第51回 「大震災から立ち上がるための佐賀の知恵 佐賀の力が日本の新生を導く」
「できないこと。起こってしまったことを悔いて下を向いている暇はない。できること。不可能と思えることでも可能にすることを考えなさい。」賀ハイテク研究会で私が26歳の時に座長の上原春男先生から教えていただいた姿勢です。
名もなく、地盤も鞄もなかった26歳の私。先生は「あなたは、日本の未来を担う覚悟がありますか? あるのならば私たちの研究会に入り、あなたは様々な学びを共有することができます。」とおっしゃいました。あれから四半世紀の時間が流れました。一見不可能にみえることも知恵を集めて可能になります。
今回の未曾有の危機、しかも原発事故がレベル7という深刻さ。この危機の回避も上原先生をはじめとする世界をリードする佐賀の知恵が回避に大きく役立とうとしています。先生が福島原発の設計に携わっておられたことがまさに天祐でした。上原先生の海洋温度差発電は、世界の島嶼国や砂漠の国で貴重な水と電気、そしてリチウムをもたらしていて大変な尊敬と感謝を集めています。
「力が足りないからと言って照明を暗くするだけではいけない。足りない電力でもさらに明るい照明がつけられるようにする。それが日本だ。日本の技術と知恵だ。」
佐賀の友人がタンクローリーを出してくださると言うことで私たちは、被災地支援を大型バス2台分の薬や歯ブラシ、日常品などの物資を詰めて被災地を回りました。そこでも青年海外協力隊にお世話になりましたという世界から来た人々に出会いました。この青年海外協力隊も故末次一郎先生(佐賀県福富町出身 佐賀商業・陸軍中野学校卒)がおつくりいただいたものです。
佐賀県は被災地の人々を3万人を受け入れるといち早く表明しました。世界から注目されている佐賀の知恵や活動が震災から復興する日本の新生に大きな役割を果たすと確信しています。
写真上/宮城県名取市の避難所を視察。
写真下/山元町の災害対策本部にて。被害状況と今後の具体的な復興措置について話し合う。
2011年7月号掲載