2005年4月4日
原口一博国会通信(157) DIGITAL SYOKASONJYUKU
日本人の力
− 安全保障についての基本認識 −
東京財団の企画で2003年にインタビューを受けました。「日本人の力」に掲載された記事です。あれから2年。私たちの国の外交は「当事者能力を喪失したかのように見えます。」「孤立を深めているのは、北朝鮮ではなく、日本ではないかと思います。」という不安を耳にすることが増えました。
外務省改革は、外務省官僚制度の改革を言うのではありません。政治の改革を指す事をもう一度確認しておきたいと思います。
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『日本人のちから』第2号(2003年10月)
二一世紀の安全保障体制をどう築くか
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原口一博 衆議院議員(民主党)
(聞き手・東京財団編集部)
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http://www.tkfd.or.jp/publication/reserch/chikara2_2.shtml
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日本の政治の
情報発信力は貧弱だ
−−民主党のなかでもニューリーダーと目されている原口議員に、日本の安全保障についてお話を伺いたいと思います。安全保障といいましても、広義の意味では、高齢化対策や犯罪対策といったものまでありますが、本日は、外交・防衛といった狭義の意味での安全保障について質問をさせていただきます。
そこで、個別具体的なケースについての原口議員の安全保障論も大変に興味のあるところですが、まず、「日本の安全保障の目標」というものをどのようにお考えになっているか、そのあたりからお話をいただけますか。
原口 「日本の安全保障の目標」を考える前提として二つの認識が必要だと思います。まず、国というもの、あるいは国民というものの力をどのように定義するかということで、私は、大別して三つの力があると思っています。第一に、私たちが持っている共通の価値観、理念、理想といったものの力。第二に、それを実現していくうえでの文化であるとか、組織であるとか、社会体制であるとか、そういったものが持っている力。第三に、いまご質問のあった外交・防衛といったものの力です。
次に、今日の日本国憲法は、戦後の国連の枠組みと並行してできたものであり、現在、そのなかにおいては想定されなかった事態が日本を取り巻く環境のなかで起こってきているということです。
そこで、こうした前提に立って、私たちが日本の安全保障の目標をどこに置くべきかといえば、前述した私たちが持っている理念や理想をどのように世界と共有し、あるいはそれを世界のなかで実現していくかということが、まず安全保障の第一の達成目標であるべきだと考えています。つまり、それは、日常の国際社会との相互的な交流のなかから生まれてくるものですから、私たちは常に日本という国が何を考えているのか、何を目指しているのかを正しく伝えることが、第一の大きな目標であるといえます。
−−私たち日本人が持っている理念や理想というもの、つまり、原口議員が抱いている理念ということになろうかと思いますが、それを具体的にお話いただけますか。
原口 これは私の政治理念ともいえるものですが、「三つの平和」の理想を掲げています。ひとつは、戦争や暴力、抑圧や差別の無い社会的平和の理想です。ひとつは、全ての生き物が自然の恵みを享受できるための地球環境平和の理想です。ひとつは、互いに支え合う豊かな文化を持ち全ての人々が心穏やかに共生する心理的環境平和の理想です。この「三つの平和」の実現が基本的な政策目標であって、そこから様々な政策課題やそれを解決する手順が生まれてくると考えています。
−−よくわかりました。
原口 ところで、先ほどの話の続きになりますが、世界のなかで、日本の政治の情報発信力というものには残念ながら厳しいものがあります。私は三年ほど前から、参議院議員の林芳正さんたちと超党派の議員集団で、日本版のケネディスクールのステーツマン・プログラムのようなものをつくろうと活動しています。それは、防衛という意味での安全保障問題に入る前段階として、私たち日本の主張とは何であるのか、私たちが世界に対してどんなコミュニケーションをしていくのか、アイデンティファイをしていくのか、ということが重要であると考えているからです。
