2009年05月06日(水)
光抱く子どもたちに

【光抱く子どもたちに】
今日はこどもの日ですね。
今日もたくさんの祝福がありますように!

 公式HPにも僕が作った詩の欄ができて掲載できるようになりました。
原点とも言うべき詩を再掲します。スウェーデンの中学校社会の教科書に掲載された「こども」という詩を引用しています。この詩は僕が、子育ての中で傍らに常に置いている詩です。


__________________
光抱く(ひかりいだく)子どもたちに
光抱く子どもたち。
 
 みなさんに伝えたいことがあります。
 ぼくの3人の子どもたちだけでなく
 多くの子どもたちに。


 子ども

 批判ばかりされた 子どもは
 非難することを おぼえる

 殴られて大きくなった 子どもは
 力に頼ることを おぼえる

 笑いものにされた 子どもは
 ものを言わずにいることを おぼえる

 皮肉にさらされた 子どもは
 鈍い良心の もちぬしとなる

 しかし、激励をうけた 子どもは
 自信を おぼえる

 寛容にであった 子どもは
 忍耐を おぼえる

 賞賛を受けた 子どもは
 評価することを おぼえる

 フェアプレーを経験した 子どもは
 公正を おぼえる

 友情を知る 子どもは
 親切を おぼえる

 安心を経験した 子どもは
 信頼を おぼえる

 可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる

(川上邦夫訳「あなた自身の社会ースウェーデンの中学校教科書」
1997年新評論より)


 ぼくは、1959年に佐賀で生まれ、今、衆議院議員を
 しています。
 でもぼくが伝えたいのは国会議員としての言葉ではありません。
 何かを皆さんに教えたりといった気持ちもありません。
 ぼく自身わからないことだらけで、今も一生懸命勉強している最
 中なので「誰かに教えること」などできないと思っています。
 
 ぼくがこれから伝えたいのは、光の話です。


 病気ばっかりしているぼく。
 いさかいの絶えなかったぼくのまわり。
 仲間に入れなかったぼく。
 しっぱいばかりだったぼく。
 夜になると「なぜ生まれてきたのだろう。」 「どうせ死ぬんだ
 ったら同じじゃないか?」と泣き叫んでいたぼく。
  くる日もくる日も続く闇(やみ)。
  ぼくは自分を苛める(さいなめる)ものには不自由しません
  でした。
  ある時は骨折による体の痛みです。
  (最近、わかったことですがぼくは先天性骨不全症ですぐに骨
   折してしまう体だったのです。)
  あるときは、人をひとでなくしてしまうような
  酷い言葉の連射(れんしゃ)。
  ぼくは、この体のそとに出られたらどんなにいいだろうと
  毎日毎日、思いました
  
  
  闇(やみ)の中でもがいていたときに
  ぼくは薄明かりに気づきました。
  それは、ぼんやりとした光。
  今ふりかえるとそれは
  光ではなく音だったのかもしれません。
  それは暖かな
  魂(たましい)の奥底に響くもの
  幾重にも重なる
  波の連なり。
  それを力と呼ぶ人もいます。
  物理の世界では、波動と呼んでいる人もいます。
  
  光が凍りついた
  ぼくを解かすのが
  実感されたとき
  新しい世界に
  生れ落ちたような
  温もりが体中を満たし始めます。 
  
  光がおとずれたのです。
  初めての気づき
  お日様の光がみんなを照らすのと同じように。
  ぼくにも光があたること。
  ひょっとするとその光のぬくもりは
  ぼくの中にもたくわえられているかもしれないこと。
  死ぬのは今でも怖いけど
  土に帰ることは
  そんなにわるくはないかもしれない。
  土のなかにもあたたかさがあるかもしれない。

  光抱く子どもたちに
  ぼくが伝えたいのは
  ぼくがもらった光です。
  ぼくがもらった光の話です。

  世界が光に満たされていることを知った日の話です。

【太田総理収録後記】
 前回の放送は、出演者の声がかぶってしまっていて肝心な議論のところで使える部分が少なかったようです。少しでも自分をアピールしなければという議員がいると、このような残念なことになってしまいます。

 今日は唐津の松露饅頭をお土産に持っていきました。
大好評であっという間になくなりました。
「佐賀はおいしいお菓子がたくさんありますね。」影響力のあるタレントさんなどの口コミで佐賀が伝わることもとても大事です。

