原口一博公式 | 立憲民主党 衆議院(佐賀1区)

第75回 「徐福さまと佐賀」

2013年07月13日 世界の中の佐賀

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「東方海中の三神山にある不老不死の薬を求めましょう。」秦の始皇帝にこのように進言して徐福は、中国大陸を後にしたとされています。(『史記』司馬遷)。
この徐福のことを佐賀の人達は、徐福さまと親しみを込めて呼んできました。
佐賀県には金立山、浮盃、竜王崎など徐福に関係のある伝承地がたくさんあります。日本の稲作は約2700年前の縄文時代に北部九州で大陸から伝わったともされています。
私は、27歳の県議時代に「稲の道研究会」という研究会を組織して徐福伝説と稲の伝播との関係についても研究しておりました。

稲の道とその500年後に渡ってきたとされる徐福の航路。様々な伝承。その不思議な一致に驚くことが少なくありませんでした。

佐賀市と江蘇省中国連雲港市との間でも交流が始まりました。私も佐賀市の派遣団の一人として連雲港市・徐福村を訪問しました。当時の中国は、改革開放の途上で沿岸部に経済開放特区を作って近代化に踏み出したばかりでした。そのうちの一つが、連雲港市でした。

始めて訪れた徐福村は、舗装道路も信号もない村でしたが、村人が総出で歓迎していただきました。子どもたちが歌う歓迎の歌は、故郷佐賀の音楽に共通する響きがありましたし、広がる情景は、まだ幼い頃に見た佐賀の情景とよく似ていました。何よりも驚いたのは、カササギでした。
一羽のカササギが、私たちの前に舞い降りてきました。遠い徐福村で日本から来た私達を出迎えているようにも思えました。

鵲は、福を招く吉鳥ともされます。佐賀県天然記念物にも指定されて県鳥でもあります。豊臣秀吉が朝鮮出兵の時にカチカチと言う鳴き声が縁起がいいということで持ち帰ったとも言われていますが、鵲は、勝利を招く鳥とも言われています。別名カチガラスとも言いますが、カラスと言っても真っ黒いカラスではなく白と黒です。羽を広げて飛ぶ姿はとても美しく多くの人達に親しまれています。

佐賀空港と上海を結ぶ航空路線に加えて香港の航空会社の就航も控えています。佐賀を玄関に大陸や様々な地域との交流がさらに加速することが期待されています。

私が江蘇省を訪れた時には、まだ東西冷戦の時代でした。米ソが核ミサイルの軍拡競争を行い、共産主義国中国においても海外から訪れた人たちが行けるところにも制限がありました。今からすると隔世の感があります。中国共産党も近年になり党員に経営者を加えるなど、共産主義と資本主義の激しい対立もかつてのような構図だけでは、とらえられなくなりつつあります。

この間の外交的な軋轢により、排外主義や狭量なナショナリズムを唱える人たちの声が大きくなりつつあるのも事実です。

安全保障の世界の言葉で「チキンホーク」という言葉があります。チキンとは、鶏で臆病者のタカ派のことをさす言葉です。

地域が安定し繁栄を享受するためには、和の心が何よりも大切です。かつてこの稿で出島管理を任されていた佐賀藩についても触れましたが、佐賀は、海外とも歴史的にも深いつながりがあり、積極的に海外の文明を受け入れる窓口として発展してきた地域です。

チキンホーク的な発想ではなく、鵲の大きく広げた翼のような柔軟な思考によって世界の平和と繁栄を支えていきたいと思います。

徐福さまの上陸地は伊万里港波多津(波多=秦 津=港)であったともされています。黒髪山犬走、蓬莱山、竜王崎、寺井津。不老不死の薬を求めた徐福一行の足跡は、各地に渡っています。その足跡を辿って緑豊かな佐賀を旅してみてはいかがでしょう。樹齢2200年以上で中国由来とされるビャクシンは、新北(にきた)神社のご神木としてもあがめられています。

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写真上1)原口一博新緑の集い(2013 年5月19 日)
写真上2)甲木弁護士と憲法を学ぶ会(2013年6月9 日)
写真下1)車窓から見た佐賀(2013 年6 月3 日)

2013年7月号掲載


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