組みに変えることが肝要です。 国立大学も独立行政法人になり、より裁量性が増えました。しかし、地元の自治体と組んでプログラムが組めるかというと大きな限界があります。例えば、救命救急センターですが、大学に既に設置されていれば、自治体が共同すれば小さなコストでさらに大きなサービスが期待できます。逆にいえば大学と共同せず、一から作るというのであれば、膨大な金を県が出さなければなりません。しかし、こんな当たり前のことも自由にできない仕組みがあります。自治体が国立大学に寄附をしようとすると中央政府の承認が必要となるのです。民間の人が寄附をするのには何の制限もありません。しかし、自治体が寄附をしようとすれば一々許可が必要なのは何故でしょう。 自治体は、弱い存在で巨大な国から声をかけられたら断れないだろう、大学から寄附を求められたら断れないだろうと言う考えで中央政府が「保護」しています。 地方財政再建特別法は、昭和20年代に自治体が破綻を続けていた時にできた法律です。特殊状況に対応して作った法律が今日まで生きていているのは、「国会の怠慢」ではないでしょうか?自治体が一人前扱いされず、国会の怠慢で古色蒼然とした法律が改正されなければ、どうして地方分権が実現できるでしょうか? 第二は、自治体の多様性が認められていないことです。鳥取県は、人口が一番全国で少ない県ですが、大都市から零細自治体まで一律の法律を適用する必要があるのでしょうか。 一律護送船団方式の発想が市町村合併の「愚挙」につながっています。人口1000人のところに同じように分権しようと思っても無理があります。(中央政府が)自治体を一律に扱おうとするから合併させなければ気がすまないのです。 では、どんな多様性が必要でしょうか?例えば、「全国どの自治体にも直接選挙で選ばれた首長を置きなさい。」とありますが、これでいいでしょうか?自治体の首長は、厳しい昨今の情勢を反映して、なり手がなかなかいない状況です。しかも、一般の市民には選挙に出にくい仕組みです。シティマネージャー制度を導入して、スカウトしていけばやる人はいくらでもいるのではないでしょうか? 議会制度も一律で違うのは定数だけというのは、本当に合理的でしょうか?議員の資格要件も一緒です。どんなに小さな自治体の議員でも 資格要件は国会議員と一緒です。小さな自治体では、サラリーマンをしながら議員をする人がいてもいいのではないでしょうか。公務員は議員になれませんし、サラリーマンの兼業は事実上できません。欧州では、学校の先生が議員になっているところもあります。畢竟、日本では、議員になれる人は、自由業の人に限られ、農業や土木業など特定業種の人たちが議員になる自治体も少なくありません。 「過剰代表」の問題が起きています。子育てなどは取り上げにくい状況が、一律の議会制度で起きています。市民生活の日常の課題と議会で論ぜられるテーマがずれてくることは危険です。小さな自治体ほどずれてきてはならないのに、選択や多様性が認められていません。 「選択性」が必要です。これは、地方における二院制ともいうべきものです。現在のようなプロとしての議員の集団があってもいいでしょう。これを一つの院とすると、もう一つの院は、市民が議員になるような市民議会です。 多様性を制度の中に内在させて選べるような仕組みをつくることが必要です。 教育委員会も全国一律で定数までも決められています。首長が議会の同意を得て選ぶと 選び方も一つでしょうし、教育の造詣の深い人を中心に選ぶ制度があってもいいと思います。 草の根で試行錯誤ができるような制度になっていません。全国一律のお仕着せなので、そのシステムが最善ならばいいが、悪ければ全部悪くなるというリスクに曝されてしまっています。教育を選択できれば、あそこいいなということで、「良い教育の連鎖」が起こります。 監査委員制度も同じです。定数4人で、うち2人は議員からも選べと決められています。残りの2人は学識経験者です。鳥取県でも議会議員が監査委員をしていただいていて、誠実に取り組んでいただいていますが、やればやるほど忙しくなり無理が出ている状況です。 監査委員を増やしたくてもできません。それは、法律で縛っているからです。 審議会の委員について、鳥取県では、「男性も女性も4割を下回らないようにしよう」と決めています。しかし、例えば、都道府県防災会議の委員は全てあて職です。何故、こんなことまで法律で決める必要があるのでしょうか?法律どおり委員に任命していくと全て男性になってしまいます。防災を考える上では、女性の視点が必ず必要になります。わかりやすい例で言えば、オムツや粉ミルク、生理用品などの備蓄は、男性の委員には思いつきにくいことです。 おせっかいに全部、中央政府が決めてくれているのです。都市計画審議会や建築審議会も全て決めています。自治体にもっと多様性や裁量を増やす必要があると考えます。 第3の問題は、中央政府が自治体に無駄を強要していることです。 補助金をもらって作った施設は、無駄な状態でとめおかれています。転用しようとすると補助金を返せと中央政府が言います。「期間が切れるまで当初の目的に使っていたふりをしよう。」「使うふりをしていていれば、無人常態でも文句を言われない。」