2010年09月14日(火)
世界から見た佐賀 和の心と佐賀の知恵

 
世界から見た佐賀  温かな土の香り

自然の中の一部として人があり、歴史の流れの一場面として現在の私たちがあります。

 私たちは、地面から掘り起こされた花のように「根こぎ」であってはなりません。

私たちを育む自然と歴史、そして社会の中に、しっかりと根をおろしていなければなりません。

 歴史を顧みない政治が道を外れるのと同じように。

 佐賀の史跡を回ると、外国の文化を取り入れて上手に自らの文化に仕立て上げたものが少なくないことがわかります。徐福伝説や鑑真和上の足跡をたどると、大きな稲の道が大陸から続いていることがわかります。

 邪馬台国論争は、未だに決着をみえていませんが縄文・弥生・・・と続く環濠集落を有する吉野ヶ里遺跡を見ると卑弥呼の統べる古代の国の人々の営みさえ見えるようです。

 古来、私たちは、自らの中に潜む・攻撃性や理不尽な力・人を人でなくしていまうような力をも「荒ぶる神」として祀ることによって。その力を鎮め。和らげ、祓う知恵を培ってきました。


 「一云、郡西有川、名曰佐嘉川、年魚有之、其源出郡北山、南流入海。此川上有荒神、往来之人生半殺半。於茲県主等祖大荒田占問、于時有土蜘蛛大山田女、狭山田女。二女子云、取下田村之土、作人形馬形、祭祀此神、必有応和。大荒田即随其辞祭此神々、此祭遂応和之。於茲大荒田云、此婦如是実賢女、故以賢女欲為国名、因曰賢女郡、今謂佐嘉郡訛也。」

 「ある人はこういう。郡の西に川がある。名を佐嘉川という。年中魚がいる。その源は郡の北の山から出て、南に流れて海に入る。この川上に荒ぶる神があった。往来の人を、半分は生かし半分は殺した。ここに県主らの先祖の大荒田が占問いして神意をおうかがいした。時に土蜘蛛大山田女・狭山田女というものがいたが、この二人の女子がいうには、「下田の村の土を取って人形・馬形を作ってこの神をお祭りすれば、かならずおとなしく和ぎなさるでしょう」とのこと。そこで大荒田はその言葉のままにこの神を祭ったところ、神はこの祭を受納してついに和んだ。ここに大荒田は「この婦人はじつにまことに賢女である。それゆえに、賢女(さかしめ)という言葉をもって国の名としたいと思う」といった。そういうわけで賢女の郡といった。いま佐嘉の郡とよぶのは訛ったのである。




 肥前風土記のこの一節には、佐嘉の名前の基とされる土蜘蛛大山田女・狭山田女の伝説が記されています。荒ぶる神を鎮めた知恵をもった「賢女」(さかしめ)の伝説に和を尊ぶ佐賀の知恵を見る思いがいたします。