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第35回 「~水の神様 成富兵庫茂安   コンクリートから自然の堤防へ」


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仏独墺を中心に人工的に整備された河川を自然に近づける試みが始まっています。これは河川を取り巻く生態系を再構築し、良質な水資源、河川環境を復元しようというものです。
佐賀には自然に沿って治水・利水を行った人が出ています。その代表が水の神様と崇められている成富兵庫茂安です。彼は、龍造寺家の家臣、成富甲斐守信種の次男として永禄3年に現在の佐賀市鍋島町増田に生まれています。

幼名は千代法師丸、新九郎。幼い頃は、性格が粗暴で手のつけられない暴れ者でした。博打に負けて家の籾倉まで失くしてしまうほどでした。茂安の勝手な振舞いに激怒した親戚は「こんな者は生きていでもしょうがない。討つべきだ。」と父親に提案します。
しかし、父は集まった親戚を必死に説得します。
「誠に申し訳ない。今一度、機会を。それでも行状が改まらない時は、わが手にかけて討ち果たそう」。
必死の覚悟での説得が茂安を改心させていきます。その後、勉学に励むようになった茂安は、数々の武勲をあげるとともに、加藤清正を助け名古屋城、熊本城の築城に携わり、沈み城としても有名な佐賀城の築城も行っています。

広大で豊かな佐賀平野ですが、保水力の小さな浅い山と干満の差の激しい有明海に挟まれて旱魃と洪水に慢性的に悩まされる状況でした。水争いは絶えず、どこか一箇所を触ると、他が許さないなど、治水対策が大事なのに水利に手をかけ水の流れを変えることは、タブーとされた時代です。
これを根本から変えたのが茂安です。まさに水の流れのように。自然に逆らわない。一箇所に目を奪われるのではなく全体を考える。
茂安は、単独工事を行うのではなく中小河川やクリーク、堤などを巧妙に結び付け、平野全体で治水、利水、排水を行うというシステム築いてきます。

・ 石井樋
・ 千栗堤防、蛤水道
・ 横落水路
・ 中原水道
・ 羽佐間水道
・ 三方潟の大日堰
・ 佐賀江の改修

短期間にこれほどの利水・治水システムを築き上げるには、多くの人と資源を一気に集中させなければなりません。多くの人に慕われた茂安。強いリーダーシップと大きな構想力。今もなお、私たちは多くの恩恵を受けています。
自然を壊し、人々の糧を奪う結果となった大規模公共事業も少なくありません。茂安の治水事業と現代の公共事業と比較すると、自然への畏敬の念の違いに気づきます。

自然に対する畏れ。
人々の暮らしを守る決意。
水の神様に学びたいと思います。

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写真上/11月17日 鳩山首相と共に、地域主権戦略会議設置の序幕式にて。
写真下/12月1日 総務大臣室にて

2010年3月号掲載


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