 今日は珍しく民主党議員が3人もいました。
久々にニューヨークから帰ってきた金さんも。「新型インフルエンザについて日本だけ扇情的にしかも特別に大騒ぎをしている」というのは、金さんの実感でもあるようでした。一般論ですがインフルエンザは夏に流行しにくい性質を持っています。騒ぐことよりも冷静な対応が望まれます。

 自転車専用道路についてのマニュフェストでした。
道路交通法上の自転車の位置づけは法文にいうところ「車両等」の等にあたります。車と同等くらいの厳しい罰則があるのですが、そのことも意外と知られていません。二人乗りや併走、飲酒運転や無灯火などその罰則を法文で読めばびっくりするほど重い罰に驚くのではないでしょうか。
 しかし、実際には運用で緩やかにしているというのが実態です。
車道の左隅を走ることを義務付けられている自転車ですが、車とすれすれに走らなければならないというのは、とても危険です。そこで一定の要件を満たせば歩道も走ることができるという法改正をしました。
 高速ではしるように進化した自転車は、ママチャリとは全く別の乗り物といっていいくらいにスピードも出ますし、歩行者等への危険も増します。
安全で快適に自転車を乗るためには、どのような交通体系整備が必要なのか?マナーやルール、教育はどうあるべきか?免許制も必要なのか?
 
 自動車中心の道路建設にすっぽりと抜け落ちている自転車の位置づけ。自転車専用道路といっても2種類あります。A種の自転車道は、交通の安全と円滑を主目的としたものですが、その多くはそれ自体独立した道路ではなく、道路の一部として自動車等のための車道に併設されるものです。B種の自転車道は、いわゆるサイクリングロードでスポーツやレクレーションのために使われるものです。しかもそのほとんどが河川敷等を利用したものとなっていて、歩道の100分の1も整備されていないのが実態です。

【枇杷のなる季節に】
多久の岸川では、嬉しい方々にお会いしました。

 私の県議時代からの恩人である白木先生のご子息の皆さんにも、久々にお会いすることができました。お一人は、校長先生になっておられました。
 八千草かおるさん似の奥様。お二人ともとても優しい方々でした。県庁の土木部出身の白木先生。県議会議員になられてからも「白木学校」といわれるような、後輩を導くお集まりをお持ちでした。

 先生は私の初陣の2ヶ月前に亡くなりました。16年前のあの日、今、県議をしている坂口君がスタッフとして僕の車を運転して告別式に連れて行ってくれました。僕がお別れの言葉もいえないくらいに泣くので、坂口君が大きな体を折り曲げるようにして励ましてくれていたのを覚えています。

もうじきその枇杷の季節がめぐってきます。
多久の納所から毎年、送られてきた白木先生の枇杷。恩人の墓前におまいりをしたいと思います。

 僕はお蔭様で国会議員をさせていただいていますが、白木先生の教えをもう一度、繰り返して日々の実践に生かしたいと考えます。先生の教えの根幹は「育てる」でした。

【政治の世界にも夢がある】
 佐賀にもたくさんの有為な人材、大きな志を持った人たちがいますね。僕は佐賀県庁から松下政経塾に毎年、出向させてくれた人たちの恩を忘れません。全国で唯一、佐賀県だけが10年以上も塾生を送り続けてくれたのですから。
 政治スクール第一期生から日本一若い町長が生まれました。第二期政治スクールの募集もスタートしています。新たな人材に出会えるのが楽しみです。
 
 政治の世界にも夢があることを伝えていきたいと思います。

【忌野 清志郎さんへの感謝】
忌野 清志郎さんに多くの勇気をいただいてきました。
「僕のすきな先生」 ・・・「劣等性だった」清志郎さんに居場所を与えてくださった先生。「よく頑張った。ゆっくり休め」今日の朝日新聞の追悼記事、涙が止まりませんでした。
 RCサクセッション。ロックの素直な心の表現を教えてくださった忌野清志郎さん。感謝の誠を捧げ、ご冥福をお祈りいたします。

【枕もとのりんご】
怖い本を借りてきて、読んだらしく夢でうなされて夜中に起きてきました。
すぐに寝たのですが、珍しく起きてきません。枕元にりんごをおくと怖い夢を見ないと書いてあったそうですが・・・。残念ながら、りんごの効果が今日は現れなかったようです。

「怖い本はね、私だけ怖いと余計に怖いでしょう・・・。」
「そうだね。」
「お友達にも貸してあげてね。怖いを分けちゃえば平気だよね。」
「・・・・・。」