第85回 世界を知るために
今月も世界の多くの皆さんとお話をする機会の多い月でした。在日大使館の外交官の方とお話する機会もありました。国際化が進んだ今日の国会は、めまぐるしく変わる世界情勢とその対応に追われています。私も5大陸全てを回り、様々な国々の人々との交流から地元佐賀を見る目も変わりました。
しかし、一度も外遊することなく若い頃から国の独立のために数々の外交交渉にあたり、外務大臣、総理に上り詰めた人物がいます。彼が85年の生涯を閉じたときに30万人を超える国民が国民葬に参列しました。早稲田大学の創始者でもあった大隈重信侯です。17歳で佐賀の松下村塾とも言われる楠公義祭同盟に参加。30歳そこそこで外交交渉において英国公司パークスを論破して一躍、外交の桧舞台で躍り出ます。
佐賀藩の人材育成方針が功を奏して多くの人材が新政府を切り回すだけの新しい知識と実行力を身につけていたのです。大隈侯の元にはその生涯を終えるまで千客万来。侯が主催する「文明協会」は、外国の本を次から次に翻訳出版し日本の柱となる人材を育てました。
国際化に対応する能力を培うと言ってもそれは外国語が話せたり、頻繁に海外に行ったりすることだけでできるものではないということが大隈侯の生涯を辿る時に実感されます。
大隈侯は、以下のような長寿法5ヶ条を遺しておられと言います。
1) 怒るな
2) 愚痴をこぼすな
3) 過去を顧みるな
4) 望みを将来に置け
5) 人のために善をなせ
「一笑い一若」と言って笑いは健康の元です。逆に怒りは健康の敵です。「一怒一老」です。
(歴史を創った人たち 吉村久夫著 佐賀新聞社より)
佐賀市水ケ江で開かれた万部島慰霊祭典に私も参加させていただきました。
この慰霊祭は、江藤新平侯ら佐賀の役で殉職された4月13日にちなみ、毎年開かれているものです。
明治維新の原動力となり、その後の日本の礎を築いて行った佐賀の若者たち。
大隈侯のように総理にまでなられた方も出ましたが、江藤侯のように若くして命を散らした人もいました。
運命は人それぞれでしたが、傑出したこれらの先達に共通するのは、世界的な視野の広さと新しい技術や考え方を不断に学び続けようという強い意欲でした。
「世界から見た佐賀」
その本質をこれらの先達の生き方に垣間見る思いがいたします。
写真上1)サガン鳥栖激励
写真上2)えひめあやめまつり
写真下1)万部島慰霊祭典
写真下2)さが桜マラソン
2014年5月号掲載