ところが、こうした観点で日本の政治の現状を見ますと、やはり深刻ないくつかの問題があるのです。少し言葉遊びになるかもしれませんが、 マルドメ―まるでドメスティックで、もう国内のことしか見ていない。あるいは逆に“マルガイ”で、まるで外国人。あの国ではこうだった、この国ではこうだったと。じつはこうした状況があるわけでして、これでは日本の将来は危ういですよね。
世界のなかで同じ価値観を持つ政治的リーダーたちとどのようにネットワークを組んでいくか、これが重要なんですが、そういったシステムはほとんどありません。ですから私はこれを立ち上げようと、コロンビア大学のカーティス先生や政策研究大学院大学の皆さんと力を合わせていま進めているところです。繰り返しになりますが、日本のアイデンティティの伝播力や日本の政治的発言の有効性を高めていくことが、やはり、第一の目標となるのではないでしょうか。
日本は米国と安全保障の
新たなレジーム構築を
原口 二つ目の問題は、これまでの日本の政治においては、安全保障の問題ひとつとってみても、右か左か、保守か革新か、ということで不毛な議論が延々と続いていたという問題があると思います。
私は国会議員という法律をつくる立場になって驚いたことは、日米の安全保障の枠組みのなかで、共同して何かをやるという共通部分があるにもかかわらず、わが国では何をするかがほとんど決まっていないということです。有事にどう対処するかという法律が自衛隊法のひとつの条文でしかなかったという事実は恐るべきことだと思います。今回、緊急事態法を与野党で修正しながらつくりましたが、第二次世界大戦の同じ敗戦国であるドイツは、まず自分たちの国が緊急事態になったときに何をするかという基本法があって、そのうえでNATOと共同オペレーションをやるということになっているわけです。ところが、日本の場合はそうなっていないのです。
こうした状況の政治的背景には、やはり、右か左か、保守か革新か、といった不毛な対立が続いていたからですが、国の安全保障において国論が分裂するというのは、これは非常に脆弱な国であるといわざるを得ません。安全保障というものの基本的なスタンスは、予想されうる最大の危機を極小化するために必要な現実的な措置をとっていく、しかも最小のコストで最大の効果を上げるということです。つまり、これまでのまさに不毛な議論によって、この基本的なスタンスさえもが見えなくなっているということです。
戦後の日本の安全保障問題について簡単にいえば、厄介事に巻き込まれないというのが第一にあったと思うんです。したがって、自分たちの存在や自分たちの主張を極小化していけば厄介事に巻き込まれないですむと。だから緊急事態法もないほうがいいという論理です。
−−しかし、GNP五百兆円の国の存在が小さい、あるいは小さくするとは、とてもいえないですよね。
原口 もちろんその通りです。とくに冷戦後の世界にあって、これだけの経済規模のある大国が、世界の政治に巻き込まれたくないというようなことは許されないことでしょう。申し上げるまでもなく、冷戦後の世界というのは、米国というユニラテラルなパワーが国連をまさにバイパスして、自分たち独自の意思決定をするというようなかたちになっていて、安保理が瀕死の状態にあるというのが現実であります。
そこで、では私たちはどう行動すべきか、ということになります。米国というパワーを、日本を含めた他の国家と同列に論じるつもりは毛頭ありませんが、つまり、米国の発言力や影響力は他とはまったく違うという前提で申し上げるのですが、日本は、新たな安全保障のレジームを、米国と一緒に主体的に創造していくべきだと思っています。それにはやはり、日常の日米間の戦略的関係がきわめて重要であるということです。
米国は、グローバリスト、アンタイ・グローバリストで一三くらいのスタンスがありますが、私はそのなかで、私たちのリベラルな価値観と同様の人たちと一緒にネットワークの再構築をやっていくべきであると考えています。これが、私の安全保障の基本的な考え方で、冒頭に申し上げたことからすれば、安全保障の第二の目標といえると思います。
「人間の安全保障」
という考え方
