2009年04月14日(火)
アプサラの微笑み

 
2009年4月14日(火)曇り日誌
【第106回総務・厚生労働合同部門会議】
第106回総務厚生労働合同部門会議    2009年4月14日

年金関係与野党議員立法について報告・協議
原口ネクスト挨拶
消えた年金問題で07年7月から08年12月まで厚生年金保険料の記録訂正を認められなかった9363件の9割以上は直接的な証拠がなかったことがわかりました。年金記録問題の実態に対する予備的調査についても報告書が出され、消えた年金の類型についても明らかになってきました。消えた年金の被害者に対して「やさしい」姿勢で記録回復をといっていた総務大臣の言葉とは裏腹に直接的証拠のない消えた年金記録の被害者はほとんど泣き寝入りしているのが実態がより鮮明になりました。私たちは年金記録回復法案を提出しており、一刻も早く成立させて、国民の願いに答えなければなりません。泣き寝入りなどあっていいはずがありません。このまま改革なしに年金保険機構に移行してしまえば、誰がきめたかわかりません、書類はどこにいったかわかりません、組織が違うので答えられませんと郵政公社から日本郵政に移行したときの姿勢と同じで、さらに無責任な国民不在の行政を許すことになってしまいます。ここが踏ん張りどころです。根本的な改革に向けて力を合わせましょう。

長妻代議士
舛添氏が100年安心の年金とは言っていない
2008年3月麻生太郎衆議院議員中央公論論文「誰も100年安心とうたっても誰も信用しない」と見識のある言葉。「国民皆年金という言葉はもう死語」という言葉。今年度から未納が20%に落ちるという見込みで(実際は40%)やっている。制度を根本的に見直して一元化と歳入庁で改革しなければならない。


藤村代議士
外国人記者クラブでも政策の評価について議論する機会がありました。ドイツの記者等から政府与党で民主党の政策をパクッテいますねとの指摘が続きました。外国の方々も無策の実態をよくご存知だと思いました。




4/10報告書提出「年金記録問題の実態等に関する予備的調査」について社会保険庁・総務省よりヒアリング
94p-95p
平成20年12月末までに記録訂正が不要と判断された事案について、その理由ごとの件数、複数の理由によって訂正が認められなかった場合は、理由の組み合わせごとの件数

質疑
○標準報酬月額の改ざん等は事業主が社保と一緒になってやっている場合もあり、事業主の証言だけで本人の不利な決定をしていいのか
●関係者の区分はとっていないのでわからない
○3810件のうち事業主の証言がどれくらいあるのか調査をしてほしい 
どうして区分をしていないのか?
特例法は事業主に証言をしてもらうに当たって、場合によっては納付勧奨もあることをいいながら証言をいただいたのか?どれを告げたか告げないかによって天と地の開きがある。
●次回まで回答
○予備的調査で要求したことはほとんど却下された
サンプル調査など却下
本来、国民の皆さんの得べかりし利益はいくらなのか?
年額でいくらもらっていなかったのか トータル金額と件数はわかるか
報告書P44 225億円の意味は何か
時効特例法による年金総額はいくらか
差額年金額ですでに支払っているのはいくらか
どれくらいの被害を国民に与えたかトータル金額はわからない
● 関係閣僚会議資料17p 
● 15万8259件 支給金額総額902億円 時効特例法の5年より前の数字
○ 証拠がないものを抽出して、その中で認められたものは何件、認められなかったものは何件という数字を出して欲しい。さらに証言だけの証拠をだしていただく
○国民の側からすると古い記録で記憶もあいまいで証拠がないから第三者委員会にお願いしているのに、証拠があるものしか認められないというのであれば、最初からやめておいたほうがいいということになるではないか。
○事業主の責任が一定の要件の場合は阻却されることになれば、本人に不利な証言を責任を回避することで行うこともなくなるのではないか


