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第15回 「フェートン号事件と藩政改革」


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文化5年(1808)、イギリス軍艦フェートン号が長崎港に侵入。オランダ人を捕らえ食糧や燃料を要求するフェートン号事件が起きました。鎖国を続けていた日本に出入りできる外国の艦船はオランダなどに限られていましたが、フェートン号は、そのオランダ国旗を翻して入港に成功しており、長崎奉行松平康英は責任を問われ切腹。当時、江戸幕府より長崎警備を命じられていた佐賀藩は、9代藩主鍋島斉直候の謹慎等の重い処分を受けました。
危機に瀕したときにどのような対応をとるかによって指導者の器が決せられるといいますが、家督を継いだ鍋島直正候は、長崎港の警備強化をし再発防止を目指します。36万石と言っても長崎港警護には、大きな費用がかかります。藩財政を再建して優秀な人材を育てることが急務でした。
注目は、直正候の政策の柱です。藩政改革の柱は一にも二にも教育でありました。質素倹約や借金整理など政策とともに直正候は、藩校である弘道館で藩士の全員教育を実施します。学業を良く修めたものを登用した結果、有能な人材の活躍の場が広がりました。人は石垣、人は城と言います。人材育成こそが危機を突破する最善の道だと思います。
長崎出島から海外の情報をいち早く取り入れ、医学や軍事など西洋技術の応用に成功した基礎にはこの人材育成がありました。どんな情報でもその受け手の感度がなければ猫に小判になってしまったでしょう。反射炉やアームストロング砲、蒸気車などを短期間に作り上げていった技術は目を見張るものがあります。種痘を全国に広げ、医師免許制度を創設したのも佐賀藩です。
私は先日、佐賀で映画「SICKO」(マイケルムーア監督)の上映会を行いました。5000万人もの人が医療保険を持てずに、保険会社が患者と医療の質を決定する米国の悲劇が胸に迫りました。健康あっての生活です。医学の祖伊藤玄白らが築いた医療制度を守るための挑戦を続けたいと思います。

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写真上/4月6日、鳥栖市の国政報告会のひとコマ。
写真下/4月6日、基山町の「NPOきびっとの杜」の皆さんと共に。

2008年7月号掲載


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