第7回 「葉隠『武士道』と新渡戸稲造博士」
国際連盟事務次長としてジュネーブの星と謳われた新渡戸稲造博士の著書「武士道」は、日本固有の世界観・道徳観を西洋哲学やキリスト教と対比しながら解き明かした名著です。
一方、武士道といえば佐賀の葉隠ですが、この葉隠は、佐賀藩士山本常朝の武士としての哲学を田代陣基が執筆したものとされています。
「武士道とは死ぬこととみつけたり」武士道が戦前、国民を軍事的に動員する精神的な支柱として利用されたことから、軍国日本の象徴として「武士道」がとらえられていた時期もありました。しかし、葉隠は、忠義のために進んで死ぬことを奨めたものではなく、「死すべき運命」を抱えた人間がいかに生きるべきかを極めようとした哲学で、その哲学を究めたいと多くの人々が見直しを行なっています。
葉隠の「本場」佐賀でも葉隠研究会が発足しています。私は政経塾の入塾試験で松下幸之助さんから直接面接試験を受けましたが、そこでの松下さんの問いは佐賀の葉隠について述べよというものでした。ブラッセルでのEU議員との懇談の中でも新渡戸先生の著書が広く読まれていて話題になりました。
佐賀は陶磁器文化の地です。一瞬の火の力が二物と無い造詣の美を生み出します。私はこの火の文化に、生の持つ一瞬一瞬を大切にする葉隠哲学に共通する背景を感じます。
「葉隠」と新渡戸稲造先生の「武士道」。この二つの哲学書を読み比べていると、私たち佐賀の中に流れる思想の源流を感じます。佐賀藩士の哲学が、世界の哲学として普遍化される過程において、生きることに向き合う先人の息吹に出会います。
「わが国の封建制度および武士道とはなんであるか、ということを理解しなくては、現在の日本の道徳は、結局、封印された秘本のようになってしまう。」新渡戸先生の言葉の重みを噛み締めながら葉隠の里を探索してみたいと思います。
写真上/国会の原口議員事務所での一枚。
写真下/民主党佐賀県連常任幹事会後の記者会見にて。
2007年11月号掲載