原口一博公式 | 立憲民主党 衆議院(佐賀1区)

第81回 アフリカの国から

2014年01月26日 世界の中の佐賀

 

①たけし小学校の子どもたちと

今年、佐賀出身の末次一郎先生の資料が国立国会図書館で保管されることが決定しました。先生は、戦後の青年団運動を主導されただけでなく沖縄返還運動、北方領土返還運動なども先頭に立たれました。青年海外協力隊の創始者のお一人としても有名です。

 

先生の弟子の私たちも薫陶を受けて、様々な海外での活動に携わっています。

ビートたけし(北野武)さんから依頼を受けてアフリカのベナンに飛んだのは11年前のことです。当時、付き人だったゾマホンさん(今では駐日ベナン大使)の母国ベナン。日本語学校・小学校を作り、教育から国を支えていこうという挑戦に私たちも微力ですがお手伝いしてきました。

 

先日、ベナンの元大統領が私たちの元を訪ねてこられて東京で会談を持ちました。皆さんも奴隷海岸という言葉をお聞きになったことがあるかもしれませんが、この海岸はベナンにあります。先進国の搾取・奴隷政策は、非人道的かつ苛烈なものでした。独立した今でも旧宗主国の言葉が公用語であり、識字率は2割に留まっていました。

言葉を奪われ、文化を奪われ、そして教育を奪われれば、命を守ることもできません。

 

衛生状態も悪く、赤ちゃんの生存率もとても低かったアフリカの国々。その現状を教育から変えようと立ち上がったのです。

 

ベナンの元大統領は、南アのアパルトヘイト政策に非暴力で立ち向かい、人種間の争いを収め、人々の融和と平和を実現したネルソン・マンデラ元南ア大統領の言葉を同席した会議の模様も含め詳しく私たちに伝えてくださいました。

マンデラ大統領は、先日、95歳で偉大なその人生を終えられました。人日の絆が、希望を築いてきました。

 

末次一郎先生の資料の中には、私の写真もありました。
歴代の総理も先生に様々な指針を聞かれにこられていましたが、その合間にでも先生は、外交や国政に向かわれるのと全く同じ姿勢で私たち若者を全身全霊で育ててくださいました。そこには微塵の妥協もなく、「烈」とも思えるような厳しさでした。

一番叱られた不肖の弟子だった私。先生は、私が代議士に当選した後も徹底的に叱られました。どんなに有難かったかわかりません。
その私を先生がアルバムに残して下さっていたことがわかり眼頭が熱くなりました。

先生は、私たちが最も困難な時に手紙をくださいました。
そこには慈愛溢れるお言葉がありました。
私が立ち直れないでいる時に、妻の直子がその書簡を出してきて先生の思いを胸に前進するように諭してくれたこともありました。
妻の遺品を整理していると、妻がどんなに大事に先生の書簡を保管していたかよくわかりました。

末次一郎先生が25歳の時に書かれた手紙を国会図書館で見ました。
そこには戦争で心ならずも「生き残った」ことからくる思いが綴られていました。否、先生は違う道を歩むため(人生を終わるにあたってのお別れの言葉?)にその手紙を書いておられました。

しかし、先生は、その道を歩まれず、青少年健全育成会議、新樹会のご活動など、様々な活動に身を投じられることになりました。

先生の薫陶をいただいた国会議員は、少なくありません。
妻が整理してくれていた手紙をみて自分が、なんという恵まれた、ありがたい環境にいたか改めて感じています。

②若き頃の末次一郎先生 ③ベナン元大統領と議連メンバーと ④末次一郎先生の国会図書館資料にあった私の写真

写真上)たけし小学校の子どもたちと
写真下1)若き頃の末次一郎先生
写真下2)ベナン元大統領と議連メンバー
写真下3)末次一郎先生の国会図書館資料にあった私の写真

2014年1月号掲載


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