2011年06月26日(日)
森林(もり)を創ろう

 
「山に住む人が本当に気づかなければ山は再生しないと私は思います。過疎地に住む人自らが、本当に行動しないと地域は変わりません。山は、補助金などで支えられるだけのものではないのです。保護の対象、かわいそうという同情の先。過疎化が進み産業としても成り立たない山間地域。そんな固定観念がいつごろからできたのでしょうか?どうしてこんなにも山を低く見られるのでしょうか。変えなければならない。被害者意識や待ちの姿勢では何もかわらない。悔しい思いが私たちを突き動かしてきました。
 500票差で選挙に敗れても先生は自信にあふれていました。あれは先生のご家族をうちの山の筍堀りにご招待した時のことでした。必ず日本を変えてみせる。自然豊かな佐賀の本当の力を引き出してみせる。30代になったばかりの先生の言葉が私たちを突き動かしました。
私の父は、脊振村の議長をつとめて自民党の支部長も長くつとめていました。私たちは、自民党の地域の中心でした。しかし、その私たちが先生にかけるようになったのは、言葉を信じただけでなく先生の一貫した行動に呼応したのです。
 その後、父は村長選にも挑戦しました。県議では、たった一人先生が応援にきてくださいました。どんなに来にくかったか。当時の県政会の構図を知る私たちは、それがどんな困難なことかを知っていました。田舎独特の古い選挙でした。『中傷や買収は当たり前の必要悪という風土』との戦いでもありました。たまりかねて相手がひどい中傷をするのならば私達もしようと世話人で話し合っていた時。先生は、「選挙のたびに良心を育むような選挙にしなければならない。相手に合わせて選挙を落としめてしまえば、民主主義そのものが成り立たない。」とおっしゃいました。選挙には負けましたが、私たちは多くのものを得ました。この村の風土が変わったのです。

  ダムだけに頼らない治水。地域の創富力を増やして再生する試み。あれから多くの歳月が過ぎましたね。娘たちがNPO法人を立ち上げたのは私が50歳を超えてからでした。日本の木の良さ、森の素晴らしさ、そして山の偉大さを知る人たちが、行動を起こせば必ず道は拓けてくると私たちは、全国を飛び回りました。

 先生のご紹介で阿川さんらも応援してくださるようになり、私達の活動が全国的にもとても注目されるようになりました。匠の技を守り抜こうという強い思いを持った人たちが回りに集まってきてくださいました。今日は、息子の結婚式にようこそ来ていただきました。香川県観音寺市から迎えた花嫁さんです。建築技術の専門家どうしの結婚となりました。
 
 世界を相手に日本の匠の技を競う若者たちです。構造の専門家であるとともに、木の専門家でもあります。」

 どんなにつらく厳しい時も支援を続けてくださっている佐藤英さん。晴れの日。一つ一つの言葉が魂に響きます。佐藤さんの住む佐賀県神埼市脊振村は、宮崎駿さんのアニメに出てくるような自然豊かな村です。トトロが住む森は、こんな森なのだろうなと思うような美しい緑に満ちている山の村です。

 NPO法人「森林(もり)を創ろう」は、私が提唱する「緑の分権改革」のモデルの一つです。
http://www.mori-tukurou.com/cat79.php

 緑を育み、地域を育む。深い愛情と絆に支えられた活動がそこにあります。自然を生かした日本の伝統工法を支える人たちのネットワークでもあります。

 耐震偽装問題で規制が強化されました。建築基準法の改正です。しかし、その中には羹に懲りてなますを吹くかのような規制の強化も含まれています。膨大な申請書類と規制の強化は、伝統工法の匠たちをも疲弊させています。大規模で統一した基準で建設を行う者には、有利でも、木との対話をしながら一つ一つを創る匠には不利な規制です。

 政府もこのような問題意識をもっていないわけではありません。この日もご一緒させていただきましたが立命館大学の鈴木祥之先生をトップに伝統工法を活かす仕組みづくりについて検討を重ねています。大串代議士とともに先生のお話をうかがいました。このままの経過を辿れば、審議会の結論が出て法律が改正されるまでには、かなりの時間が必要です。それでは匠がますます減ると言う結果になってしまいます。

 「尺の文化に込められた日本の強さ」についても匠たちとお話をしました。私たちが育んできた歴史と伝統にしっかりとした足場を築くことの大切さを学ばせていただきました。
晴れの日に、ご結婚の喜びにあふれた若いお二人。このお二人はそれぞれコンクリートと鉄骨の専門家でもあると同時に、木と自然工法の専門家でもあります。世界最先端の研究技術の切磋琢磨を支える「山の力」にあふれたお二人の門出に心からの祝福のエールを贈りました。