2010年04月17日(土)
幸福の黄色いハンカチによせて  夕張再生への誓いを胸に

 
 北海道夕張市は、平成19年3月より財政再建団体となり国の管理下で厳しい道を歩むこととなりました。この3月、総務大臣として夕張再生計画を同意しました。17年間もの再生計画。この計画をまとめ上げるまでの道のりも決して平坦ではありませんでした。市民の皆様はじめ市長さんらのご努力に改めて深い敬意を表したいと思います。

 4月なのに季節はずれの「雪」。実に41年ぶりと言います。
 東京地方の悪天候のため飛行機の出発が一時間遅れました。新千歳空港に出迎えていただいた藤倉市長さん自らがバスの中でご説明くださいました。

=== 視察日程概要 ====
 緑小学校・旧緑陽中学校・ツムラ進出予定地・南清水沢バス停待合所・南清水沢公営住宅・青陵浴場、清水小学校・平和運動公園・夕張医療センター・夕張市役所(市内関係者団体 議会・商工会・農協・連合 )夕張市長・北海道知事との意見交換・記者会見・夕張市農協・旧産炭地(5市1町)首長との意見交換・夕張市農業に関する説明・沼の沢夕張メロン農家視察

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 視察のレポートは、後ほどとなりますが、多くの「再生」への確かな足取りを確認させていただきました。空知地区の市長・町長さんらとも意見交換しました。

 地域を「貪った」ものは何か?夕張視察を通して問題の本質を垣間見た気がしました。昭和36年、12万近くあった人口は今では、1万1千人。東京23区より広い土地に、私の地元高木瀬町の人口より小さな人口。44%を超える高齢化率。しかも1600人以上が独居。

 炭鉱時代に創られたおびただしい数の老朽化した住宅。お風呂さえありません。銭湯も老朽化していて統合を余儀なくされています。寒冷の地。銭湯に通える距離におられない方も。 7つの小学校が1つに。4つの中学校も一つに。子どもたちの通学・学習に特段の支えが必要です。夏休みにICTを使って子どもたちと交流したいと申し出を行いました。

 努力で進出企業も来ています。しかし、公共サービス格差や住宅の問題が就業者を夕張から遠ざけてしまいます。
 
一つの都市が瓦解すると何が起きるのか。厳しい現実が突きつけられています。

 それでも希望の光は着実に射しています。。

 藤倉市長は、松下政経塾時代からの私の親友小田全宏君のお知り合いでした。佐賀にも深いご縁のある方で驚きました。明るく前向きなお人柄。何事にも挫けない強い意志に感激しました。
 
 かつて石炭で栄えた頃の大きな病院は、今では1階部分だけを使う医療センターに。土曜日にも関わらず医師や医療関係者の方々がお迎えくださいました。医療センターで格闘する医師の方々から、ケア付き住宅の要請を受けました。デイサービスなのでしょうか、高齢者の方々も出迎えてくださり、村上医師のご本を私にくださいました。

 夕張メロン、花畑牧場、40cmをこえるやまめなど川の資源。新千歳空港からも40kmという便利な位置。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭(ゆうばりファンタ)。夕張には再生への強い意志と暖かな絆があります。加えて優れた資源がたくさんあります。地域の創富力を高める材料には事欠きません。

http://www.city.yubari.lg.jp/index.html
 市役所には、「再生階段」と呼ばれる階段がありました。電気の節約を徹底した市役所。普段はエレベーターも使われていません。大きな市庁舎の上層階にも皆、階段を使います。
 この階段には著名人の激励の色紙がたくさん張られています。
 高橋知事、逢坂補佐官、藤倉市長、小平代議士とともに吉永小百合さんの色紙の前で写真を撮りました。「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地になったのも夕張です。

 私は「希望」という字を贈りました。