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2005年8月10日 原口一博国会通信(168) DIGITAL SYOKASONJYUKU 日本の近代史 政党政治における財政金融指導者 高橋是清と井上準之助 第7回民主党「日本の近現代史調査会」において「政党政治における財政金融指導者 高橋是清と井上準之助」と題して、東京大学三谷太一郎名誉教授に講演いただきました。 冒頭、藤井代表代行より、「外は大変騒いでいるときに落ち着いた勉強会。戊辰の役のとき、福沢塾は鉄砲の弾の中で勉強することもあったくらいだ。国際金融網と国際政治網は大変結びついている。」との言葉がありました。 政党政治における財政金融政策の側面について2つの原型をつくった二人の政治家を取り上げてのお話でした。高橋是清と井上準之助の二人の国際金融家がその二人です。 この二つの流れは、現在の日本の政治にも形を変えて流れています。 両者の共通点は、@英米特に米のウォールストリートの当時の有力投資銀行と非常に強い関係をもっていた日本銀行出身の国際金融家である。A原政友会内閣をともに支えた財政金融家(高橋 大蔵大臣 井上 日銀総裁)B欧州中心から対米協調路線を明確に打ち出した原敬。財政金融面でそれを支えた。Cいずれもテロによる死を遂げている。 一方、異質点は、高橋がドイツ系ユダヤ人(KUHN Loeb&Co)とのつながりを持ち一国資本主義の薩摩系官僚の系譜を継いでいるのに対して、井上は、アングロサクソン系(J.P.Morgan&Co)で国際資本主義的志向が強いことです。高橋が積極政策、井上が緊縮政策というように反対の政策を持っています。 高橋是清は、日露戦争(1904年2月10日)を契機に登場した日本最初の国際金融家で、 少年時代から豊富な外国人との体験・海外体験があり、農・商務相・横浜銀行等で活躍、国内・国際両面の知識を持ち合わせていました。 日露戦争の戦費調達のための外債の募集を行ったとき、高橋は、当時日銀副総裁で帝国政府特派財政委員も務めていました。外債発行回数6回、外債発行総額13億円(1億3000万ポンド)という莫大な経費に対する危機感は、夏目漱石の「それから」に如実に示されています。外債依存の固定化と拡大・社会的病理に対する危機感・不安感を漱石は、「日本程借金をこしらえて、貧乏震ひをしている。・・・・・(中略)牛と競争する蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。」という描写で示しています。 久保利通以来の殖産興業政策の延長で欧米先進国との間で不平等条約・欧米先進国にとっての偏面的な自由貿易体制下、自由貿易帝国主義に組み込まれた日本の姿がそこにあります。先進資本主義をモデルとしながら、それと並立し、対峙しうる独自の資本主義。そのための経済政策として採用されたのが、殖産興業政策でした。 薩摩系官僚・森有礼・前田正名らを尊敬し、ナショナリズムに深く影響。松方正義に認められた高橋は、薩摩系と政友会との連合政権である第一次山本権兵衛内閣においても保護貿易論・自国産業の育成・国内市場の重視を唱えました。高橋にとってのアダム・スミスの歴史的意味付けは、自由貿易論より国民経済の提唱者として認めていました。フリードリッヒ・リストを先駆者として仰ぎ、外国資本の対日影響力は極小化すべき・ 国内収支は厳格にバランスさせなくても国際収支は、厳格に均衡を主張しています。 資本の自由化に対しては制限を課すべきという主張は、今の国会にもあい通じるものを感じます。「日本経済の対外依存度を極小化する。」という主張には、明治政府の経済的ナショナリズムの原則が見て取れます。国内・積極政策、対外・消極政策、輸入の極小化・輸出の極大化という特徴もその原則から導き出されています。 高橋財政のもとで円の低位安定化による輸出極大が行われ、輸出は顕著に伸びるものの対英貿易摩擦が起きました。これは、インドにおける繊維製品の洪水的輸出によって、イギリスのランカシャーの繊維産業が危機に陥いり起きたものです。 この苦い経験は、太平洋戦後もイギリスの対日政策に影響を与え、イギリスは、日本の経済的脅威に対する警戒感からGATTへの日本の早期加入に反対するほどでした。 外債依存・外資の流入に消極的 清国における「殖産興業」政策主導者である張之洞に忠告を与えたのも高橋です。日本は、アメリカ、イギリスの2大経済力を警戒すべきで、第3の経済力として東亜経済力を確立すること・日中において、日本の技術力と中国の労働力を有機的に結びつけることを目指しました。日本の軍事力を背景とする中国政策を転換させ、駐屯軍の撤退と軍事諸施設の撤去を目指したのも高橋です。 これはイギリスにいっそう警戒感を与えることになりました。日本は、中国における排他的経済力を日本が作り出すのではないかとの警戒感です。今でも、アメリカの一部指導者が、東アジア通貨圏など、アメリカ抜きの経済圏を警戒する文脈と似ています。 日露戦争と日清戦争の質的違いは、増税と外債発行が日清戦争では全く行われていないことです。