2010年01月02日(土)
原口一博国会通信2010年2号☆

 坂の上の雲をめざして

「澄んだ瞳に託したい」
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今日、佐賀テレビで私の新春対談が放送されました。たくさんのお励ましをいただいてありがとうございます。

 昨日は、日本橋での元旦年賀配達出発式、年賀・雇用相談所視察・幹事長新年会等でした。

官だ民だと姦しいくらいに言われますが、官も民も公を担う気概を共有していた時代のことを思い起こしてみ
たいと思います。友人から次のようなメールが来ました。
「明治期の郵便局は、他人の信書を預かるから、社会的信用がある素封家が担っていたわけですね。
姉の義父に聞きましたが、伝え聞くところでは結構大変な役目だったそうで、時間外でも受け入れるのは当た
り前だし、火事になるとまず家財道具よりも預かった信書を持ち出すのが家訓だったとか。戦前の体制を今と比
べてどうだこうだと否定的に論じるむきもありますが、それはそれで、当時の社会の中で機能していたわけです
し、信用を受けている人は、それ相応の責任と公正を自ら律していたとも考えられます。」
 
 まさに坂の上の雲をめざして明治の日本が突き進んでた時代。
 人々の目には何が映っていたのでしょうか?

 私たちは長く続いた古い政治の「焼け野原」に立っていると言えるのかも知れません。
貧困が広がり、社会の至る所で綻びが目立っています。痛んだところに応急措置をしようとするとより社会性を重
んじる政策が優先することになります。しかし、「官僚社会主義」からは何も生まれません。
 自由と自律のない政策は、産業の活力を奪います。

 私たちは規制や税制、統治機構の仕組みを大きく変えて、さらなる「自由」の基盤を作らなければなりません。

 5日から訪印して首相・情報通信相会談を行います。
印ICT関係者と会議も予定。アジアの成長力とさらに強固な相互補完関係を形成する事で経済再生を目指します。

 民主党参議院議員で親友の大石尚子さんと年賀でお話をさせていただきました。大石さんは、「坂の上の雲」の主
人公・秋山眞之中将のお孫さんです。衆議院議員時代から苦楽をともにしてきた大石さん。相手が気遣わないですむ
ように、そっと支えてくださいます。いつも穏やかで優しく導いてくださる大石さんに心で手を合わせています。

 NHKの大河ドラマで「坂の上の雲」が決まった時。
 松山の中村市長ともお話をしました。新しい地平が私たちの目の前に広がっています。
懸命に切磋琢磨することで実現する暖かな社会の姿も見えてきました。ただ、平成の世において私たちの目指す「坂の
上の雲」に外国のモデルはありません。私たちの「坂の上の雲」は、日本の歴史と日本人の中にあります。


=====大石尚子さんのHPより引用====
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公として、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮
励努力セヨ」などで知られる秋山眞之は、愛媛県松山市で生まれました。
親友であった正岡子規とともに東京で学び、その後、海軍兵学校に進学。日露戦争では、連合艦隊司令長官東郷平八郎の
下で先任参謀を務め、日本海海戦の勝利に貢献しました。
大石尚子は、秋山眞之の次女・宜子(たかこ)の長女です。