2009年08月15日(土)
恒久平和の祈りをこめて・・・「検証戦争責任」

 
 恒久平和の誓いを新たに~「検証戦争責任」人を人でなくす力と正対する


 64回目の8月15日。
二度と同じ過ちを犯さないために・・・・
私たちは、自らのうちにもある「人を人でなくする力」と正対しなければなりません。

 戦争で犠牲になられた方々へ鎮魂の祈りを捧げるとともに恒久平和の誓いを新たにしたいと思います。

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自著「平和」より引用

 戦後60年に戦争責任を検証する
 戦後60年を迎えた2005年。私は、戦争責任の検証を試みるべく、国会議事録や論文など当時の資
料に当たった。読売新聞が社をあげて戦争責任を検証するプロジェクトを進めており、私も「シンポジ
ウム・昭和史の再検証 戦争責任を考える」に参加した。当日はノンフィクション作家・保坂正康氏の
基調講演を受けて、パネル討議が行われた。御厨貴東大教授が司会を務め、自民党衆議院議員の加藤紘
一氏、ジャーナリストの桜井よしこ氏、国際日本文化センター助教授牛村圭氏、保坂正康氏と民主党衆
議院議員である私の5人がパネラーだった。

 11月11日のシンポジウムには、300名の定員に3000名以上の申し込みがあり、歴史検証に対す
る関心の高さをうかがわせた。読売新聞戦争責任検証委員会がまとめた「検証 戦争責任」は中公新書
から出版され、大きな反響と議論を巻き起こした。
 満州事変に始まる戦争状態の中で、なぜ、日中戦争が始まったのか? 日中戦争がなぜ、日米開戦に
結びついていったのか?最近になって、当時の外交文書、あるいは隠された史実が次々と明らかにされ
ている。敗戦前と敗戦後では、日本人の歴史観も大きく変わったように見える。日清・日露戦争から満
州事変、そして日米開戦に向かうあの時期、日本人はどのような世界観・歴史観を共有していたのだろ
うか?
「お国のために命を捧げることが至上とされた戦前の日本」と「象徴天皇制のもと民主化を進めていく
戦後の日本」とでは、何がどう違うのか? 同じもの・共通するものとはいったい何なのか?
 戦争に突入した愚を責め、その戦略上の誤りを指摘するだけで、当時、世界が抱えていた矛盾や日本
が抱えていた構造的な原因の議論に蓋をするなら、また同じ誤りを繰り返してしまうだろう。
 
(引用終わり)
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 当時の資料を読み進めていると、誰と誰が責任をもって論じているのかわからなくなります。
戦争に突入して亡国の危機を迎えた背景には、統治の危機があると私は考えています。
 目的の明確化や共有化の議論は先送りされています。何の目的でやっているのかがわからなければ、
出口の戦略はありえません。
 「ポイント・オブ・ノーリターン。」
ある時点を過ぎると誰も、引き返すことができなくなるのです。
暴力によって言論が封鎖され、憲法外の存在が大きな力を持っていきます。
その時、私たちは、まさにそのとき私たちはルールそのものを失ってしまいます。

 社会の中にファッショ親和性はないのか?格差が広がり、民主主義そのものを否定しようという
動きはないのか?
「戦争放棄」
 日本国憲法に明記された崇高な理念をどうして広めていけばいいのか。
日々の学びと不断の努力によって平和を創造していく決意を新たにします。