原口 そして、第三は内なる安全保障の問題、つまり、「人間の安全保障」ということです。私は大学時代の専門が心理学でしたのでとくにそうかもしれませんが、これは重要な問題なのです。おそらく安全保障の究極の目標は、宗教や文化、あるいは、民族や国家といったものを超えた連帯や枠組みというものをつくっていくことだと思うのです。そのためには、私たち自身のこと、つまり、人間というものを知ることしかないのです。
私たちは、他者に対する攻撃性や暴力性といったもので自分自身も傷つけている。心理学者ユングの集合意識についての話はずいぶん人口に膾炙されてきましたが、私たちが「人間の安全保障」のなかで目指すべきは、集合意識のなかにネガティブなものをため込まないということなんです。これは民族、国家、宗教を超えてです。そして、そういうかたちの合意というものが大変大事になってきているということです。もちろんこれまでも大事であったわけですが、それを科学的に説明する言葉を私たちは持っていなかった。他者に対する敵意が自分をも溶かしていくということを、私たちは長年の知恵で知ってきたのです。
米国の新保守といわれる人たちは、非常にナイーブな人権意識といわゆる先制攻撃というパワーを結びつけたり、典型的な理想主義とコントロール不能なぐらいの大きなパワーを結びつけて、多くの議論を呼んでいます。私たちが人権の侵害というものを、力のない人たちに対する侵害というものを、どのようにして防いでいくかという議論はまだ始まったばかりなのです。
こうした「人間の安全保障」という問題は、日本の安全保障の目標という観点からは、迂遠なことのように感じられるかもしれませんが、これからの日本にとっては大きなテーマとなってくると考えています。
ところで私は、日本の国民の皆さんがいま一番求めているものは何かという調査を、民主党のもとで、三週間にわたってさせていただきました。いくつかのものが出てきましたが、ひとつは、どの層でも強い日本というものを求めているということです。そして、その強い日本を求めている背景には、子育てに対する不安であるとか、老後の生活に対する不安であるとかがあるわけです。
そこで申し上げたいのは、国民の皆さんにも自問自答していただきたいのですが、皆さんが求めている強さとは何であるのか、ということです。これは、いわゆる弱肉強食の世界の、ただ勝てばいい、相手を倒せばいいという強さではないということです。むしろ、強いということは、弱い立場の人が強く守られる、あるいは、強きをくじき弱きを助けるという強さなのです。
調査の二番目に出てきたものは、税金の無駄遣いに対する怒り、関心です。つまり、何が私たちの自立を妨げているかということを、国民の皆さんはよくご存知なのです。これは、予算の分配、規制、行政指導など様々なかたちで張りめぐらされた、分配社会主義といいましょうか、官僚社会主義に社会がもう耐えられなくなっていることの証左だと思うんです。ですから私たちは、いままでの依存と分配の政治、カネを配ることが政治であると思っている人たちの手から、私たちの政治を取り戻さなければならないと思っているのです。
グローバリズムの三つの危険
−−般的にグローバリズムが貧富の差を拡大しているといわれています。もし国がそのグローバリズムをある程度遮断していかないと、貧富の差を緩和することができないと仮定しますと、ご批判の官僚社会主義というのは、ある意味でグローバリズムを遮断して、貧富の差が大きくなるのをいわば緩和化しているのではないかと。
ですから、グローバリズムというものをどう評価されるのかということと、グローバリズムをもっと進める、市場化というものをさらに導入していくような政策が、官僚制というものを潰していく、あるいは、国家の分配権を弱化させていくところにつながっていくのかどうか、そのあたりのことをお話いただけますか。
原口 非常に興味深い質問です。私はグローバリズムがほんとうに貧富の差を広げていくとしたら、三つの側面があると思っています。ひとつは、貨幣、通貨です。本来、貨幣というものは、実際の物々交換という人間の営みのなかから生まれてきたものですが、現在では、モノの動きとまったく乖離したかたちで、その何千倍、何万倍ものバーチャルなマネーが動きます。バーチャルなマネーが動けば動くほど、実態は貧富の格差が広がっていく。
ですからミハエル・エンデが『エンデの遺言』のなかでいっているように、バーチャルな貨幣をどこかで一度腐らせる、減価させて現実に近づけないといけない、ということだろうと思います。ただしその方法は、市場に対して当局が恣意的あるいは不当な為替介入を行うということではなく、別の新たな基準を設けて行うべきだと思いますね。
