第31回 「国づくりの基礎は教育にあり ~明治の近代的学校制度構築に学ぶ」
明治5年(1872)8月2日、「学制」が頒布されました。
これは、我が国初の近代的学校制度を定めた基本法令です。全国を8つの大学区に分け、その下に中学区、小学区を置き、各学区にそれぞれ大学校・中学校・小学校を1校ずつ設置することとされました。フランスの制度をモデルにしたと言われています。
「人々を自ら其身を立て其産を治め其業を昌にし以て其生を遂るゆえんのものは…」という書き出しで始まる太政官布告が発せられました。学制頒布に当たり発せられたこの文章を読むと、明治政府が教育の目的をどのように考えていたか、人生や社会、国家の基礎となる教育の重要性をどのようにとらえていたかがわかります。
その前年、廃藩置県が行われ、中央の行政機構が作られ教育行政の府として文部省が設置されています。初代の文部省長官として佐賀出身の江藤新平候が文部大輔となり、間もなく同じく佐賀出身の大木喬任侯が文部卿となり、文教行政の首脳部を構成しました。「旧来の因習を破り」「知識を世界に求め」ることを国の根本方針とし「万機公論」の精神を尊重しつつ、国を挙げて近代国家の建設に力を尽くします。(お二人とも佐賀の七賢人です。)
明治政府は、優れた教師の養成のために師範学校をつくり卒業生を学校に派遣しました。
初等教育については、国民のすべてが就学すべきことを定め、発布からほんの数年間に全国で2万校以上の小学校が整備され、約40%の就学率が達成されました。
現代の日本では、格差が広がり親の年収の違いで学力に違いが出ています。経済的理由で学問を諦めなければならない高校生が7%もいます。国づくりの基本は人づくりです。全ての子どもたちに教育を行き渡らせることこそが、今の閉塞した日本を改革する大きな手立てです。
高等教育の無償化は国際人権規約でも定められている大切な権利です。しかし、日本は1979年に人権規約を批准していますが、その内の「中・高等教育の段階的な無償化(第13条)」については留保しています。このような国はわずかです。もう一度、教育に向かう資源を大幅に拡大して人づくりから国づくりの基本を再構築しなければならないと考えます。
写真上/7月25日、佐賀市鍋島校区の夏祭りにて。
写真下/8月9日、佐賀市本庄公民館で国政報告会を行う。
2009年11月号掲載