2010年02月08日(月)
歴史に正対する力~自著「平和」より引用

 
歴史に正対する力


 何故、あの戦争に突入したのか?3年8ヶ月もどうして戦争を止めることができなかったのか?
どこからがもう戦争を始めるほかに方法がない、引き返すことができない時点だったのか?どうすれば戦争をくいとめることができたのか?

「隠された史実・その時点での俯瞰的な見方・塞がれた声を拾わなければ、私たちは再びおなじような国家存亡の危機を迎えるだろう。単に無謀な戦争に突入していった愚を責めるだけでは、その誤りさえ繰り返してしまう。」

  日本の一部には、あの戦争を仕向けられた戦争として、「圧倒的大きな戦力を保持する勢力は、ことさらに戦争を仕掛けさせるように仕向けるかもしれない。さらなる利権の伸長の為に。」と言う者もいる。
「ルールにおける競争が国益競争の本質となっている。」「いつもルールにおける競争で負けるのは日本だ。」「欧米人は同じ人間とアジア人を見ていない。民族的な差別の実態を念頭に置かない戦略は無意味だ。」との声さえ最近は耳にする。
 「自虐史観では、日本を立て直すことは不可能だ。」とばかりに声を大きくすることは、ナショナリズムを刺激して心地よいことかもしれない。そしてあの戦争を他の誰かのせいにすることは、歴史の牢獄から抜け出せたような気分になるかもしれない。 
東京裁判で却下された弁護資料の発掘が続いている。戦勝国が敗戦国を裁く、およそ国際法の理念とは相入れない裁判の無惨さを示す資料だ。しかし一方でその後、戦勝国の残した憲法は平和憲法と呼ばれ日本の戦後政治の大きな理念的柱として残ってきた。

今ここで、もう一度、塞がれていた声、閉ざされていた声、聞こえなかった声を聞きたいと思う。
それは、これらをもう一回、聞くことをしなければ私たちは再び同じような国家存亡の危機を迎えるかもわからない。

 私たちが歴史に正対する力は何処から来るのか?
国の強さとは何か?誇りとは何か?
驕り高ぶった日の丸を見て、それを強いと感じるのか?
本当の強さとは何か?