年金記録問題について社会保険庁、厚生労働省よりヒアリング
前回会議要求資料:住民基本台帳ネットワーク調査により受給権を回復した事例リスト
ゼロ回答

04/08衆議院構成労働委員会関係
(1) 財政検証について前提を替えた場合の所得代替率
(2) 下記の2点について調査開始日時と調査書式
(a) 次の期間がそれぞれどれがかかっているのか
直近の社会保険事務所で記録訂正から社会保険業務センターへの送付の期間
     社会保険業務センターでの再裁定までの期間
     5年以上前を含め、未払い年金が全額支払われるまでの期間
   (b) 社会保険事務所で記録訂正した後、年金が支払われる前に死亡した受給者数
(3) 2万人戸別訪問調査対象者のうち、職権訂正の件数・第三者委員会に送付された件数
(4) 2万人戸別訪問調査で職員関与の証言が得られた事案の改ざん手法の類型

3/31閣僚会議資料について

【総務委員会理事会】
 今後の審議日程について議論しました。
あわせて先週の理事会で求めた2つの資料について開示がありました。一つはかんぽの宿等の売却について600余の物件の転売に関する登記簿謄本(バインダー 8冊、段ボール一箱分)、もう一つはNHKの役員交際費についてでした。登記簿謄本については、まだ精査中のものもあり、追加で資料開示があります。 NHK役員交際費については、総額1,393万円ということですが、飲食を伴う会合以外は役員別に分別もありません。1,393万円の内訳は飲食を伴う会合に459万円、謝礼品(記念品・観戦チケット等)に773万円、慶弔等(生花、香典等)に161万円となっています。
 先日、委員会が中断した町田徹氏についての内容証明郵便についての問題についても説明を求めることにしておりましたが、説明者がその時点で見つからず、理事会の残り5分での説明となりましたので後に改めてということになりました。
 消えた年金第三者委員会の斡旋事案についても証拠のない人たちの9割が却下されていることについての認識を総務省に問いました。明日は東京消防庁を視察します。救急医療マニュアルについても資料を準備するように要請しました。直轄事業負担金といいながら、その中に大きな事務所費、人件費が入っています。知事会からも大きな反発の声が聞こえます。この問題についての参考人をよんでの集中的な審議の要請がオブザーバーからありました。
【衆議院総務委員会一般質疑】
 小川代議士がかんぽ保険会社の不払い問題、直轄事業負担金問題など質疑。福田議員が郵政民営化問題について取り上げ、買収防衛策などについて質しました。
消防法の一部改正案について趣旨説明。

【世界から見た佐賀】
 世界から見た佐賀    2009年4月14日

日本EU議員会議メンバー佐賀へ

国会には日本・EU議員会議という公式の会議があって毎年、日本EUの議員が議論と友好を深めています。私もその一員としてブリュッセルのEU議会などでも議論を行ってきました。
ヤルツェンボウスキー議員を団長とするEUの友人たちが九州を訪れてくれました。第30回の記念すべき会でかねてからお願いをしていた佐賀への訪問も実現しました。長崎の爆心地公園で悲惨な原爆の犠牲になられた方々に祈りを捧げ献花。柿右衛門窯など有田の窯元や唐津などを訪問。豊かな交流の中から創造された芸術に触れ唐津くんちの山車や曳山囃、高取邸や唐津城なども訪問しました。佐賀の名尾和紙でできた手紙セットをお土産にするなど佐賀の文化を堪能してもらいさらに友好を深めることができました。
「現下の経済・金融情勢に対する国際行動の評価並びに日本とEUにおける金融危機
の対応に関する比較分析」と題して私もリード・スピーチを行い、未曾有の経済危機にあたり日欧で協力して克服していく方策についても議論しました。

