第62回 「ミュンヘンへの道 可能性を拓く」
2012年3月9日、ミュンヘン・オリンピックで全日本バレーボールチームを率いて金メダルを勝ち取られた松平監督のお別れの会に参加させていただきました。
世界一を目指す全日本は、佐賀で合宿を行いました。私は、その時に佐賀市立城南中学で日本一を目指していました。ボール拾いや床磨きなど全日本のサポートもさせていただきました。
150cm台の身長。このままではレギュラーどころかスパイクさえできないと諦めかけていた、あの時。「君もバレーボール、頑張っているね。ネットから肘まででれば、君もエースになれるんだよ」と全日本の森田さんが私の頭に手をおいて伝えてくれました。
憧れの選手のこの言葉は、私の宝物となりました。あれから多くの時が経ちました。松平監督と森田さんたちにお会いして一言でもお礼を申し上げられたらどんなに良いだろうと思い続けてきました。
一昨年、偶然の出会いから日本のスポーツを導く指導的な立場の方にお会いしました。その方は、すぐさまこの話を松平監督に伝えてくださいました。
そして2010年。思いがかないました。総務大臣室に松平監督と森田さんが、わざわざ訪問してくださったのです。
「あの時のことは、よく覚えていますよ」
「あのオチビさんが、大臣なんですね」
世界一を目指す厳しい時間の中でも「人を育む」ことを忘れない。燃え上がる闘志。懸命の努力の一方で、春風のように「人に接する」
私は松平全日本の「玉拾い」の一翼を担えたことを、本当に誇りに思います。
もう一つのお願いをしました。私の監督が血液の難しい病気に倒れて集中治療室におられました。できることなら、松平監督のお言葉をいただけないかとお願いをしました。
松平監督は、快く受けてくださり、色紙まで送っていただいただけでなく、私の監督さんに直接、電話で励ましてくださいました。私の先生は、いたく感激され、ついには病魔に打ち勝つ力をいただかれました。本当に言葉もないくらい有難い松平監督のお心つかいでした。
今日、松平監督とのお別れにあたり、この長きにわたり、日本バレーボール界はもちろんのこと、たくさんの勇気と希望を与えてくださった監督のご遺徳とご偉業に深甚なる感謝の誠を捧げたいと思います。佐賀も支えた「金メダル」の輝きも永遠です。
写真上)松平康隆氏と総務大臣室にて(2010年7月10日)
写真中)第4回全日本バレーボール中学生選手権大会(右から5番目)
写真下)民主党佐賀県連第14回定期大会(2012年3月4日)
2012年6月号掲載