とばかりに、休止している施設が全国でどれだけあるでしょうか? もちろん、無駄な公共施設を無際限につくり、どんどん転用させろと言っているのではありません。真剣にやっていて補助目的も達したというものについても、転用ができないことで資源が無駄にされていることを指摘しているのです。 使える施設はいくらでもあるのに、使えないという硬直的な運用を改めるべきです。 地方税制度も硬直化しています。税率は自治体ごとに行政需要との関係で決められるはずです。イギリスでは、固定資産税のようなものをレートといいますが、これは、毎年税率が変わるところから来ています。しかし、日本では一律1.4%です。「財政削減や行革をしようという気がおこらない。」制度が温存されています。こんなことを言えば霞ヶ関は「税率は自由ですよ」と反論するでしょう。しかし、固定資産税の税率1.4を3にしようとすれば、たちまち起債ができなくなる仕組みです。 与党税制調査会で細かいことまで全て決めてしまうのです。現在も3月の終わりに税法改正されて自治体が振り回されています。こんなことをいつまで続けていくのでしょうか? いろいろな法律が制定される時に基本計画を求めるものが多くあります。中身のない法律に限って計画を求める傾向です。計画を決めれば事業を盛り込まざるを得ないので、また無駄が拡大します。不必要な資料要求もたくさんあります。法律に基づくものではない 通達がどれだけ発せられているでしょうか。 そんな通達など断ればいいのですが「江戸の敵を長崎で」という言葉もあり、補助金をもらっているので、従わざるをえないこともあります。 宗教法人など全ての宗教法人から毎年1回報告を都道府県が受けることになっています。 オウム真理教事件の異様な状況の中で作られた改正案に基づくものです。しかし、その報告資料を 調べてみるとほとんど必要ないものばかりです。しかし、提出しないと催促しなければなりませんし、出さないとこころには過料が課されることとなります。積んどくだけの資料。膨大な資料作成の負担。ここでも大きな無駄が放置されています。 「国会で良く吟味してほしいと思います。」 寝屋川市事件(侵入した男により教師が刺殺される事件)でも過剰に反応して、全ての学校に警備員を置くという法律をつくることになりはしないか心配しています。何か異常な事件が起こると過剰な法律をつくる。このようなことに国会議員は自制を働かせるべきです。 寝屋川市の問題は、地元の警察とどうして安全を確保していくかということが大事な問題です。それぞれのところで考えればいい話を全てに広げるのはおかしいと思います。 一つのことで何かまずいことがあれば全体を規制する法律をつくる。こんなことはいいかげんに止めなければなりません。 大阪市の職員労働組合の問題は、とんでもないことです。職員に生命保険を税金で賄うなどあってはならないことです。しかし。あれは大阪市の問題です。これをもって全部の自治体の給料を取り締まろうというのは「過剰規制」です。全てに網をかけることは、何の意味もありません。それぞれの自治体で透明性が確保されるシステム改革ことこそが必要です。 政府の役割と自治体の役割が峻別されていないのではないかと思います。分権一括法で通達行政は終わったはずなのに、役人が勝手にいろいろなものを出してきます。自治義務についても通達が出てきます。国会でどんな通達を出しているかしっかりと見張ってほしいと思います。対等になったといっていますが、霞ヶ関が一番上で県が次、市町村がその下という霞ヶ関の意識は変わっていません。 「必ず県をかませる」必要もありません。例えば、分権とは程遠いつまらない表彰、 「中央官庁にとって都合いい人」を表彰する場合でも知事がかむことになっています。知事が、本当は表象したくない人だっているかもしれません。「中抜きで勝手にやってくれ」と言いたいと思います。 規制改革の仕事は政治の仕事です。しかし、規制改革特区は役人がやっています。 役人は権限が多い方がいいのです。役人に自らの権限を減らすことを期待するのは木の上で魚を取れと言っているようなものです。 構造改革特区は、近年目立ったものがありません。遅々として構造改革が進んでいません。それはなぜか?規制改革は国会議員の仕事だからです。 自治体が財政破綻の危機に瀕しています。その問題解決として政府が打ち出したのが合併です。しかし、忘れてならないのは、自治体の規模ではなく質に問題があったということです。 自治体の財政破綻を自治の現場において許したのは地方議会です。議会が市民の代表になっていないことこそ問題なのです。役所の代弁者になっていて健全な市民が代表されていない、勤労者が代弁されていないことを問題とすべきです。健全な納税感覚を持った市民が代表されるためには何をすればいいかを考えて欲しいと思います。 柔軟で賢明な選択ができる仕組みこそが必要です。片山知事のご提言を受けて直島次の内閣「規制改革」担当大臣と相談し、具体的な法制化や制度改革に取り組むことを確認しました。 ■ DIGITAL松下村塾〜原口一博国会通信 メールマガジン登録
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