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第79回 家紋の伝統とルーツ

2013年11月26日 世界の中の佐賀

1.常任委員会

世界を回ると家紋に出会うことも少なくありません。紋章(Coat of arms)や象徴(Symbol)などと呼ばれているようです。日本の家紋は、日本の家紋は「兜飾り」の意味から Family crest、Crestととも呼ばれます。単にkamonと呼ばれることもあるようです。

 

家紋の起こりについては、戦場において敵味方を区別するためのものであったり、出自や地位を示すためのものであったりしたようですが、西洋の紋章が貴族に限られていたのに対して、士農工商の身分制を敷いた江戸時代でさえも家紋は広く庶民にも使われていたようです。

 

10を20乗すれば、200万を超えます。つまり、自分を20代遡るだけでも、そこには200万人以上のご先祖様がおられる計算になり、出自などで人を差別することがいかに非合理か、数字だけ見ても明らかだと思います。

ですから家紋は、自分のルーツをたどる道具になることはあっても差別の道具に使われてはなりません。

 

そのような基本的なことを抑えた上で自分の家紋を辿ることは、とても興味深いものです。

 

佐賀龍造寺・鍋島藩の家紋についてもその起こりを調べていくと面白いことがわかります。

他家の家紋を無断で使うことは、禁忌とされたといいます。その中で龍造寺氏が豊後大友氏からの大勝を得た戦勝記念として用いた「抱き杏葉」は、戦勝者が戦敗者の家紋を奪い主君から家臣へ賜与された奪取の家紋の象徴と言っていいのかもしれません。

 

私の家の菩提寺には、佐賀藩の元とも言われる高木一族が祀られていますが、もともとの鍋島の家紋は何だったのか、調べてみたいと思います。

 

因みに私の家紋は花剣菱で、亡くなった妻の西村家も同じ家紋でした。大隈重信侯や勝海舟侯も同じ家紋です。佐賀市水ケ江町の大隈記念館にも同じ花剣菱の家紋があげられています。

 

紋の中に剣があるのも特徴的です。祖が古代に軍務を司った物部氏から別れたため、武の象徴である剣を花菱紋に組み入れたもの、と言われています。

 

あれは、みやき町の天建寺様を訪れた時のことでした。

玄関の天井いっぱいに檀家さんの家紋が掲げられていました。その中に花剣菱の家紋が多くみられました。不思議な縁を感じました。

 

自然の草花などをあしらった家紋のデザイン性は、とても優れています。日本人の美意識を象徴するようです。幕末ヨーロッパではジャポニスムとして家紋のデザイン性が評価され、アール・ヌーヴォーの絵画などに使用されたともいいます。

 

羽織など礼服にあしらわれた家紋。今では、家紋が何かを知る機会さえ少なくなっていますが、日本の美にもう一度目を向けて歴史を振り返る縁にしてもいいかもしれません。

家紋 大隈重信候(大隈重信記念館より)

写真上1)常任委員会
写真上2)家紋
写真上3)大隈重信候(大隈重信記念館より)

2013年11月号掲載


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