グローバリズムの二つ目の側面は、富める者とそうでない者との違いが、国単位で起こってくることです。ではこれに対して何が必要かといえば、やはり、規制についての考え方を整理するということです。
人間というのは、生きていくうえでの最低のラインというものがあります。ここからここまでを満たさなくては生きていけないというラインです。つまり、食料や安全や環境、あるいは医療や福祉といったものは、経済や産業の競争がどれほど激しくなろうとも、守られなければなりません。人が人であるために必要な最小限の社会的保障や社会的規制は強化をしなければいけない。逆に競争力を問われる経済活動などに関しては規制の緩和、徹底した自由化が必要となります。ただし、有限なエネルギーであるとかを対象とした経済活動では、ここも規制の強化です。
私は、こうした視点から各国がそれぞれの国の規制を見直していただいて、お互いが目標を一致させる必要があるだろうと思っています。
グローバリズムの三つ目の側面は、人間としての本質、あるいは生き物としての本質の問題があるということです。グローバリズムというものは、結果的にストレスだけを増やし、お互いの個人個人の絆を希薄化させ、原子化させる危険性を持っています。個人個人の絆が原子化してしまうと何が起こるかといえば、ファッショ親和性が増す。つまりファシストに牛耳られてしまう危険性が出てくるということです。したがって、こういったことを防ぐ意味からも、私たちには人間同士の絆というものが必要であるし、コミユニティが必要となってくるのです。
だいたい以上の三つが、グローバリズムの持つ問題点についての私の答えです。
−−グローバリズムに関しての議員の基本的な考え方はよくわかりましたが、官僚的政治体制の打破という点で、現実の政治の場でどのように行動されようとしているのか、あるいはお考えになっているのか。
原口 ひとつは情報公開と説明責任です。このテーマを私たち民主党はずいぶん力を入れてやってきましたけれども、情報公開時代の到来までは様々な行政のブラックボックスがあって、そこにカビが生え、澱みのようなものが溜まっている。国民の視線という光を当てることでしかカビやダニはなくならない。
それが情報公開であり説明責任なんです。中央省庁再編基本法の議論の時にも、単なる説明責任ではなくて、いろいろな施策についてのアウトカムを数値化しなさいということを課してきました。これは大きなことです。
もうひとつは、官僚社会主義の様々な力の源泉というのは、「古い政治」と結びつかないと生きてこない。官僚機構そのものは、本来、ニュートラルなものですから。そこで、依存と分配の古い政治とどう結びついているかというと、特殊法人、公益法人なんです。官僚機構の後ろにあって、強力な応援団となっているわけで、霞ヶ関改革というよりもまさに虎ノ門改革が先決なんです。行政改革のひとつの大きなカギは、特殊法人改革にあるのです。
では次に、立法府は何をすべきか。ひとつは、やはり私たちのよって立つ憲法という問題は避けて通るわけにはいかない。国のかたちの基盤となるところですから十分に議論を重ねて、創憲をすべきだと思います。そしてそのうえで、日本版の行政監視委員というのを立法府内につくって、行政のチェック機能というものを高めていかなければならない。
三番目は、司法の改革です。いま私たちが取り組んでいるのは行政訴訟法の改革です。つまり、行政府が特殊法人や公益法人によって無際限に依存と分配の政治を広げるのに対して、司法と立法はほんとうにこれでいいのかというくらい足場が弱いのです。司法が弱いためにみんなが泣き寝入りをしている。
日本の裁判では、よく「国が負けた」とかいう表現が使われますが、国は負けないんです。なぜならば、みんなのものだからです。「何々政府が負けた」とか、「何々政権が負けた」という表現は他国にはありますが、日本ではそうではない。つまり、お上には逆らうな、お上のいうことはそのまま聞くべしということなんですね。これが日本の自由を奪っているのです。
時間の都合もありますので、質問には詳しくお答えすることはできませんでしたが、最後に申しあげたいのは、いずれにしましても、依存と分配の外にいる多数の人たちが、政治に対してこれまで以上のメッセージを発信していただきたいと思います。それが日本を変えていく原動力になると確信しております。
(二〇〇三年七月一五日インタビュー実施)
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