原口一博公式 | 立憲民主党 衆議院(佐賀1区)

第60回 「慈愛と教育の輪のひろがり」

2012年04月13日 世界の中の佐賀

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1976年の国連総会は、全世界の児童の権利を積極的に擁護していくため、1979年を「国際児童年」とすることを決議しました。保護を必要とする児童を積極的に支えていこうという取り組みは全世界で広がっています。
特に佐賀では、松林寛之先生の教えのもと慈愛と協働の輪が広がっています。

先生は私の初代後援会長。大学心理学の先輩で僧でもあられた先生は佐賀女子短大で教えながら道を誤った人たちを自らの子どもとして育んでおられました。

生涯独身

愛と安堵
先生の元には、たくさんの「子どもたち」が集っていました。私がまだ26歳の時のことです。「子ども」といっても先生の子どもたちですから50代の方もおられれば、60代の方もおられました。
「愛に恵まれず犯罪をおかしてしまった人たちが松林先生に出会い、初めてといっていいような大きな愛を感じることができたのですよ」と子どもさんのお一人が私に笑いながら教えてくださったことを昨日のことのように思い出します。
先生のお寺は杵島郡にありました。少年鑑別所の所長もされていたともいいます。当時から私の後援会には教育の関係者の方々が多く集っていただいていました。ご自宅にうかがうと丁寧にお茶をいれてくださり私の話を聞いてくださりました。
そんな先生が時に急いでおうちを飛び出していかれることもありました。「息子の一人がテレビを盗んだそうで引き受けに行ってきます」と宮崎まで走られたことがありました。こんな生活で迷惑をかけてはならないからと妻帯なさらなかったとも人づてに聞きましたが、今となってはわかりません。
先生は私に何をなしなさいとは一言もおっしゃりませんでした。ひとつだけ「子どもたちが不安になったり悲しくなったりしないように」と児童館の大切さを私に教えてくださったことがあります。先生のお話はいつも慈愛のお話でした。先生が亡くなってからも多くの時間が過ぎました。それでも先生への敬愛は深まりこそすれやむことはありません。
先日、佐賀でお会いした方がこう言って笑顔を向けられました。
「私も松林先生の子どもの一人です。先生の思いをつないでください。応援していますからね」
子どもの一人であると告白することは、自らがかつて罪を犯したことを表にすることでもあります。それにもかかわらず…。天山おろしも厳しい日。まさに寒風吹きすさぶ中でしたが、心の中にじわっと温かい思いが広がりました。こんなに有難い思いをさせていただいて本当にもったいないとも思いました。

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写真上/初代後援会長松林寛之先生(写真左下部)
写真下/原口一博新春の集い(2012年1月9日(月)・(祝))

2012年4月号掲載


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