世界的にも保護主義的な流れが出ています。鎖国を行っていた江戸時代。肥前佐賀藩は世界との唯一の窓であった出島を管理していました。異なる文化や科学技術を摂取することで日本は近代化に備える力を蓄えることもできました。医療や教育分野においても佐賀の先人たちが、今でも近代日本の祖とあがめられているのも開かれた窓があったからです。
 唐津で行われた懇談会で、私は日本三大悲恋とされる小夜姫伝説を紹介しました。古代、唐津から朝鮮半島に支援に向かった恋人との別れを悲しみ鏡山の上から海に向かって袖を振り続けた小夜姫。7日7晩、泣きとおしてついには石になってしまいます。美しい白い砂浜、虹ノ松原の美しい光景を背景としたこの伝説の結末はあまりにも悲しい結末です。 異国の地と交流や交易。様々な人たちが行き交う町には多くの物語が生まれます。遠く日本の古代に思いをいたし、EUの皆さんとの未来に向かう連帯と友好を約束しあいました。

【100年後の地球】
100年後の地球

100年後の地球に住む人たちに
メッセージを送ろう
100年後の世界は僕たちが生きていない世界だから
心をこめてメッセージを送ろう

僕たちが感じていた怖れと
僕たちの愚かさも
全て隠さずに
100年後に地球に住む人たちに
メッセージを送ろう

「奴隷」としてさらわれ続けた国で
土くれのように
寝かされていた嬰児のことも

法外な保障料と金利で超え太った
金融業者に追い込まれて死んでいく人たちのことも

僕たちの中に住む悪魔も
僕たちの中に住む愚かさも
包み隠さず伝えよう

100年前の僕たちが
僕たちの外に敵を探し続け
怖ろしい核爆弾までつくって
生き物を殺しつくそうとしたことも
包み隠さず伝えよう

僕たちは最後の一人になるまで殺しあおうとしたけども
最後の一人がなくなって
「僕」独りぼっちになっても
敵が消えなかったことを
包み隠さず伝えよう

100年後の地球に住む人たちに
メッセージを送ろう
100年後の世界は僕たちが生きていない世界だから
心をこめてメッセージを送ろう

僕たちが感じていた喜びと
僕たちの願いや祈りも
全て
100年後に地球に住む人たちに
メッセージを送ろう

僕たちが大切にしていたものと
僕たちが愛していたもののことを
伝えよう

「死者の家」で愛を配る
人たちのことを伝えよう
戦車の前に手をつないで歌を歌って独立をした
人たちのことを伝えよう

空の青さも
草の匂いも
僕たちが愛したものを全て伝えよう

100年後の地球に住む人たちに
メッセージを送ろう
100年後の世界は僕たちが生きていない世界だから
心をこめてメッセージを送ろう

平和の尊さを
非戦の誓いを伝えよう

【この空を飛べたら】       2006年7月5日
この空を飛べたら

星の瞬きの間を縫って
自由に飛べたら
私はもう何もいらない

幾億光年も離れた
遠い星の瞬きが
今、地上に降り注ぐ

あの星は
幾億年も前の姿をしている
あの瞬きは
幾億年も昔の輝きの中にいる

悠久の年月と
果てしない空間を飛び越えて
私は自由に空を飛びたい

この空を飛べたら
もう何もいらない

幼い頃から憧れていた
この空を飛べたら
もう何もいらない

灼熱の太陽も
焼け
た大地からも
自由で
乾いた荒地さえも
飛び越えて

まだ知らない世界へ
羽ばたきたい

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カンボジアの10人の国会議員と総務委員会理事のメンバーで会談を行いました。

 カンボジアのNPO支援をつづけているということもあり私に質問が集中しました。 その中で政経塾の亡くなった後輩のことを紹介できたのは、大きな喜びでした。学生のころから一貫してカンボジアの親を失った子供たちのために学校を作り支え続けた堀本崇君。彼はバッタンバンで活動途中にバイク事故で亡くなりました。車線を逆送してきた車に衝突されたのでした。

 私たちは、カンボジアの孤児支援事業、マイクロクレジット事業、医療教育支援事業、農業支援事業をこれからも積極的に支えていくことを伝えました。アプサラの微笑みの話をしたときに、多くの友人たちが固い握手で答えてくれました。