2009年08月05日(水)
野呂田前代議士の教え

 
野呂田法成元大臣と空港の待合室でお会いしました。
2001年夏、予算委員会委員長として中東派遣を敢行、私も理事として派遣されました。
この派遣が決まった時に、日本の多くの反応の中には、今、なぜ中東かという批判もありました。しかし、世界各国を回り、防衛大臣等を歴任、グローバルな目からみた世界は、中東が最も大きな火種を抱えていました。アメリカは、クリントン民主党政権が終わり、ゴア氏を僅差で破ったブッシュ大統領が1年目の任期をスタートさせるも、大統領選挙の結果をめぐっての分裂は、アメリカ国内に様々な不安要素を生んでいました。

最初の訪問国はヨルダンでした。ヨルダンの皇太子殿下にも謁見の栄をいただきました。同国の大臣との会談も行いました。皇太子殿下はおっしゃいませんが、大臣からはアメリカの中東政策への不信が言葉の端々に見え隠れているようでした。バカアの難民キャンプを訪れましたが、半世紀にも及ぶ難民キャンプでの生活は、人々の心に深刻な影響を与えていました。祖国パレスチナに戻れない現状を固定化している敵は誰か?戦車で人を踏み潰すのが許されて、石礫をもって抗議することが、どうしてテロなのか?世界の警察官を自認するアメリカのダブルスタンダードを詰る言葉を耳にしました。

次の訪問国トルコは、EU加盟を前にしていました。イラク南部のクルド地域との緊張。
トルコの米軍基地からは、イラクに設けられた飛行禁止区域を侵犯するサダム・フセインのイラク軍に対して攻撃をする飛行機が飛び立っていました。ほぼ毎日のようにイラクへの空爆に出る爆撃機の轟音が耳に響きました。北京が購入した空母もトルコの許可が出ずに滞留を余儀なくされていました。

この後、イラク、イラン、UAE、そしてサウジアラビアと訪問を行いました。
あの9.11テロの3週間前です。サダム・フセインの政権が私たちに何を言ったか?イランの第二次ハタミ政権発足の日、私たちは何をみたか?サウード国王にお誘いを受けてリヤドからジェッタに飛んだ私たちを待っていたのは何か?その模様をここで詳細に語ることは、控え別の機会に譲りたいと思いますが、野呂田委員長がいらっしゃらなければ実現しなかったミッションであり、その後の私の中東政策の基礎を形作る貴重な時間をいただいたことだけ付記しておきたいと思います。

引退を表明された野呂田先生の言葉は、さらに落ち着いていて、とても重みのあるものでした。かつての政治家が次の政治家を育てるために何をしたかということもお話くださいました。吉田・田中という政治家は誰を見込んで30代から要職につけ、どのように育てたか?派閥の領袖とされる議員でさえ自分のことで精一杯の今では、遠い夢物語のように思える話でした。自民党を離党されて(郵政解散で刺客を立てられ)民主でもない立場からのご発言にことさら注意をして耳を傾けました。
3つの大きな滝の話。イグアス、ビクトリア・ホール、
ナイアガラとの興味深い比較。そしてニュージーランドの滝。白洲「記念館」の話。
インドとパキスタンの核問題をめぐる確執に対しての対応の話。モヘンジョダロと年工学の話。アフリカの話。そして安全保障政策。

私が予算委員会で野呂田先生のアジーズ副首相との対談の模様を誇らしげに話したことを今でも覚えておられました。160カ国以上を回り、友好を深め、日本の国益を追求してきた人ならではお話。貴重な時間を図らずもいただきました。心から感謝を捧げたいと思います。