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2005年8月6日 原口一博国会通信(161) DIGITAL SYOKASONJYUKU 信教の自由と靖国参拝 荒ぶるものの外化と恒久平和の誓い 靖国参拝について、既に月刊誌やホームページ、テレビ等では考えを述べておりますが、改めて平和への祈りとは何か・信教の自由とは何かを述べてみたいと思います。 肥前風土記に「一云、郡西有川、名曰佐嘉川、年魚有之、其源出郡北山、南流入海。此川上有荒神、往来之人生半殺半。於茲県主等祖大荒田占問、于時有土蜘蛛大山田女、狭山田女。二女子云、取下田村之土、作人形馬形、祭祀此神、必有応和。大荒田即随其辞祭此神々、此祭遂応和之。於茲大荒田云、此婦如是実賢女、故以賢女欲為国名、因曰賢女郡、今謂佐嘉郡訛也。 肥前風土記に記されているように、古来、私たちは、自らの中に潜む攻撃性や理不尽な力、人を人でなくするような力を「荒ぶる神」として祀り、外化することによって、その力を鎮め、祓う智慧を培ってきました。 戦争犯罪人を裁き罪を下すというのは、法社会における決まりであり、智慧です。しかし、深く内省してみれば、戦争を引き起こす、いわば「人を人でなくする力」は、私たち自らの内に潜むものでもあります。誰かを罰すればことを足りるというものでは、毛頭ありません。 風土と歴史に培われた「平和への絶え間ない内省」こそが、和の国といわれる日本の風土の根幹に流れているのではないかと私は考えます。 戦争で犠牲になった方々に鎮魂の祈りを捧げることが、歴史認識の欠如とされることには、大きな誤解があります。祀るという行為は、崇めた讃えるということと同義ではありません。荒ぶる魂を祓い清めることは、すなわち鎮魂と平和創造への「日常」であったのではないでしょうか。 私は、深い反省と平和への祈りを込めて靖国神社に参拝いたしております。これは、信教の自由に基づく個人としての行為で、他者に強いるものでも、他者の価値判断に妨げられるものでもありません。 中国はじめ近隣諸国との関係を懸念して「何故、今の時期に靖国参拝か」との問いもありますが、うわべをつくろっただけの理解では、真の友好はないと私は考えています。 中国首脳とも何回も議論しました。『両国関係の友好のために「A級戦犯の祀られる、靖国神社に政府首脳(総理、外務大臣、官房長官)が公式参拝しない。」ことを申し合わせた。一般参拝や他の国会議員の参拝を問題にしているのではない。』とのお話も聞きました。 私は、戦時性暴力や中国人を始めとする強制労働の問題にも関ってきました。理不尽な暴力による被害は、救済されていないと認識しています。歴史を直視して、被害を受けられた方々に謝罪と賠償をすることは、国家としての当然の責務だと考えています。 北茂安の塩川さんはじめ、多くの心ある皆さんが、海外戦没者の方々のご遺骨収集事業を続けておられます。シベリア抑留や被爆者の問題も同じで、国家のために犠牲になられた方々に対して、国家が当然の手当てを行っていないとも思っています。 本来、祈りと戦争は全く逆のものです。国家神道と戦争が結びついていたことは動かしがたい事実ですし、反省と警戒が必要です。 しかし、現在において「祈る」という信教の自由までもが否定されかねないような風潮に危惧を覚えます。靖国―戦争賛辞という決めつけや判断中止は、大東亜共栄圏―正義の戦争という構造に似ています。 鎮魂の祈りを捧げることが、戦争賛辞だというのは、まさに短絡です。行為は目的に照らして考えられるべきです。単に参拝という事実のみを非難するならば、それは信教の自由に対する抑圧です。 戦後六十年を経た今年の八月十五日は、本当に大切な「不戦の誓い」の区切りです。 「太平洋戦争は一部の指導者だけに責任があり、日本人一般に罪はない」との言葉を貴貨として友好を築くということは、政治的知恵だったと思います。しかし、私たち日本人は、それだけで先の大戦を総括してしまってよいのでしょうか。日本を滅亡の淵にまで追い込んだ指導者の責任の重さはいうまでもありません。その一方で、戦争に向かうことを許した原因を矮小化してよいのでしょうか?国民や世界の人々に塗炭の苦しみを与えた罪の重さははかりしれません。だからこそ、われわれの内側に絶え間ない反省がなければ、また同じことが繰り返されてしまいます。 国連常任理事国の5カ国は全てが核の保有国であり、武器の輸出国です。日本は、核廃絶や軍縮をもっと強固に主張し、推し進めなければならないと考えています。 事なかれ主義を続けてきた結果、日本は近隣諸国に理解されたのでしょうか。だとすれば、今日のようないわれようはなかったでしょう。戦後六十年のあいだ、われわれはお詫びと反省を繰り返してきました。しかしその一方で、日本が行なってきた国際貢献は正当に評価され、知らされているのでしょうか? 故末次一郎先生が、アメリカのケネディ大統領がつくった平和部隊になぞらえて、青年海外協力隊を創設されました。そこでどれだけ多くの日本の若人が、世界に向けて行動し、傷つき、そして亡くなったか。おそらく非軍事部門では世界最大のはずです。湾岸戦争のときも、日本人は金だけ出して血を流さない、などと発言をする人がいましたが、軍事に偏ったこのような発言をこそ、われわれは警戒すべきではないかと思います。 松下幸之助氏は、中国の改革開放路線を全力で支援しました。私たちは、厳しい中で友好の井戸を掘った人の努力に報いなければなりません。しかし、それは他国に言われるがままに、祈りを捨てることではありません。 人間の尊厳と自由を侵すもの。それは、私たちの外にあるとばかりは限りません。短絡や決めつけが抑圧や差別、戦争を生みました。自国の歴史と伝統に対する深い愛情と理解がなければ、国際社会における真の友好関係も成り立ちません。自己同一性の不確かな、顔のない国では怖くて付き合えません。学ぶべきは日本の伝統と習俗です。警戒すべきは、他国ではなく、「内なる短絡」と「ファッショ」です。 ■ DIGITAL松下村塾〜原口一博国会通信 メールマガジン登録
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