戦争の規模といい対外依存度といい、この二つの戦争は全く質の違う戦争だったのです。 「国際金融家は時としては政府によって任命された大使よりも外交使節としてはるかに重要なことがあるものだ。」との言葉は重みを持って響きます。 井上準之助は、第一次世界大戦後に誕生した日本の国際金融家の第一人者で主役の交代が 高橋から井上に進みました。ドイツ系ユダヤ人であるジャコブ・シフ経営と高橋の関係は既に述べましたが、高橋はアメリカ及び日本がドイツに参戦することを高橋は極力阻止しようとしました。 それに対して連合国に金融・物資調達を行っていたモルガン商会に井上は近く、高橋の比重はドイツの敗戦をうけて低下していきました。 英米仏日4国国際借款団の設立を目的とするために来日したトーマス・ラモントに対して、日本側交渉責任者としてあたったのが、当時、日銀総裁であった井上準之助です。 ラモント・井上交渉で妥結をした背景には、両者が、信頼の絆を深め、国際金融資本の支持と信頼を井上が勝ち取ったことに起因します。 「彼は、近代日本のいわゆる自由主義者グループの優れたタイプである。満蒙留保方式に執拗にしがみつき、今なお政府を動かしている軍閥を解体する必要を政府にわからせるために彼は倦むことなく働いた。」 この枠組みは、東アジアにおけるワシントン体制を経済的部分において先取りしたもので、極東における門戸開放原則の維持・東アジアの国際政治の枠組みの中で大きな役割を果たしました。 「小国際連盟」ともいうべく、4国国際借款団を通じて井上は日米金融提携強化をはかり、吉田茂 は、日英関係を打開するために4国国際借款団は国際協調の最後の拠点と考えるとまでいいました。しかし、その2ヵ月後に盧溝橋事件が勃発してます。1920年代、30年代、日本には、巨額の英米資本が導入されています。そのほとんどがラモント・井上ルートでした。日米間の同盟関係という言葉が始めて使われたのもこの頃で、電力事業に外国資本が入り、日本が金解禁を行うためには、 ゴールド・リザーブが必要で、そのために英米の国際資本の対日協力が不可欠でした。2500万ドルのクレジット。南満州権益を経営するためにアメリカ資本が、金融恐慌収拾にあたっていた井上をパイプに流入していました。満鉄の米貨社債の発行計画をラモントが井上に託しました。 しかし挫折に向かいます。「井上は同じfinacial languageを話す。」といわれながらも、何故挫折していくのか? 井上の基本政策は (1) 当時のグローバル・スタンダードで金為替本位制に復帰。金解禁政策に政治家としての生命をかけ、第一次世界大戦後の国際資本主義に組するものでした。 (2) 金本位制の前提としての正貨準備を確保するための緊縮財政政策で日本の経済的対外信用に強い関心を持ち、当時の国際資本の要請が強く反映していました。 緊縮政策の要が軍縮で、浜口民政党内閣において緊縮財政を掲げる井上財政は、軍縮を掲げる幣原外交と緊密に結びついていました。 1930年 金解禁が行われ、ロンドン軍縮条約が結ばれましが、翌、1931年 には、満州事変が勃発し、軍縮が無意味・機能不全を起こし、金解禁政策が破綻していきます。 右翼テロが浜口首相辞任後の第二次若槻内閣で起こり、民政党は、新しい政権構想を出しますが、新しい政権は軍部の諒解なしには何も意思を決定できないこととなっていきます。井上・幣原の排除と政友・民政大連合構想が並行していき、日本は急速に大勢翼賛政治へと向かいます。 「軍部を統制するより軍部にこびへつらう。」 「昨今となえられる所謂挙国一致内閣或いは政民連立内閣は、軍部を掣肘し統制せむとする強力なるものにはあらずして寧ろ軍部に媚むとするものなれば、国家の前途を思ふては到底賛することを得ず。この上軍部をして国際関係を無視してその計画を進むるが如きことあるにおいては国家は滅亡に瀕すべし。現政府は微力なりと雖も兎も角も今日あらゆる手段により軍部の活動を制御しつつある次第なり。」 1932年 上海事件そして井上暗殺。日本は一国資本主義へ向かいます。 明日、景色が一変するような変化を当時の日本も経験しています。金融の変化はどこの国も経験していますが、どうして日本は破滅への道を歩むことになったのでしょうか。国際的パラダイムチェンジに対応しようとした井上がいたのに、どうして挫折したのでしょうか?パラダイムの変化に対応できるその差はどこから来ているのか?私は質問しました。 2500万ドルのクレジットをえながら、どうしてそれが政治的パワーを持ち得なかったのか? 「全ての戦争の原因は、自国軍隊の海外への長期駐留に求められる。」との言葉もいただきましたが、直接的な答えはありません。 自由な経済を目指し、大きく門戸を開放することは、日本にとっての国是です。 しかし、そのことに対応を誤ると苛烈な反応に自らが振り回されることとなります。 ■ DIGITAL松下村塾〜原口一博国会通信 メールマガジン登録
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